週刊文春 電子版

“小室さんより眞子さんだ” 秋篠宮の怒り 60分の同席、哀しき“家族葬”

《小室さんは問題外 眞子さん“国民無視”に父の衝撃》《川嶋辰彦さん 眞子さん結婚直前に流れた「容態回復」》《辰彦さん「眞子さんの絵」と皇室への本音》《佳子さま 宮内庁を震撼させた“過激な一言”》《小室圭さん 経歴がまた書き換えられた》

「週刊文春」編集部

PICKUP!

ニュース 皇室

 愛娘の結婚について、〈皇室としては類例を見ない結婚〉と評し、〈ご迷惑をおかけした方々に誠に申し訳ない〉と謝らざるを得なかった秋篠宮。そのお気持ちの奥にあるのは、諦めでも、悔恨でもなく、“怒り”だという――。

 東京・目白の学習院大学教員住宅前。午前6時半、淡いピンクのワンピースに身を包んだうら若き女性が、両親と弟とともに姿を見せた。彼女はきょう、嫁いでゆく。両親は、最愛の娘をどう見送るか、前日に“予行演習”を行った。

「娘なのだから、頭など下げずに手を振って送り出したい」

 そう言う父に、母は、

「妃殿下になるのですから、お辞儀してください」

 とたしなめた。だが父はその朝、結局手を振った。娘を乗せて皇居に向かう車が見えなくなるまで――。

 1990年6月29日。学習院大学名誉教授・川嶋辰彦氏に見送られた秋篠宮妃紀子さま(55)の、若かりし日の姿である。

結婚する紀子さまを送り出す川嶋氏

 31年の月日が流れ、今度はご自身が娘を見送る立場になられた紀子さま。予期せぬ別れが訪れたのは、娘が巣立ってから、僅か9日後。11月4日午前11時55分、川嶋氏が東京都内の病院で息を引き取った。享年81。孫娘の眞子さん(30)と小室圭さん(30)の結婚を見届けてからのことだった。
 

 

「川嶋氏が病院に緊急搬送されたのは、眞子さんの結婚を1週間後に控えた10月19日のこと。集中治療室で手当てを受けていた川嶋氏のもとへ、紀子さまとお子さま方がその日のうちにお見舞いに駆けつけられたことからも、容態は深刻なのではと囁かれました」(宮内庁担当記者)

 一方で、スポーツニッポンが22日、ネット版で〈本人は意識があり、周囲と話もできている〉という川嶋氏の関係者のコメントを報じるなど“容態回復”情報も流れた。

「もし入籍前に万が一の事態が起きれば、当然秋篠宮家の皆さまは喪に服さなくてはなりませんし、入籍、結婚会見どころではなくなる。そのため我々記者の間にも緊張感が走りましたが、確かに一時、さほど深刻ではなくお話もできているようだ、との話が出回りました。こうした情報もあり、警戒感は徐々に薄まっていった。そんな中、無事に眞子さんは結婚を果たしました」(同前)

 10月29日には、眞子さんが小室さんを伴ってお見舞い。それ以降も、眞子さんは1人でたびたび病院を訪れていた。

 眞子さんの最愛の祖父は、どのような人物だったのか。

 川嶋氏は1940年、東京都生まれ。東京大学経済学部に進学し、73年からは学習院大学経済学部で教鞭を執った。専門は計量経済学だったが、「どんな立場であっても命は等価という信条」(知人)のもと、授業では被差別部落問題なども取り上げた。

「経済学はお金を儲けるための学問ではない。どうすれば適切な再分配ができるのか、考え抜くのが経済学です」

川嶋氏

 周囲にはこう語り、97年ごろからは、タイで農村を支援するボランティア活動にも熱心に取り組んだ。

 元NHKディレクターで、現在はカンボジアでNPO法人「カンボジアコットンクラブ」を運営する古澤敦氏が語る。

「カンボジアに産業を作りたいと考えていた7年ほど前、川嶋先生がタイ北部の村で養蜂をしていると聞き、教えを請うために会いに行ったのです。タイの村では、髭が胸の辺りまで伸びた川嶋先生が、Tシャツに短パン姿で気さくに出迎えてくださいました」

「“タツ”と呼んでください」

 2人の年齢差は約30歳。しかし川嶋氏は、息子ほど年の離れた古澤氏にこう告げたという。

「“川嶋先生”などと呼ばないでください。そう呼ばれては、自由な議論ができません。それは大変惜しいことです。“タツ”と呼んでください」

 タイでも、周囲に常に「喉は渇いてないですか? お食事は足りていますか?」と気を遣い、自分のことは後回し。農村での衛生指導では、トイレの建て替えのため、率先して身体を動かすなど「まさに行動する知性」(古澤氏)だった。衣服や身につけるものには無頓着。川嶋氏はとにかくモノを大切にする人で、古澤氏が学習院大学を訪問した際も、長年乗っている「極めて庶民的な」(同前)車を自ら運転し、古澤氏を迎えに来てくれたという。

 住まいにもこだわりはなかった。紀子さまが育った3LDKの教員住宅に長く住み続け、終の棲家となった新宿区のマンションを購入したのは2000年、川嶋氏が60歳になる年のことだ。

 どこか浮世離れした雰囲気を漂わせていた川嶋氏。一方で、娘や孫への愛情も垣間見せていた。森ビル出身で、学習院大学経済学部の非常勤講師を務めた経験もある礒井純充氏が語る。

「まだ眞子さんや佳子さまが幼いころ、川嶋先生の研究室には、お孫さんの描いた絵が何枚も飾ってありました。絵には可愛らしい字で“まこ”“かこ”と書いてあって。中には髭をたくわえたお爺さんの絵もあったので『これが川嶋先生ですね』と言ったら、笑っていました」

 資料が所狭しと並べられた研究室にはおよそ似つかわしくない、子どもらしい絵。川嶋氏は、

「よく描いて、持ってきてくれるんです」

 と目を細めたという。

 98年、川嶋氏がモデレーターを務める社会人向けの講座に、紀子さまがお忍びで訪れられたこともあった。紀子さまの帰り際、川嶋氏はエレベーターホールまで見送りに来たが、紀子さまはエレベーターから顔を出して、いつまでも手を振り続けられた。

「そんな紀子さまに、川嶋先生も扉が閉まるまで手を振っていました。その光景は微笑ましくもあり、少ししんみりするものでもありました」(前出・礒井氏)

 娘や孫娘を思う、祖父としてのありふれた横顔。だが、近年の皇室との交流は「秋篠宮ご一家の誕生日に宮邸を訪れたり、親族として参加すべき最低限の行事に出席する程度」(前出・記者)。皇室とは一貫して距離を置いていた。

「タイの村では、僕たちは夜になると蚊帳の下で、物理学や経済学、数学など、さまざまな事柄を語り合いました。しかし、皇室については一言も触れることがありませんでした」(前出・古澤氏)

学習院大から一緒に帰ることもあったという

 紀子さま婚約スクープの当事者であり、川嶋氏とも親交があった元朝日新聞記者の内藤修平氏が語る。

小室さんや佳代さんを「あちら」

「川嶋氏は紀子さま結婚の前日にも『僕は紀子さまとか妃殿下と呼びたくない』と言って、奥さんから『ダメですよ。もう妃殿下なんだから』と返されていました。川嶋氏は皇族であっても特別視するのではなく、あくまで人間として接したいと考えていたのかもしれません」

 だが、紀子さまが06年に悠仁さまを出産され、秋篠宮家は「将来の天皇を擁するご一家」となった。そのことは、川嶋氏が望んだ「皇族としてではなく人間同士の交流」を、より難しくしたのかもしれない。

“皇室への本音”を胸にしまい、旅立った川嶋氏。11月6日、川嶋氏の自宅マンションでは、家族葬が行われた。

 午後3時半ごろ、小室夫妻が警備車両に先導され、タクシーで到着。車を降りた眞子さんは、ドアを開けてくれた運転手に挨拶する小室さんを待つことなく、足早に建物の陰へと消えていった。それから15分ほど後には、秋篠宮ご一家を乗せた車も到着し、マンション内で小室夫妻や親族らと合流された。

川嶋家の葬儀に訪れた小室さん夫妻

「秋篠宮ご一家は1時間ほど滞在され、午後5時過ぎに川嶋邸を辞された。帰路の紀子さまはうつむき加減で、車の窓ごしに見ても明らかに憔悴なさったご様子でした。一方、それ以降も小室夫妻は滞在を続け、マンションを後にしたのは午後7時半のことでした」(前出・記者)

 パスポートやビザの手配ができ次第、眞子さんは渡米し、生活の拠点をニューヨークに移すことになる。この日は祖父のみならず、川嶋家の人々とも別れを惜しんでいたのだろう。だが、紀子さまをはじめとする秋篠宮ご一家が同席したのは、わずか60分ほどだった。秋篠宮に近い人物が解説する。

「秋篠宮さまはいま、眞子さんに対して怒りの感情を抱いていらっしゃるようです。小室さんはもはや眼中になく、考慮の埒外にある。いわば問題外です。怒りの矛先はあくまで“小室さんより、眞子さん”なのです」

 17年末に小室さんの母・佳代さんの金銭トラブルが発覚し、翌年、秋篠宮は誕生日会見で「多くの人が納得し、喜んでくれる状況」になることを求めた。だが結局、秋篠宮の望まれたものとはほど遠い状況下で、眞子さんは結婚を“強行”した格好だ。

「18年2月の結婚延期から約3年8カ月にわたり、眞子さんはご両親とろくに話をせず、小室さんとばかり話を進めていました。たとえば眞子さんは会見で『海外に拠点を作ってほしいと私がお願いした』と説明しましたが、秋篠宮さまはこうした眞子さんの計画について『小室さんはいつか留学したいようだ』という程度しか聞いておられなかったのです」(同前)

 このころはまだ、秋篠宮が抱いておられたのは、小室さんへの不信感に過ぎなかった。

「秋篠宮さまは小室さんや佳代さんのことを『あちら』と呼ばれ、名前すら出そうとされなかった。一方、眞子さんに対しては、小室さんと遠距離になっている間に冷静になるのではと期待なさっていたようです」(同前)

 だが、その後も眞子さんは、ご両親に対して結婚についての話題を避け続けた。かと思えば、宮内庁参与に対し「儀式も一時金も要らないので結婚したい」と直談判することもあった。昨年11月には「結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択」と強く主張する「お気持ち文書」を発表された。

 秋篠宮にとって衝撃を伴う決定打となったのは、10月の結婚会見における眞子さんの態度だったという。

「眞子さんは会見で、何度も『感謝』を口にされましたが、『私のことを思い静かに心配してくださった方々』や『事実に基づかない情報に惑わされず、私と圭さんを変わらずに応援してくださった方々』に感謝します、との枕詞がつけられた。国民を、自らの応援団と、非難した人々に分断するような物言いからは、平成の皇室が何より重んじてきた『国民と共に歩む』、『国民に寄り添う』という気持ちが感じられませんでした。むしろ“事実に基づかない情報”に惑わされた国民への怒りが滲んでいた。あれでは国民を無視しているに等しく、『国民の納得と祝福』を求めてきた秋篠宮さまと真っ向から対立する内容でした」(同前)

 一方、秋篠宮が結婚当日に発表されたコメントには異例の表現があった。〈皇室への影響も少なからずありました。ご迷惑をおかけした方々に誠に申し訳ない気持ちでおります〉と述べ、〈皇室としては類例を見ない結婚〉と評した。皇嗣が慶事に出されたとは思えぬ異例の発言である。

秋篠宮と紀子さま

「これではまるで、眞子さんに代わってご両親が国民に謝罪をしているようなものです。ご両親に綿密に相談することなく、勝手に話を進め、国民へのお詫びの気持ちも伝わらないまま結婚してしまった眞子さんに対し、秋篠宮さまは衝撃を感じ、怒りを覚えていらっしゃるのです」(同前)

 早くから小室さんと“2人だけの世界”を築き、両親に、ひいては国民に向き合おうとしなかった娘への、秋篠宮の怒り――。

 さらにもう一つ、波紋を広げているのが妹の佳子さま(26)のコメントだ。

「佳子さまは19年3月の大学卒業の際に『姉の一個人としての希望がかなう形になってほしい』と述べられるなど、当初から眞子さんの結婚を応援してこられた。その佳子さまが、眞子さん結婚の日に発表されたコメントの過激な一言に、宮内庁は震撼したのです」(皇室担当デスク)

 佳子さまはコメントで、こう綴られていた。

〈結婚に関して、誤った情報が事実であるかのように取り上げられたこと、多くの誹謗中傷があったことを、私もとても悲しく感じていました〉

佳子さまは小室さん夫妻の味方

 前出のデスクが言う。

「結婚会見でも小室さんが『誹謗中傷が続いたことにより、眞子さんが心身に不調をきたした』と述べましたが、これはあくまで民間人の発言。また、眞子さんの結婚前に複雑性PTSDを公表した際、皇嗣職大夫は『(眞子さんが)誹謗中傷と感じられる情報』と眞子さんの主観に依って説明し、“誹謗中傷”と断定することは避けました。しかし佳子さまは内親王のお立場で『多くの誹謗中傷があった』と断じた。当事者ではない佳子さまが、眞子さん側の言い分だけを信じて、極めて異例の発信をなさったのです」

 会見会場となったホテルでも眞子さんに付き添われた佳子さま。会見前には小室夫妻とともに昼食をとられ、会見の最中には隣室に待機されていたという。

「会見から約3時間後、小室夫妻や佳子さまがホテルを後にされました。そこには眞子さんの結婚を祝うべく集まった一般市民もいたのですが、佳子さまは車内から会釈をすることもなく、氷のような表情を浮かべておられた。国民への憤りが表われているようでした」(前出・記者)

 秋篠宮の思いとは裏腹に、国民との断絶を深める姉妹。さらに、その引き金となった小室さんをめぐっても、いまだ身辺が騒がしいという。

 小誌は前号で、ニューヨーク州司法試験の不合格に際し、小室さんの所属する「ローウェンスタイン・サンドラー」の公式ホームページ(HP)が日本のIPアドレスからのアクセスのみを拒否していたことを報じた。じつは、そのHPの内容にも、ある“変化”が起きていた。

 小室さんを紹介するページの「EDUCATION」(学歴)欄には、当初はこう記載されていた。

〈Fordham's JFK Profile in Courage and Sweat Equity Award〉

 だが、日本以外のIPアドレスを利用して同じページにアクセスしてみると、この「JFK賞」の記載がすっかり消えているのだ。

「学歴欄をめぐっては、この『JFK賞』が、オバマ元米大統領が受賞した高名な賞と同じ名称だったことから、『本当に小室さんはこの賞を取ったのか』と物議を醸しました。そのため、最初は無かった〈Fordham's〉という文言が途中で付け加えられるなど、事務所側も対応に苦慮している様子だった」(同前)

書き換えられたHP

 紆余曲折を経てこの賞の記述は削除されたが、代わりに新たな記述が追加されていた。ニューヨークを拠点とする多くの新興企業などで司法インターンとして働いた経験があることや、ニューヨーク弁護士会の主催する論文コンペで優勝したこと、前年には同じコンペで2位だったことをアピールする長文だ。

「10月下旬にコンペ優勝が発表されたことで、小室さんはこれが実績となると判断して、紹介ページに加えたのでしょう。しかし、そもそもこの論文コンペの知名度は、NYでも決して高くはありません」(同前)

 紀子さまは結婚にあたり、当初、母・和代さんから「よく考えてみましょうね」と諭されていたという。月日が流れ、母となった紀子さまは、幼い悠仁さまを叱られる際にも同じ言葉を口にされた。子どもの自主性を重んじる、秋篠宮家と川嶋家に共通した教育方針。「自分でよく考えてみる」――その帰結は、眞子さんが小室さんと2人で歩んでいくことだった。

source : 週刊文春 2021年11月18日号

文春リークス
閉じる