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第494回「アメリカ、『中絶』めぐり論争」

池上彰のそこからですか!?

池上 彰
ニュース 社会 国際

 アフガニスタン政府が崩壊し、タリバンが政権を掌握したニュースが連日伝えられる中で、アメリカ国内では、別のニュースが大きく報じられています。それは、テキサス州の「中絶禁止法」をめぐる論争です。

 日本にいるとなかなか理解できないかも知れませんが、アメリカでは、女性の妊娠中絶を認めるかどうかが長年大きな論争を呼んできたのです。

 アメリカでは、妊娠中絶は「殺人」に該当するとして強く反対するキリスト教保守派が強い影響力を持っています。こういう考えの人の多くは共和党支持者です。

 一方、「中絶は女性の権利」と考える人たちの多くは民主党支持者。結果、中絶を認めるかどうかが、共和党と民主党の対立の火種になるのです。

 2016年のアメリカ大統領選挙の前年、私はアメリカ中部アイオワ州の共和党の党員たちの会合を取材したことがあります。誰を大統領候補にすべきかという討論会でした。そこで私は参加者たちに「大統領をどんな観点で選びますか?」と聞いて回ったのですが、その多くの返事は「同性婚と妊娠中絶を認めない候補であること」でした。

 アメリカの大統領は、世界に大きな影響力を持っています。その大統領は、アメリカの草の根では、こういう理由で選ばれている。新鮮な驚きでした。

 実はアメリカでの妊娠中絶については、1973年、連邦最高裁判所の判決で、胎児が子宮外で生きていけるようになるまでは女性が中絶手術を受ける権利が認められています。これは妊娠22週から24週まで該当すると考えられています。

 この最高裁の判決に衝撃を受けた保守派は、各州で、さまざまな条件をつけ、実質的に中絶ができないような法律を制定してきました。

 このうち保守的な共和党が多数を占めるテキサス州議会は今年5月、胎児の心拍が確認された後の人工妊娠中絶を原則禁止する法律を制定。9月1日から施行されました。これは妊娠6週目以降は中絶禁止ということです。

 この法律に反対していた人権団体の人たちは、憲法違反だとして連邦最高裁に施行の差し止めを求めましたが、最高裁は差し止めを認めず、予定通り施行されたのです。

 最高裁の判事は全部で9人。差し止めるべきだと主張した判事が4人だったのに対し、差し止めを認めなかった判事は5人。5対4で差し止めは認められなかったのです。

 差し止めるべきではないと判断した5人の判事の中には、トランプ前大統領が指名したエイミー・バレット氏も含まれています。バレット判事は、以前から妊娠中絶に反対する立場であることが知られていました。トランプ前大統領は、この判事を指名することで保守派の支持を得ようとしたのです。トランプ前大統領の“置き土産”が機能しているのです。

誰でも賞金稼ぎに訴えられる

 これに対し、アメリカ司法省は、テキサスの州法が憲法違反だとして差し止めを求める訴えを、テキサス州にある連邦地方裁判所に起こしました。連邦政府が州の法律が違憲だと訴えたのです。裁判は今後も続きます。

 この州法に反対する人たちは、次のような問題点を指摘します。

 まず強姦や近親相姦で妊娠しても中絶は認められないのです。望まない妊娠をしてしまった女性の立場はどうするのだ、というわけです。

 また、妊娠6週目以降の中絶を禁止していますが、多くの女性は、6週目では、まだ妊娠に気づきません。気がついたときには中絶できなくなっている、というわけです。

 中絶全部を禁止する法律を制定することは連邦最高裁で禁じられているので、実質的に中絶できないようにしたというわけです。

 さらにこの法律では、妊娠6週目以降に中絶手術をした医療関係者や中絶を「手助け」した人や「幇助」した人を、アメリカ国民であれば誰でも、どこに住んでいても、当事者と無関係でも民事訴訟に訴えることができるようになっています。これで勝てば最大1万ドル(日本円で約110万円)の報奨金と弁護士費用を受け取れるのです。

「手助け」や「幇助」という規定が曖昧ですが、たとえば中絶手術を行った医師だけでなく、病院の従業員や、手術をすることを決意した女性の行動を止めなかった家族も訴えられる可能性があります。

 さらに手術に必要な資金を援助した人や、車で病院まで連れていった人も含まれる可能性があります。

 これでは「賞金稼ぎ」を喜ばせるだけだという指摘もあります。というのも、1つの中絶手術が行われたら、それを知った人は、関係者全員を訴え、それぞれ1万ドルを支払わせることが可能だからです。

 被害者ではない無関係の人でも報奨金を受け取れる。驚くべき法律です。これでは誰も手術をしないでしょうし、手術を止めないと自分の責任になると焦って止めに入る人も出て来るでしょうから、実質的に中絶を根絶できるという仕掛けです。

 テキサス州で法律が施行されたことに対して、ライドシェア(個人がタクシー代行をするサービス)大手のウーバーとリフトが、運転手が訴えられた場合、訴訟費用全額を負担すると発表しました。中絶手術を受けに行く女性を乗せた場合、運転手も訴えられる可能性があるからです。

 アメリカでは、これまでに共和党の勢力が強い10以上の州で、テキサスと同様に胎児の心拍が検出されて以降の人工妊娠中絶を禁止する法案が可決されています。

 しかし、これらの法律は全て1973年の連邦最高裁の判断に違反するとして裁判所で施行が差し止められてきました。それが、保守派の最高裁判事が増えたことで、様相は逆転。今後は州レベルで次々に中絶が禁止されるようになるでしょう。これがアメリカなのです。

イラストレーション 3rdeye

source : 週刊文春 2021年9月30日号

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