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“心が見つかるのはこんなとき” 家族、友人に恵まれ、筋トレが趣味、会社経営も順調。そんな40代男性の心はどこへ消えた?

『心はどこへ消えた?』より

東畑 開人
ライフ 社会 読書 ライフスタイル ヘルス

 あなたは心を見失っていないか? いや、そもそも今の社会では、心のための場所が消えてしまったのではないか?
 そう問いかけているのが、臨床心理士である東畑開人さんの新刊『心はどこへ消えた?』だ。私たちは、コロナ以前には巨大な経済の不安定さに右往左往させられ、コロナ禍では社会の大きな変動に振り回された。そういう時代に、それぞれの小さな心たちは管理され、閉じ込められ、はかなくもかき消されてしまう。
心はどこへ消えた?』で描かれているのは、心が見失われ、そして再発見されるまでの物語たちだ。命がけの社交、悲惨な中学受験、過酷な働き方、綺麗すぎる部屋、自撮り写真、段ボール国家、巧妙な仮病。カラフルなエピソードを読み進める中で、あなたの、そしてあなたの大事な人の心のありかが浮かび上がってくる。
 以下は、同書に収録されているエッセイ「午前四時の言葉たち」。申し分のない人生を送っているように見える40代男性が、心を再発見するまでの小さな物語を紹介する。

◆◆◆

午前4時の言葉たち

「『忙しい』という字は『心を亡くす』と書くんだぞ!」かつての指導教員が口癖のように言っていた。その大教授は本当に忙しそうで、杖をついて、いつも構内をセカセカと走り回っているような人だった。一度、トイレで鉢合わせしたときなんかは、光の速さで用を足しながら、ユングだなんだとしゃべり散らかし、挙句の果てに杖を忘れて出ていったので、同級生と大笑いしたものだ。杖まで亡くすだなんて、心を亡くすにもほどがある。

東畑開人著『心はどこへ消えた?

 ただ、それを笑えていたのは、私が時間を持て余した学生身分であったからだ。こうして中年になって、大学業界の末席を汚すようになると、心がいとも簡単に亡くなってしまうことを痛感する。杖の代わりにスマホを握りしめ、講義から会議へまた講義へとセカセカ走り回る。飛び込んでくる用件を卓球のように打ち返し続ける。トイレも昼食も光速だ。自分が反射神経だけで作られた生物であるような気すらしてくる。

 だけど、そんな忙しい中年にも亡くしたはずの心と再会する瞬間がある。ふと目が覚めてしまった「魂の午前4時」だ。それは夜でも朝でもない刻で、もう昨日ではないけど、まだ今日もきていない。ナメクジのようにトイレに這っていき、もう一度眠ろうと布団に戻る。しかし、眠れない。頭の中で、言葉がグルグルとめぐり始める。普段は考えないようなことが浮かび、しばしとどまる。この午前4時の言葉たちは、朝日が射すとはかなくも消えてしまう。反射神経の世界が始まると、思い出せなくなってしまう。

モノローグの男

 胸板の厚いマッチョな男性は、40代半ばという脂の乗り切った年齢だった。彼の経営するベンチャー企業は順調に成長していたし、多くの友人に囲まれ、家族にも恵まれていた。彼は熱心にジムに通い、筋肉を鍛え上げていた。申し分のない人生のように見えた。だけど、「誤魔化しながらやってきたけど、自分はうつだと思う」と彼は訴えていた。

 詳しく話を聴くと、彼のエネルギッシュな生活には、まだらのようなうつがあった。一日のうちの1、2時間、頭がぼんやりして何も考えられなくなることがしばしばあって、ひどい時期には数日にわたって、動けなくなってしまうこともあった。そういうとき、「ほっといてくれたら回復するから」と家族や社員に説明し、彼は自室に閉じこもった。あらゆる連絡を絶った。

 それが最近ひどくなっている、そう語る彼の語り口がきわめて明晰なのが印象的だった。自分でもよくわからない苦しさについての話なのに、彼は自分の状態と心のメカニズムを理路整然と語っていたのだ。まるで商談のプレゼンのようだった。

©️文藝春秋

 カウンセリングが始まると、彼は経営、パートナーシップ、子育て、社交、そして筋トレのあらゆることについて、緻密な戦略を立て、目標を達成してきたことを語った。だから、うつも克服できるはずだと言っていた。語り口は明晰だったし、ユーモアもあった。それなのに、私には、語られる言葉たちがひどく空虚であるように感じられた。それは一人で考え、一人で結論を出すモノローグであったからだ。私は彼の筋トレ動画を見せられている視聴者のようだった。「自分はすべてわかっている」結局のところ、彼の明晰な言葉たちが私に伝えていたメッセージはそれだけだったのだ。彼自身はそういう話ができる面接に満足しているようだったが、まだら状のうつは良くなっている気配はなかった。行き詰まっている、と私は感じていた。

 だけど、ある回、彼は夢を語った。「ジムのロッカーに閉じ込められていて、叫ぼうとしても声が出せなかった」夢の中とはいえ、苦しんでいる彼が語られるのは珍しかった。「なんて叫ぼうとしていたんですか?」彼は即座に返答できず、言葉を失った。それも明晰な彼には珍しいことだった。そして、ひどく恥ずかしそうに「……わかりません」と呻いた。

 助けてほしい。本当はそう叫びたかったはずだ、と私は思った。だけど、それは伝えなかった。なぜなら、彼の「わかりません」という言葉に生きた響きを感じたからだ。彼は明晰で「わかりすぎる」がゆえに、「わからない」苦しさに襲われたときに、助けを求められず、自室に閉じこもらざるをえなかった。いや、夢の中でそうであったように、実際のところ彼は閉じこめられていた。自分で自分を閉じこめていたのだ。そんな彼が「わかりません」と言っている。それは心から発せられた真正な言葉であるように私には響いた。

 それから、彼との面接は少し変わった。彼はモノローグをやめ、沈黙することが増えた。わからないものの前でスピードを落とすことができた。私たちは彼の中のわからない部分について話し合うことができるようになったのだ。すると、次にうつがやってきたとき、彼は「どうしていいかわからない」と家族に助けを求めることができた。

ドライアイスみたいな心

 忙しいとき、心は亡くなるのではなく、見失われるだけなのだと思う。私が反射神経だけで生きているときも、心は私の奥深いところで、ひそかに息をし続けている。冷凍庫の奥で存在を忘れられたドライアイスみたいだ。

 大切なことは、ドライアイスが二酸化炭素を凝固させたものであるように、心にはまだ形になっていない言葉が蓄積され、カチコチに固められていることだ。眠りがそれをほんの少し溶かす。あの彼の分厚い筋肉が緩まり、明晰さがほころぶのは夢の中だけだった。あるいは夢と覚醒のはざまである魂の午前4時にだけ、私は心の中で言葉たちがカタカタと鳴っているのを聞くことができる。朝が来ると、それは日常音にかき消されてしまうにしても。

 だから、必要なのはドライアイスを水にひたすことだ。ときどきでいい。すると、ぷくぷくと小さなあぶくが立つはずだ。このとき、水が他者で、あぶくが言葉だ。心の中で凝固している言葉は、他者と交わることで初めて、形になる。たとえば「わかりません」という形を得て、さらには「助けてほしい」という形へと整えられていく。言葉とは自己と他者の二つの心を行き交うことで育つものなのだ。

©️文藝春秋

 魂の午前4時。忙しさが一瞬止まって、心と再会する時間。そういうときに、私たちは言葉が他者を求めていることに気がつき、立ち止まる。そして、誰かと、ちゃんと話をしてみたい、と思っている自分に気がつく。

(撮影:今井知佑/文藝春秋)

source : 週刊文春出版部

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