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M-1史上最大のどんでん返し

「笑い神 M-1、その純情と狂気」第2回——09年決勝で100点を獲得した笑い飯。だが、最終決戦は苛烈だった。

中村 計
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 笑い飯には、今も晴れない「容疑」がある。

 わざと負けたのではないか――。

 2009年のM-1において、2人は優勝をほぼ手中に収めながらも、あえてその「栄光」を手放したのではないか、というのだ。

 8年連続で決勝に進み、2年目以降は毎年、本命視されながらも勝てていなかったことが、そんな「故意説」に信ぴょう性を持たせていた。

 09年12月20日、テレビ朝日の中で最も大きなスタジオ、第1スタジオでは第9回M-1グランプリ決勝が開催されていた。

 M-1の決勝は、まずは出場する全9組が1本ずつ漫才をし、それに対して7人の審査員が100点満点で採点をする。そして、ベスト3に残った3組だけが最終決戦に進出し、2本目を披露する権利を得る。

 笑い飯は1本目、今も語り草になっている『鳥人(とりじん)』というネタを見せた。頭がニワトリ、首から下が人間という空想上の生き物が登場するファンタジー漫才だった。

 突き上げる笑い。激しく手を打ち鳴らす音。それらが天井、四方の壁にぶつかり、空間という空間が振動の濁流に飲み込まれた。

 会場がうねる――。

 漫才の世界では、しばしば、そんな表現が使われる。『鳥人』は、人の脳を揺さぶり、弾けさせ、まさに逆巻き荒れ狂う大波を起こした。

 M-1予選時の審査員を務め、またダウンタウンと親交が深いことでも知られる構成作家の倉本美津留はこう評した。

「見えないもんが、見えてきた。僕があれを初めて見たんは準決勝かな。僕、審査中は基本、笑わないようにしてるんですよ。でも、声を上げて笑った。堪らん、って」

 笑い飯の短髪の方、哲夫が、甲高い口調で『鳥人』誕生の背景を語る。ネタの骨格を考えるのは、ほとんどの場合、哲夫だった。

「前の年(08年)、M-1にかけられるようなネタができなくて、過去のネタを引っ張り出してきた。常に前年を上回りたいという思いがあるんやけど、それができたという自信がなかった。なんで、09年は絶対上回るものを作りたかった」

 漫才のネタは、言葉に力を持たせるためにも実体験に即していた方がいい。そのため哲夫は設定を考えるとき、いつも自分の内面を探った。

「割と早い段階で記憶の総ざらいをやってみたんです。そんで、小学1年生の時の記憶から出てきたんが鳥人やったんです」

 ある日、学校から帰ると、まな板の上に大きな包丁が出ていた。その日の晩飯のおかずは唐揚げだった。ぷりぷりとしていて、じつにおいしかった。哲夫がその感想を伝えると、祖父の口から衝撃の事実が明かされた。その唐揚げは、飼っていたニワトリを捌いたものだったのだ。包丁とニワトリが繋がった。

「じいちゃんが『おばあちゃん、腰悪くて面倒みれんから、殺したんや』と。そのときの思い出が強烈で。あんとき、ニワトリのお化けが出てくるんちゃうかなと思って」

 ピン芸人日本一を決めるR-1ぐらんぷりの09年王者で、笑い飯の盟友でもある中山功太は、2人のネタづくりの特異性をこう語る。

「怖いですよ。哲夫さんがアイデアを出してくれても、(相方の)西田(幸治)さんは、ほとんど、何も言わずに黙ってる。だから、一向に話が進まない。そんなシーン、何回も見てきましたから」

 中山は、哲夫に、『鳥人』のネタができるまでのやりとりを口真似を交えつつ教えてもらったことがある。

「哲夫さんが、かわいい声で『動物系とか、どうやろ。鳥人っていうのが出てくるんやけど。もう飽きた?』と。したら、西田さんが『いや、全然。どんな感じ?』って。2人とも、自分が世界一おもしろいと思ってる人間なんです。その2人が、表面上はともかく、実際はめっちゃ気を使いながらネタづくりをしているんやと思います」

『鳥が好きなのかい?』

 西田が哲夫のアイデアに反応するのは、およそ5本に1本くらいの確率だ。西田は『鳥人』が自分の琴線に触れた理由をこう明かす。

「言い方がおもしろかった。『鳥人間』じゃなくて、『鳥人』という」

 哲夫は西田が反応を示したタイミングを逃さず、畳み掛けた。

「小さい頃、ペットショップとか学校の前でひよこを売ってて、買いたいけど親にダメって言われて買えんみたいなこと、あったやんけ」

 導入部分でいかに客の強い共感を得られるか。哲夫は毎回、そこに腐心した。そして、そこから徐々に哲夫ワールドに引き込んでいく。

「そうしたら、その子どもの前に『鳥人』が現れて、『鳥が好きなのかい?』って話しかけてくるという設定なんやけど」

 西田が「フンッ」と鼻で笑った。

「子どもが『お父さん、怖い!』みたいなん、おもろいな」

 西田が乗ってきたら、哲夫は極力口を挟まなかった。西田が続けた。

「鳥人が鳥の頭と、人間の胴体の境目を子どもに見せてあげるっての、どうやろ」

 哲夫は、その「絵」を想像し、憑かれたように笑い転げた。

「言うて欲しいことを、ちゃんと言うてくれたんですよ。それ、それー、って。あんときは10分くらい、ケラケラ笑うてたんちゃうかな」

 このネタの成功が約束された瞬間だった。

 南海キャンディーズの山里亮太も同時代、関西で笑い飯としのぎを削り合った。昔から笑い飯を知る仲間は、2人のことを「飯さん」と呼ぶ。そう呼べる人は、山里を含め、どこか誇らしげでもあった。

「飯さん伝説の一つに、あるオーディションで1分間、客席をにらみ続けて落ちたというのがあるんです。最初、それを聞いたときは、チンピラ風情が、破天荒なことやればおもしろいと思ってるんじゃねえよ、みたいに思っていたんです。でも、違った。その伝説もだいぶ脚色されてるとは思うんですけど、2人は別に変なことをやってやろうと思って、そうしたわけではない。マジで、それがおもしろいと思ってやってるんです。2人の漫才を見て、うらやましかったですね。バカなことばかり言って。哲夫さんに、なんでそんなおもしろいことできるんですかって聞いたことがあるんです。そうしたら『自分が客席にいたとして、笑えるもんやればええねん』って。それができねえんだよって思いましたけど。僕らがステージで飯さんと同じことをやったとして、考えるのは『にらみ続けるっていう変なことをすれば、おもしろいって思われるかな』なんですよ。芸人として、それはどうしようもないくらい圧倒的な差なんです」

 何かをつくる際、2つの大きな基準が存在する。「客」か「自分」か。ショービジネスにおいては「客」のニーズに応えるのが最優先事項だ。だが、稀に「自分」を貫き通すことができる強者が出現する。そして、真の実力者は、やがて、客も振り向かせる。つまりは、創造者だ。芸人の世界で言えば、それがダウンタウンであり、笑い飯だった。

 セットがビリビリと震えるほどの「うねり」を起こした『鳥人』は、大会委員長の島田紳助が大会史上初の「100点」を出しただけでなく、各審査員がその日の最高得点を付けた。ちなみに以降も100点を記録した組は、一組も現れていない。

 笑い飯はファーストステージをぶっち切りで突破した。M-1の最終決戦は、1位通過を果たしたコンビが圧倒的に有利だ。会場がそのコンビの空気になっているし、審査員がお墨付きを与えたことで2本目は客もさらに笑いやすくなる。それを証明するように、過去8大会中、じつに6大会で、1位通過したコンビが優勝していた。

 ところが、この後、M-1史上最大のどんでん返しが待っていた。

 最終決戦――。

 トリとして登場した笑い飯のネタを見たとき、予選から密着取材を続けていた朝日放送の山口正紘は、膝から崩れ落ちそうになった。

「僕、ボケかと思ったんですよ。本気で。こん人ら、優勝したいと言いながら、優勝しいひんというボケをやったんかなと」

 M-1はテレビ朝日系列の関西キー局、朝日放送の制作だ。制作班は、有力なコンビに対しては、かなり早い時期から担当ディレクターがアプローチをかけていた。笑い飯は02年、初めての決勝進出で3位に入ってから、常にマークしなければならないコンビだった。

 ただ、笑い飯は、テレビマンにとってなかなかに厄介な相手だった。09年に笑い飯を担当した山口が振り返る。

「笑い飯は、本気で『優勝したい』って言ってくれないんですよ。ふざけた感じでは言ってくれるんですけど。毎年毎年、いろんな担当者が言わせようとチャレンジしたんですけど結局、ダメで……」

 笑い飯は「本気」を人に見られることを極度に嫌った。山口が続ける。

「本番前、ネタ合わせをしているとき、他のコンビは2メートルぐらいまで近寄って、横顔とかを撮るんです。でも、笑い飯は、5メートル以内には近づけませんでした。そういう空気を発していたので。笑い飯は、僕らにとって『ネクスト・ダウンタウン』でしたから。デリカシーのない行動は慎まなければならないという緊張感が常にありましたね」

 朝日放送にとって、M-1に携わっている以上、ダウンタウンに次ぐ次世代のスターを誕生させることは使命であり、悲願でもあった。そして、その大本命が「ミスターM-1」こと笑い飯だった。

 09年、そんな笑い飯が、山口が回しているカメラの前で初めてストレートに「優勝したい」と口にした。

 西田は学園祭へ向かうバスの中で「優勝したいっすねぇ」と、あっさり陥落した。残すは哲夫だ。苦手意識が強かった哲夫に対しては、まずは「今日はネタの話だけしましょう」とお好み焼き屋に誘い出した。哲夫はネタの話なら語り飽きることがなかった。得意になって歴代のM-1ネタの解説を始めた。哲夫が上機嫌に酔ってきたところで、ここぞとばかりに山口は水を向けた。

「……でも、今年こそ、優勝したいっすよね」

「そら、優勝したいわ」

 その瞬間、山口は心の中で渾身のガッツポーズを決めた。

 哲夫の「優勝宣言」を撮った翌日、山口が会社でその報告をすると、周囲の同僚から拍手が沸き起こった。

「いろんな人に言われましたよ。『ついに言わせたんですか』って。笑い飯の中にも、もう、そこは素直に言ってしまわないと勝てないという思いがあったんじゃないですかね」

 M-1における最大の山場は準決勝である。決勝に進出さえすれば「ファイナリスト」として全国放送の漫才番組でネタが披露できる。一方、準決勝で散ったら何も残らない。そのため、演者は、もっとも自信のあるネタを準決勝にぶつけてくる。笑い飯はその年、当然のことながら、『鳥人』を選んだ。山口がその時の様子を思い出す。

「とにかく、どんだけウケてんねん、っていうくらいウケたんです。他にもウケてるコンビはいましたけど、笑い飯だけは別格でしたね」

 近年稀に見るほどの会心のネタが完成し、優勝宣言も飛び出した。山口の中では、ほぼ笑い飯の優勝ストーリーができあがっていた。あとは決勝でネタを2本見せるだけ。そう信じて疑っていなかった。

 笑い飯を慕うとろサーモンの村田秀亮は、そのときのことを今でもはっきりと覚えているという。決勝直前、たまたま大阪で哲夫とタクシーに同乗した。決勝ステージの1本目は『鳥人』でいくつもりだと話す哲夫に「2本目は?」と尋ねた。

「『チンポジ』やねん」

「めちゃくちゃいいっすね! その2本、最強っすよ!」

『チンポジ』は結成2年目くらいにつくったネタで、村田は劇場で何度も観たが、その度に爆笑していた。

 ネタの終盤、ラグビーのキッカーがチンチンのポジション、つまり「チンポジ」が気になって、なかなか蹴ることができないシーンが出てくる。しきりに股間のあたりを気にする西田に対し、哲夫は「チンポジ気にすな!」と連呼する。そこが最大の山場だった。村田が言う。

「あそこがたまんない。あまりにもバカバカしくて。M-1でもバチくそウケると思っていました。そやのに、あんなことになって……。僕もどこかズレていたんでしょうね」

 結論から言うと、最終決戦で選んだネタ『チンポジ』は残酷なまでに滑った。出だしから客の反応はイマイチだった。西田が振り返る。

「最初、野球のキャッチャーをやるところがあったじゃないですか。あの時点で、もう『ん?』っていう感じはありましたけどね」

 哲夫の表情もやればやるほど曇っていった。

「あのネタ、どこでもバカウケしてたんです。でも、ドカンと来るところでも全然、きませんでしたね」

 ドカンとくるはずの部分は、むしろトドメとなった。哲夫が意地になって「チンポジ気にすな!」と叫べば叫ぶほど、客は困惑し、笑いは引いていった。

 大失速の原因は、どこにあったのか。西田はこう分析する。

「じつは1本目で100点が入ったとき『やば』って思ったんすよ。2本目がチンポジやったんで。『何これ?』ってならへんかな、と。客の期待値が相当、上がっちゃうじゃないですか。僕らはバカバカしくて、そこがいいと思って選んだんですけど」

『鳥人』はくだらなさに加え、こちらの想像力を刺激するアーティスティックな要素も兼ね備えていた。その日の審査員と客はそこに酔いしれた。一方、『チンポジ』は徹頭徹尾、バカバカしいだけのネタだった。

 村田は、そのギャップに「さすが」と痺れた。芸人としてカッコイイとさえ思った。だが、M-1の審査員や観客にとって、そのギャップはギャップでしかなかった。1本目の酔いが深かっただけに、酔いから醒めたときの失望も大きかった。

 最終決戦は、7人の審査員の投票制で優勝者が決まる。笑い飯に投票した審査員は1人もいなかった。審査員のひとり、オール阪神・巨人のオール巨人はあきれ顔で言う。

「そら、引くよね。あそこのお客さんに下ネタはあかんわ。(勝負を)捨てたのかな。やりたいものをやればいいという場ではあるけど。あれだけ滑ってたら、入れられん。だから、むしろ選びやすかったですよ」

 優勝したのは、完成度の高い漫才を2本そろえ、満票を獲得した初出場のパンクブーブーだった。
 

2009年のM-1で優勝したパンクブーブー

「本気で獲るつもりだった」

 よりによって、なぜ、あの場面で『チンポジ』だったのか。西田はこう明かす。

「それまでのM-1って、何よりも無茶苦茶なやつを見たい、っていうのがあったと思うんです。それこそ、丸太ん棒を振り回してるやつを見たいというか。でもテクニックとか完成度が評価されるようになってきて、自分の中で、古きよきM-1を取り戻したい、みたいな感情が湧きおこったんかもしれません。それで『チンポジ』みたいなバカバカしいネタをやりたくなった。最新兵器を持っている相手に、丸太ん棒をぶん回して勝ちたかった。わざと獲り行かんかったんやろとか言われるんですけど、そんなことはなくて。あれで本気で獲るつもりだったし、獲れると思っていたんです」

 かつて「ネクスト・ダウンタウン」と目された笑い飯だが、彼らは現在、冠番組さえ持っていない。その理由も、おそらく、ここにあった。彼らが本気になればなるほど、いわゆる「世間」からは逸脱していく。

 かつて笑い飯のマネージャーを担当し、現在はNGK(なんばグランド花月)の総支配人を務める吉本興業副社長の奥谷達夫は、こうもどかしい思いを吐露した。

「われわれの責任もあるのでしょうが、彼らが持っている能力の、まだ20、30%ぐらいしかお客さんに伝わっていないと思うんですよね……」

 笑い飯がまだ世に出る前から付き合いのある元アジアンの馬場園梓は、笑い飯のことをこう表現した。

「2人は最初からおもしろかった。神なんですよ、ホントに。普通、芸人はおもしろくなるために階段を上っていかなければならない。でも2人の場合は、一般の人にもわかりやすいよう、こっちに下りてこなければならなかったんだと思います」

 2人は、下りてきた。でも、まだ下り切れてはいないのだろう。

 今以上にクレイジーで、ゆえに今以上に神様に近い場所にいた頃から笑い飯の影響を受け続け、目下、超売れっ子になったコンビがいる。

「最初は、こういう大人にだけはならんとこうと思いましたけど」

 千鳥の坊主頭の方、大悟が初めて5つ年上の哲夫と西田に会ったのは、18歳のときだった。

(文中敬称略、以下次号)
 

source : 週刊文春 2021年11月11日号

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