自由・反抗・挑戦 2

短期集中連載 ジュリーがいた

島﨑 今日子
エンタメ 芸能 テレビ・ラジオ 映画 音楽

 カルチャーやファッションが価値観を一新したあの時。沢田と早川の共同作業に訪れた曲がり角と、現在の姿。

 

(しまざききょうこ 1954年、京都市生まれ。ノンフィクション・ライター。著書に『森瑤子の帽子』『安井かずみがいた時代』『この国で女であるということ』『だからここにいる』などがある。)

 1973年大晦日の紅白歌合戦。赤いオーストリッチの羽根を振り回しながら「危険なふたり」を歌って登場した沢田研二は、ウエストを絞り裾がフレアになったファーつきの白いジャケットを素肌にはおり、同色のフレアパンツにロンドンブーツ。左手に黒い手袋、襟元のファーに黒いブローチ、はだけた胸では4連のパールが揺れている。日本を席捲したザ・タイガースの時に出場を許されなかったジュリーは、二度目の紅白で早川タケジがデザインした衣裳をまとい、時代の匂いをプンプンさせて発光していた。

 ソロデビュー曲「君をのせて」半ばから担当となり、一時は外れても10年という長きに亘って沢田の傍らにいた森本精人は、ファンの間では献身のマネージャーとして有名だった。現在は、玉山鉄二らが所属するメリーゴーランドの社長である森本が証言する。

「間違いなく早川さんがついてくれてからよくなっていきました。それ以前のジュリーはメイクするのも嫌い、服を着せられるのも嫌で、『僕は生のままで歌いたい。メイクなんかしたくない』と言って一度もメイクしたことがなかった。だから服もメイクも、早川さんだったからOKとなったのでしょう」

 沢田は、早くに早川を認めていた。2人が出会って1年半が過ぎようという頃、文化放送で帯の対談番組「沢田研二ショー」を持った時、スタッフのひとりとして早川を呼んだことがあった。

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source : 週刊文春 2021年9月30日号

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