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8歳少年が死亡 ボートひき逃げ社長(44)「震災復興」「外国人あっせん」強欲利権と手越祐也・中田翔 2ショット写真

「週刊文春」編集部
ニュース 社会

 猪苗代湖で遊泳中に大型ボートに巻き込まれ、少年が死亡、母は両脚を切断した悲惨な事故。1年間“逃亡”していた男の正体は、建設業界の利権を貪り、高級外車、銀座ホステス、有名人との遊興に溺れる“成金社長”だった。

 雄大な磐梯山を水面に映し、別名「天鏡湖」と称される猪苗代湖。白砂青松の美しい浜には、ウォータースポーツを楽しむ観光客が各地から集まってくる。

 会津を代表する景勝地が“地獄”と化したのは、昨年9月6日のこと。水上バイクにつないだ浮具に乗るため、水面で順番待ちをしていた4人のグループに全長12.5mのプレジャーボートが突進し、時速約80キロで走り去ったのだ。この事故で、千葉県野田市の豊田瑛大(えいた)くん(当時8)が頭部外傷で即死。母親の両脚は切断された。

 福島県警が業務上過失致死傷の疑いで土木会社社長・佐藤剛容疑者(44)を逮捕したのは、それから1年余りが経過した今年9月14日のことだった。

佐藤容疑者(SNSより)

「発生当日、事情を聴かれたボートの同乗者10人全員が『気付かなかった』と説明していましたが、同乗者が撮影した一本の動画が逮捕の決め手となった。その動画が県警に提供されたのは、今月6日の一周忌の後。航行中、異変に気付いた同乗者が『やばい』などと慌てる声が記録されていたのです」(社会部記者)

 事故直後、佐藤は同乗者に「何もなかったよな」と語り、口止めしていたことも判明。県警は佐藤が事故を認識していたと見ているが、佐藤は「身に覚えがない」と否認を貫いている。

 佐藤は1977年6月、福島県いわき市で2人きょうだいの長男として生まれた。重機のオペレーターとして一家を支える父。その背中を見て育った佐藤は、少年時代から野球に没頭し、推薦で高校野球の名門・学法石川高校に進学した。

性格は“瞬間湯沸かし器”

 卒業後は地元の産廃業者に就職したが、数年で退職。

「その後、ヤンチャな仲間とつるむようになり、一時期は暴力団組員の鞄持ちのようなことをしていた。やがて『金にならないから足を洗った』と周囲に話し、一念発起。24歳の頃に立ち上げたのが、自らの名を冠した土木会社、佐藤剛建でした」(地元の知人)

 同社の関係者が語る。

「事業内容は仮設足場の設置や鳶、重量物の吊り上げ、配管などのプラント関係です。下請けとして作業員を現場に派遣。1万円を受け取ったら作業員には7000円を渡し、3000円を抜くという紹介業のビジネスです。立ち上げ当初は剛さん自身も現場に出ていました」

 金庫番である母と二人三脚で働き、やがて同社は30人規模の大所帯に。

 そして大きな転機となったのが、2011年の東日本大震災である。

「被災地や発電所修復の現場仕事が引きも切らず、復興特需で急成長した。10年頃は売上が年間3億円ちょっとでしたが、震災後に2億円増え、ピーク時は7億円ほどあった」(同前)

 佐藤は常々「仕事は余るほどある。人がいれば会社は儲かる」と豪語。知人に会えば「元気な奴、誰かいないか?」と尋ね、同業他社から多重債務者などを引き抜くこともあったという。

「ところが、業績が上向きになるにつれ、彼は“自分が一番”と強欲になり、従業員の給料のアップや福利厚生のことは一切考えなくなった。会社に国税のメスが入り、1億円近く持っていかれたのは約3年前のことです」(同前)

 同社の元社員が佐藤の二面性について証言する。

「性格は“瞬間湯沸かし器”で、社員が3秒以内に電話に出ないと『随分遅いな、お前!』と怒鳴り散らすこともあった。その一方で、極端なナルシスト。高額な美容歯科で治療して、顔にヒアルロン酸を注射。アロマオイルを使った身体の手入れを怠らなかった。手の指には常時マニキュアを塗り、ゴツゴツした指の爪が不自然に輝いていました」

 震災利権で財を成した佐藤の頭で膨らんでいったのは、都会への憧れだった。15年7月には知遇を得た芸能関係者と共に、港区赤坂で焼肉店を開店する。

「1人前1万2000円のシャトーブリアンを提供する高級店でした。だが、すぐに『50万くらいの稼ぎじゃ割に合わねえよ』と言って、2年ほどで放り投げたのです」(同前)

 この飽きっぽさこそが、佐藤の真骨頂である。

「私が知る限り、結婚歴は4回。それぞれの女性に子供がいて、現在は3番目の女性とよりを戻している。3、4年前にも子供をもうけました」(会社の元役員)

 数年ごとに目まぐるしく家庭環境が変わる中で唯一、佐藤が通い続ける場所が、銀座の高級クラブだった。

「10年来の行きつけは銀座のクラブ『R』。最近入れあげていたのは『C』のホステスでした。同伴で店に行き、一晩数十万円を散財。ホステスを口説く際、地方の有名な高級飲食店に誘い出すのが彼の常套手段でした」(前出・元社員)

 19年10月にスタートした佐藤のインスタグラムには、全国屈指の名店が並ぶ。

「社長は『1カ月で自由に使える金は400~500万円ある』と自慢し、紀尾井町の寿司店『三谷』や大門の割烹『くろぎ』、銀座の鉄板焼店『ひらやま』などの常連でした。それでも飽き足らず、静岡の鰻屋や祇園の和食屋にも足を延ばしていた。一緒に行くのはもちろん銀座の子です」(同前)

 カーマニアでもある佐藤はランボルギーニをこよなく愛し、昨年は4000万円を下らないロールスロイス・カリナンを購入している。

佐藤所有のロールスロイス(左)とランボルギーニ(SNSより)

 土建業だけでは賄いきれぬほどの豪遊ぶりだが、実は佐藤は近年、新たな“金脈”を発掘していたのだ。それは「外国人あっせんビジネス」である。

「社長がミャンマーの技能実習制度に携わるようになったのは7、8年前。現地で学校法人を営む経営者と知り合ったのです。その人物は『SBS国際産業人材育成センター』の理事で、ミャンマーと日本の橋渡し役を担っていた」(同前)

 18年9月、佐藤は関連組織であるSBS国際産業人材サポートセンターの代表理事に就任。「外国人技能実習生受入れに係る職業紹介事業」を掲げ、北は北海道、南は熊本まで全国津々浦々の中小企業にミャンマー人を手配し、管理費を得るようになった。

「SBSは1000人以上のミャンマー人を全国の中小企業に紹介していましたが、そのうち佐藤は150人ほどを管理し、50~60社に手配。1人あたり月に3~4万円の管理費を集め、『毎月400~500万円は入ってくる』と言っていた」(SBS関係者)

 有り余る金を銀座でのクラブ活動や美食、高級車に費やしていた佐藤。さらに欲したのが、芸能人やスポーツ選手との華麗な交遊だ。

 ここに一枚の写真がある。撮影当時ジャニーズ事務所に所属していたタレントの手越祐也(33)。その隣でピースサインを作り、破顔しているのが佐藤だ。

「佐藤から写真が送られてきたのは約3年前。彼は有名人と知り合うと写真を撮ってSNSにアップするなど、自己アピールに余念がなかった。以前経営していた焼肉店でも、芸能人が訪れると『僕、オーナーです』と言って一緒に写真に収まり、店の宣伝に使っていました」(仕事関係者)

 16年2月、佐藤は沖縄で行われた日本ハムファイターズのキャンプを訪れた。

「大谷翔平や中田翔と写真に収まり、その写真を知人にばら撒いていました。中田とはその後も交流が続き、複数回食事をする仲になった。他にも楽天の松井裕樹やボクシング元世界王者の内山高志とも交遊関係がありました」(同前)

中田翔とは複数回写真を撮影

 中田が所属する読売巨人軍は、佐藤との関係についてこう回答した。

「中田翔選手はかねてから、外出先や大勢の方が集まる場などで写真撮影を求められた場合、ファンサービスとして快く撮影に応じていますが、ご質問の写真については、いつ、どこで撮影されたのか全く心当たりがありません」(広報部)

 佐藤とゴルフや酒席を共にしていた手越は、取材にこう答えた。

「知人の紹介で何度かお会いしましたが、事故のことは知りませんでした。一刻も早く真相が解明されることを願っております」

 派手な生活を送る一方、仕事現場にほとんど姿を見せなくなった佐藤に対し、社員らの心は離れていく。決定打となったのは、約2年前の出来事だ。

「証拠なんて見つからない」

事件直後の捜索の様子

「当時、社長の知り合いの20代の息子が、佐藤剛建の従業員として柏崎原発の現場で働いていました。ところが、彼は家族の借金などで思い悩み、遺書を残して自殺したのです」(前出・元社員)

 関連会社の取締役が葬式に参列することを佐藤に伝えると、佐藤は「あいつ死んじゃったんだ」と蔑んだ笑みを浮かべ、「そんな葬儀なんて行くことないだろ」と言い放ったという。

 非情な佐藤の態度に愕然とした取締役らは、19年暮れに会社を去った。

 そして昨年9月4日の金曜日。佐藤は銀座の並木通りに颯爽と現れた。入れあげていた「C」のホステスと飲み明かし、いつになく上機嫌だったという。

 その2日後、佐藤と銀座のホステスは東京から車で北上、一路、猪苗代湖を目指した――。

 佐藤が事故を起こしたボートを停泊させていた中田浜マリーナの荒井久依社長は、こう唇を噛む。

「彼はプレジャーボートの操縦歴も長く、腕に問題はなかった。事故後は『何も轢いていないし、気付かなかった』と言っていました。ただ、スクリューに水以外のものが引っかかったら、普通はハンドルに感触が伝わるはず。『口止めしていた』という報道があり、ショックを受けています」

 事故当日、佐藤が操縦するボートとは別のボートに乗り、伴走していたのが、社員A氏である。そのA氏が重い口を開いた。

「あの事故の後、撮影した動画を警察に提出しました。『やばい』という声が残っていたのは、おそらく銀座の子たちが撮影した動画だったんじゃないですか」

――否認する佐藤氏に対し、早く本当のことを言ってほしいという思いは?

「そうですね。この事故があって本当に大変でした。何より被害者がいることですし……」

 A氏の苦悩を代弁するのは、前出の元社員である。

「彼は何度も事情聴取を受けていました。その都度、社長に報告すると、『どうせ何も証拠なんて見つからない。迷宮入りだぞ』という暴言を浴びせられていた。そこには死者を悼む気持ちなんて一欠片もなかった」

 元側近が事故後の佐藤の様子を打ち明ける。

「社長と電話で話した際、『大丈夫だぞ。東京で高い弁護士を雇ったから』などと言っていました。ただ、今年6月頃には会社を売ろうと画策。査定も出し、売ったお金で『タイに行きたい』と話していたそうです。しかし結局、発注先の企業の協力を得て、代表取締役を父親の名義に変更した上で存続させる方向で話し合いが進められている」

 一方、遺族は苦悩の日々を送っている。9月6日、両親は中田浜に設置された献花台に瑛大くんの遺影を置き、ヒマワリとお菓子を供えたという。

湖畔に設けられた瑛大くんの献花台

source : 週刊文春 2021年9月30日号

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