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“婚約”前から小室家通い 眞子さま暴走婚 全内幕

「週刊文春」編集部

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学生時代の小室さん
学生時代の小室さん

〈眞子さま 年内結婚〉。2017年9月の婚約内定会見から丸4年。金銭トラブルが露見して以降、膠着していた小室圭さんとの結婚話が一気に動き始めた。その原動力となったのは、眞子さまの“烈しいご気性”だった――。

 
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 横浜市北東部のとある閑静な住宅街。最寄り駅から徒歩15分ほどということもあって、行き交うのは近隣住民ばかりだ。

 その通り沿いに佇む、4階建てマンション。そこに、黒々としたロングヘアが美しい、1人の若い女性の姿があった。将来を誓い合った相手の実家を、初めて訪問するのだ。彼女はエントランスをくぐると、ある一室へ消えていった。

 相手の男性は2DKのその家に、母親と祖父の3人で暮らす。玄関からまっすぐに進むとダイニングがある。本来はもう一部屋と繋がっているようだが、間仕切りの戸が閉ざされているため、ダイニングの空間は決して広くはない。

 女性は自らの両親にも、彼の紹介を済ませていた。彼からはすでにプロポーズを受けていたし、その後、英国に留学したときにも、彼は大型連休を利用して会いに来てくれた。帰国後、ようやく彼の自宅を訪れることができたのだ。

 何の変哲もない、真面目で初々しいカップルの1コマ。ただ一つ普通とは異なるのは、女性が「将来の天皇の姉」であることだった。

 

 止まっていた時計の針が遂に動き出した。

〈眞子さま年内結婚〉

 秋篠宮家の長女・眞子さま(29)と小室圭さん(29)の結婚問題について、9月1日、読売新聞が1面でこう報じたのだ。

「この報道を皮切りに、結婚に関連する儀式は行わない方向で調整中であること、一時金については眞子さまが辞退する意向を示していることなどが一斉に伝えられました。これらの方針については、以前から西村泰彦宮内庁長官が示唆していたものでした」(宮内庁担当記者)

“国民からのお祝いはもういい”

 

 結婚延期が発表されてから約3年7カ月。いま、眞子さまのご結婚を成就させるべく、宮内庁は知恵を絞っているという。

「西村氏は、9月11日の紀子さまの誕生日の前に“小室さんの生活基盤も整いつつある”ということをアピールして、小室家の金銭トラブルから関心を逸らし、12月中旬にある小室さんの司法試験の合格発表に注目を集めるシナリオなど、さまざまなシミュレーションをしていました。実際、7月末にはNHKが、小室さんがNYの法律事務所への就職の見通しが立ったことを報道。小室さんの課題の一つだった『生活基盤の整備』はクリアしたと見なされました」(同前)

 だが、肝心の小室さんの母・佳代さんと元婚約者・X氏の金銭トラブルについては、今年4月に小室さんが全28頁に及ぶ説明文書を公表して以降、何の進展も見られない。X氏の代理人が嘆息する。

「X氏は佳代さんとの面会を希望していますが、小室さん側の代理人弁護士にメールを送っても『検討します』と返事があるだけで、積極的に解決しようという素振りは無い。そんな中で年内結婚への準備を進めているとは、こちらが置いてけぼりにされている印象が否めません」

 父の秋篠宮は18年に「多くの人が納得し、喜んでくれる状況にならなければ、納采の儀は行えない」と仰った。だが眞子さまは、金銭トラブルの解決も、多くの国民の納得も置きざりにしたまま、「儀式、一時金なし」という前代未聞の形でのご結婚に向かって猛進されている。

「一時金や儀式については、眞子さまが昨年初めに宮内庁参与に結婚問題を相談された際、自ら提案なさったことでした。このとき眞子さまは“国民からお祝いされるというようなことは、もういい”という旨を訴えられたそうです」(宮内庁関係者)

 父の言う「多くの人が喜んでくれる状況」にならなくてもいい。「納采の儀」が行えないと言うのなら、それでもいい。とにかく結婚したい――。参与への訴えからは、眞子さまのそんな切実なお気持ちが透けて見える。

「西村氏はこうした眞子さまのご希望に沿うよう、結婚に向けた検討を進めています。しかし、結婚関連儀式には、一般の結納にあたる『納采の儀』のみならず、天皇皇后両陛下にお別れの挨拶をする『朝見の儀』も含まれている」(同前)

 高円宮家の次女・典子さんや三女・絢子さんの場合、朝見の儀で当時の両陛下に「今日まで長い間、深いご慈愛を持ってお導きいただきましたことを謹んで御礼申し上げます」と感謝の言葉を述べた。その朝見の儀を行わないということは、皇室の伝統を壊してしまうのみならず、自らを育ててくれた皇室への感謝もないまま一方的に去ることを意味する。戦後の皇室では一度も前例がない。

 父親の忠告を容れず、皇室の伝統を壊してでも、自らのご意志を貫かれようとする眞子さま。その来し方を辿ると、暴走婚に至った“烈しいご気性”の原点が見えてくる。

 眞子さまは1991年10月に誕生され、98年に学習院初等科に入学された。当時の同級生が振り返る。

「眞子さまは、高学年になっても休み時間に校庭でドッジボールや鬼ごっこをして遊ぶような、至って普通の児童でした。グループ学習では仕切り役。『〇〇さんは発表が得意だから』とメンバーの能力を推し量って分担を割り振ったり、『このテーマだったら、図書室でこんなことを調べればいいよね』と皆が動きやすいような提案をしたり。頭の回転が速いと感心した記憶があります」

 登下校や修学旅行の際にもSPがつく、「皇室の一員」を意識せざるを得ない環境。ある日、給食の時間に眞子さまが顔を真っ青にされていたことがあった。気付いた級友が「大丈夫? 先生に言おうか?」と声をかけたが、眞子さまは「いいの」ときっぱり仰ったという。

「眞子さまはそのまま食べ進め、結局戻してしまわれた。眞子さまは人気のないメニューでもいつも完食されていました。ご自分が給食を残したら問題になると理解しておられたのでしょう」(別の同級生)

“鳥籠”から自由な世界に

 妹の佳子さまが幼いころはシャイで、報道陣の前ではご両親の陰に隠れるのが常だったのに対し、いつも長女として堂々とした振る舞いを見せておられた眞子さま。06年に悠仁さまが誕生されてからは、幼稚園まで送ったり、ローラースケートで一緒に遊ばれたりと、一回り以上下の弟の面倒をよくみられた。

 公務にも真摯に取り組み、学習院女子高等科在学中の16歳で単独公務デビュー。美智子さまのご養蚕を手伝う眞子さまに、美智子さまが「さすがは内親王ね」と目を細められたという逸話はあまりに有名だ。

 大学はそのまま学習院に進まず、皇族として初めて国際基督教大学(ICU)へ。自由を尊ぶ秋篠宮家流のなせる業だった。そこで運命の出会いを果たす。12年6月、20歳の時。交換留学の説明会で小室さんと言葉を交わした眞子さまは翌7月には初デートへ。

留学時代の眞子さま(上・下)

「“しっかり者のお姉ちゃん”とされていた眞子さまにとって、小室さんは甘えられる唯一の相手だった。眞子さまは交際開始から早い段階で結婚を意識され、その思いに小室さんも、すぐに応えられたのです」(秋篠宮家関係者)

 まだ22歳の学生だった13年12月に、小室さんはこうプロポーズした。

「将来、結婚いたしましょう」

 眞子さまはこの年、ご両親に初めて小室さんを紹介している。だが秋篠宮は、

「結婚は、成年皇族として一定の役割を果たしてから。公務で国民に恩返しをしてからが望ましい」

 と諭されたのだった。

 この頃から、眞子さまはご自身の将来について確固たる意志をお持ちだった。

「秋篠宮家では年に2回ほど宮内庁長官や参与、御用掛が出席して、さまざまな事柄について話し合う機会があり、成人されてからは眞子さまも参加されていた。あるときこの席上で女性宮家創設が話題に上り、参与の一人が『悠仁さまが天皇になられたとき、お姉さま方が支える必要がある』として女性宮家創設に賛成意見を述べたのです」(前出・秋篠宮家関係者)

 これに対し、眞子さまは毅然とこう述べられた。

「皇室に残る必要はありません」

 宮内庁参与は宮内庁長官経験者や最高裁判事、学者などから選ばれる。そんな年嵩の相手に、ご自身の意志をはっきり示されるお姿に、出席者たちは驚いた。

「眞子さまは“皇室から出ても、悠仁さまを支えることはできる”という意味で仰ったのでしょう。『いずれ結婚して皇室を離れる』という意志を明確に持っておられた」(前出・秋篠宮家関係者)

 皇室を離れる――。その意志を秘めておられた眞子さまの目に、小室さんは、皇室という“鳥籠”から自由な世界に連れだしてくれる白馬の騎士と映ったのかもしれない。

 眞子さまが英国のレスター大学大学院に留学中だった15年5月には、三菱東京UFJ銀行(当時)に勤務していた小室さんが、大型連休を利用して訪英したこともあった。眞子さまが同年9月に帰国されると、お二人はお互いの自宅を行き来されるようになる。

「人目を憚ったのか、お二人の逢瀬は“おうちデート”が多く、眞子さまは小室さんの自宅マンションに複数回にわたり足を運ばれています。小室さんが秋篠宮邸に遊びに来るときは、眞子さまの部屋で2人きりで“おこもり”状態になることもあったそうです」(別の宮内庁関係者)

 時たまデートで外出なさる折にも、眞子さまには皇宮警察の護衛官が付く。そんな護衛官に、眞子さまはこうお願いをなさった。

「離れていて頂いても良いですか」

 お二人の仲睦まじい様子に、護衛官は赤面しながら目をそらすのが常だった。

 小室さんとの愛を育む一方で、幼少期から垣間見られた意志の強さは、変わることがなかった。

「皇室ではコロナ禍の今年を除いて、新年を迎えるたび、ご一家のお写真を公開するのが慣例。天皇皇后両陛下、上皇ご夫妻、秋篠宮ご一家が1枚の写真に収まります。撮影の際のご一家の並び方について、17年に変化があったのです」(別の記者)

 16年の写真ではご一家が2列に並ばれ、前列の皇族方は椅子に着席なさり、後列では愛子さま、眞子さま、佳子さまが立たれている。16年までは前列にいらした悠仁さまだったが、身長が伸びたこともあってか、17年からは後列へ。すると、着席なさる皇太子ご夫妻(当時、以下同)の背後に眞子さまと愛子さま、秋篠宮ご夫妻の背後に佳子さまと悠仁さまという並び方に変わったのだ。

この2017年1月から不可解な立ち位置に

 じつは、これは眞子さまのご発案なのだという。

「甘いのよ!」と叱った眞子さま

「秋篠宮ご夫妻の背後にお三方のご姉弟が並ばれるのに、皇太子ご夫妻の背後には愛子さまお一人だけとなると、どうしても写真のバランスが悪くなる。そのため、撮影時に眞子さまが『私がそちらへ行きます』と仰り、皇太子ご夫妻の後ろに移られたそうです。ただ、それでは眞子さまが皇太子ご一家の一員のようにも見えてしまう。そのため天皇陛下もやんわりと反対されたそうですが、眞子さまはご主張を曲げられなかった。それ以降、ご一家勢揃いで写真撮影をする際には、この不可解な並び方が定着しています」(同前)

 17年5月、思わぬタイミングで眞子さまに転機が訪れる。NHKが婚約内定をすっぱ抜いたのだ。

「小室さんは報道の翌日、詰めかけた報道陣の取材に応じ、朝に電話で眞子さまと交わした会話の内容などを明かしました。しかし、当時はまだ結婚についての天皇陛下の裁可も受けていない段階。さらに、皇族との会話を勝手にオープンにするのは御法度なので、違和感を覚えました」(前出・秋篠宮家関係者)

 こうした小室さんの対応に、眞子さまが「甘いのよ!」と叱ったのは知る人ぞ知る逸話である。

 まだ金銭トラブル報道もなく、爽やかなカップルに、列島は祝福ムードに包まれた。そんな中でただ一人、憂慮を深めていた人物がいらっしゃるという。初孫として眞子さまを慈しんでこられた美智子さまだ。

当初から懸念されていた美智子さま

「美智子さまは、婚約内定報道直後の小室さんの取材対応や、“海の王子”といった経歴などから、早い段階で小室さんに不信感と違和感を抱いていたようです。その証拠に、婚約内定が公式に発表されても、当時の天皇皇后両陛下からお祝いの言葉が一向に伝えられなかったのです」(皇室担当デスク)

 他の女性皇族の婚約報道を紐解いてみると、18年に絢子さんの婚約内定が伝えられた際には〈天皇、皇后両陛下も、祝福の気持ちを持たれている〉(読売、18年6月27日付)と報じられている。だが眞子さまの婚約内定時は〈天皇、皇后両陛下もすでに報告を受け、了承されている〉(産経、17年6月20日付)というだけで、祝意を伝える報道が一切見られないのだ。

「当時の山本信一郎宮内庁長官は『自分は結婚について、両陛下に報告にあがっていない』と強調していました。報告にあがっていれば、そのときのご反応を記者から聞かれるのは自明です。それを避けようとして予防線を張っているように感じました」(同前)

 だが、時には天皇のお言葉に対してすらご自身の意見を貫かれる眞子さまである。美智子さまのご懸念をよそに、結婚に向けて一心不乱に歩みを進めていく。

「世間の佳代さんへのバッシングを受け、小室さんは一時、結婚について挫けそうになったときもあったようです。しかし、小室さんに同調して『贈与なのだから返金の必要はない』と考えている眞子さまは、彼を励まし続けたのです」(小室家に近い人物)

 その結果、小室さんはNY州の司法試験に向けた勉強の合間を縫って今年4月に全28頁もの説明文書を完成させ、公表した。そんな小室さんを後押しするように、文書公表直後の皇嗣職大夫の会見では、お金を払って問題解決を図らない理由を述べた記載について「眞子さまのご意向が大きかった」と説明された。

「そのご対応は、もはや眞子さまのお心は皇室ではなく小室家側にあるように見えました」(同前)

 結婚に向けて意志を貫かれる眞子さまと、どれだけ批判されても自らの正当性を訴え続ける小室さん。金銭トラブルをめぐる一連の対応は、決して成功したとはいえない状況だが、お二人の“共同作業”だったことは間違いない。

 眞子さまが晴れて結婚を果たされれば、小室さんとともに、NYを生活の拠点にされると見られる。そこで眞子さまを待ち受けるのが、佳代さんという“姑”だ。早くに夫を亡くした佳代さんは、女手一つで育てた小室さんとの“母子密着”ぶりがたびたびクローズアップされてきた。眞子さまとの関係は、どうなるのだろうか。

 佳代さんは、眞子さまについてこう語っていた。

〈お相手の方はとても立派な方で。曲がったことや嘘はお嫌いで真実のみを信じて、ご自身の意見もしっかり持っていらっしゃる。僭越ながら同じ女性として尊敬……大尊敬しています〉(『週刊文春WOMAN』21年夏号)

小室佳代さん

「ありのままに人生を歩む」

 そんな佳代さんは、金銭トラブルの渦中にあっても、人知れず眞子さまと心を通わせていたという。

「じつは佳代さんはあるとき、眞子さまにマフラーを編んでいたことがあるのです。金銭トラブルで小室家の味方に立ってくれる眞子さまに感謝の念が強いようです」(佳代さんの知人)

 だが、佳代さんに今、新たなトラブルが起きている。

「佳代さんは今年6月、勤務している都内の老舗洋菓子店に対し、アキレス腱を痛めたとして休職を申し出た。さらに、勤務中の怪我だとして労災の申請書類にサインをするように要求してきたのです。しかし、佳代さんが怪我をした場面は誰も見ておらず、本当に労災にあたるかどうかは分からない。加えて、休職を認めた期間を過ぎても佳代さんが無断欠勤を続けているため、洋菓子店の社長が激怒しているのです」(洋菓子店関係者)

 夫に先立たれた佳代さんは、小室さんが中学生だった06年頃から同店に勤め始めた。当初はパート勤めだったが、眞子さまとの婚約内定報道があったころ、正社員に昇格したという。

 佳代さんにとっては大恩のある店だが、佳代さんの振る舞いが軋轢を生むことも多かったようだ。

「出勤や退勤時に記者に声をかけられることが多かった佳代さんは『誰かが、私の勤務日程をマスコミに漏らしている』と考えたようです。それで、店内に張り出されるシフト表の、自分の部分を勝手に黒塗りにしてしまった。これも社長から注意を受けたそうです」(佳代さんの別の知人)

 さらには、警察に対してもこんな要求をしていた。

「佳代さんは、洋菓子店のある地域の警察署に『記者が来るから警護してほしい』と要求したのです。マスコミ対策という理由で警護をつけるなんて、あり得ません。当然、要求は断られました」(前出・記者)

 今後、焦点となるのは、眞子さまと小室さんの会見だ。秋篠宮は昨年の誕生日会見で「実際に結婚という段階になったら、今までの経緯も含めてきちんと話すことは大事」と仰った。

「そのため、きちんと会見すべきだという意見は根強く、宮内庁でもそのタイミングを慎重に検討している。また、一時金については、皇室経済法で支払いが定められているため、実際には眞子さまのご意向である辞退は難しく、いったん受け取った後にどこかへ寄附するのが現実的だと見られます。一方、結婚関連儀式は法律で定められたものではないため、すべて行わない方針が固まっています」(前出・デスク)

 秋篠宮は眞子さまの誕生にあたり「天性のものを失わず、自然に、飾ることなく、ありのままに人生を歩む」という願いを込めて、名付けをなさった。今、眞子さまが選ばれたのは、たとえ多くの人から喜んでもらえなかったとしても、ありのままに、自ら信じた道を突き進むことだった。

悠仁さまの面倒もよくみられた眞子さま(左)

source : 週刊文春 2021年9月16日号

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