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大河「青天を衝け」渋沢栄一に学ぶ|三木谷浩史

三木谷浩史「未来」 第21回 

三木谷 浩史
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 普段はあまりテレビドラマを見ないが、12月末で最終回を迎えるNHK大河ドラマ「青天を衝け」は興味を持って見てきた。自分が起業家として人生を歩んできたせいか、吉沢亮さん演じる主人公の渋沢栄一の生き方に勉強になる要素が多いように感じられたからだ。

大河ドラマでは吉沢亮が演じている渋沢栄一

 NHKのドラマではあまり描かれなかったけれど、伝記や渋沢について書かれた本を読むと、彼は派手な芸者遊びをしたり、妾が何人もいたりして、たくさんの隠し子を持った好色な人物でもあったという。

 もちろん、社会的な背景は今と全く異なるわけだが、そうした破天荒な人間臭さにも、何とも言えない面白さがある。

 三菱財閥を築き上げた渋沢のライバル・岩崎弥太郎もそうだが、やはり明治という時代にあって、彼らが海外から受けた刺激はとてつもなく大きいものだったのだろう。

 渋沢が初めて海を渡ったのは、1867年の第2回パリ万博の時。江戸幕府最後の将軍である徳川慶喜の弟・徳川昭武に付き添い、警護の水戸藩士たちのまとめ役として渡仏した。よく知られている話だが、そのパリでの1年半の滞在経験が、後に500以上の会社の設立にかかわり、「資本主義の父」と呼ばれる彼の原点となったわけだ。

 パリでの滞在で渋沢が熱心に学んだのは、ヨーロッパの経済に関する法律、株式会社の意味や銀行の仕組みだった。もともと算術に長けて会計係として随行した彼の目に、西欧の近代的な金融システムや街の姿はどのように映ったのか。

『貞観政要』の逸話

 今の埼玉県深谷市の豪農の生まれで、もともとは激しい尊王攘夷論者だった渋沢の中に生じたカルチャーショック――そんなことを自分なりに想像してみるのは楽しい。おそらく、1年半ぶりに戻ってきた日本は、文字通り300年、400年は遅れているように感じられたのではないだろうか。

 僕は父親の仕事の関係で小学生時代をアメリカで過ごし、日本興業銀行に勤めていた20代の時もハーバード大学に留学した。海外から日本を見ることの意味は、それなりに身に染みているつもりだ。海外の体験によって、自分の住む国の姿は少なからず相対化され、時に人生をガラリと変えてくれることもある。

 経営者になった今も、その感覚は変わらない。だからシリコンバレーにも家を持っているし、現地の起業家や経営者の友人たちと話したりしていると、本当に色々な刺激を受ける。

 そうした中で折に触れて実感することがある。それは、「未来」とは、「いつも半分くらいは見えているが、残りの半分はまだ誰にとっても暗闇の中にある」ということだ。

 仮説を立て、その半分だけ見えている「未来」に果敢に分け入り、暗闇の中にある道なき道を進む者だけが、その先にある世界を本当に作り出していける。けれど、ブレーキを踏まずに暗中模索で進んでいくためには、覚悟が、いや、“ぶっ飛んだ感覚”がどうしても必要になる。日本の資本主義の父とも言える渋沢栄一もまた、まさにそのような実業家であり、超がつくほどのアントレプレナーだったのだろう。

 7世紀前半の唐の皇帝・太宗の統治を取りまとめた中国の古典で、ビジネスの世界でもよく引用される『貞観政要』には、リーダーの心得を説いた「三鏡」という有名な逸話がある。

 3つの鏡――すなわち「銅の鏡」で自分の表情を確認し、「歴史の鏡」で過去から物事の盛衰を学び、「人の鏡」でいまやっていることを周りがどう思っているかを知り、自らの行いを省みる。この3つの鏡を持つことが、組織を率いる者にとって重要だというものだ。

 僕はこの『貞観政要』の逸話を気に入っていて、楽天で常識を打ち破るような事業を考えたり、ここぞという重要な経営判断を行ったりする時には、「歴史の鏡」を見るようにしている。「渋沢栄一だったらどうするかな」「でも、岩崎弥太郎ならこういうアプローチで行くかもしれないな」などと考えて、大きく舵を切っていく。

迫力ある経営者が減った

 振り返れば、戦後の日本には渋沢栄一や岩崎弥太郎と同じように、未来を見て行動していた起業家が数多くいた。本田宗一郎しかり、松下幸之助しかり、盛田昭夫しかり……。彼らの一人ひとりが、おぼろげながらに見えた「未来」の向こう側へと進んだ人物に他ならない。例えば、盛田昭夫がソニーというエレクトロニクスの会社で、コンテンツの領域に踏み出したのは、その象徴的なケースだろう。

 ただ、残念ながら、彼らのような迫力ある日本の経営者は、1980年代前半から中頃にかけての「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と謳われた時期を境に、減っていったように感じられる。

 それは日本が豊かになったことと無縁ではないだろう。既存のビジネスが大きくなりすぎると、「君の言う通り、未来はそうなんだろうね。ちょっと協力するよ」「それは確かにそうなる。面白い」と言うばかりで、その先にある暗闇へとどうしても踏み出し難くなる。

 もちろん、既存の事業を守ったり、成功したモデルを真似して導入したりしていくことも、立派なビジネスだ。特に日本は昔から、他国のビジネスを自国流にカスタマイズするのが得意と言われる。

 だけど、この連載でも綴ってきたように、「ものづくり日本」という過去のキーワードに囚われ続けていては、世界を変えていく凄まじいスピード感についていけない。ロボットやAIの技術は日進月歩で進んで、ブロックチェーンのような新しい技術も次から次へと生まれる時代だ。

 僕は、未だ見えていない「未来」の領域に半歩先、一歩先と踏み出していく生き方を選びたい。そんな“令和の渋沢栄一”のような人生に、何よりも大きな魅力を感じるのだ。

(みきたにひろし 1965年神戸市生まれ。88年に一橋大学卒業後、日本興業銀行(現・みずほ銀行)に入行。退職後、97年にエム・ディー・エム(現・楽天グループ)を設立し、楽天市場を開設。現在はEコマースと金融を柱に、通信や医療など幅広く事業を展開している。)

source : 週刊文春 2021年11月25日号

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