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細木数子がズバリ溺れた「男とカネ」 年収24億も寂しき晩年

《40歳上総理指南役との“後妻業”トラブル》《朝青龍を心酔させた「ズバリ言うわよ!」“八百長鑑定”》《本当に愛した男は「ヤクザ親分」と魔裟斗だった》《島倉千代子12億円借金を10億値引きのコワモテ交渉術》

「週刊文春」編集部
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「あんた、地獄に落ちるわよ!」。歯に衣着せぬ毒舌を売りに、視聴率女王の座に就いた占術家がこの世を去った。著書は1億部を突破し、莫大な財と名誉を得ながらなお、男とカネを追い求めた怪女。その数奇な人生を辿る。

 関西の“テレビ女王”上沼恵美子が、完成間もない京都の細木数子邸に招かれたのは約20年前のこと。

 玄関のバカラの傘入れに驚くと「1000万」。玄関の赤松の一枚板に驚くと「500万」。細木からはすぐに値段が返ってくるのだった。

 上沼が振り返る。

「いやらしい、でも大阪的には値段で言うてもらうのが一番わかりやすい(笑)。そりゃもう凄いお家でしたよ。大きな仏壇の前にはマスクメロンがみかんみたいに山盛りになっていて、ゴロゴロゴローンてこっちに崩れて転がってくるんです。それだけ聞いたらイヤミやなと思うかもしれませんけど、あの方にだけ許される世界でしたね。だから先生もしんどかったんじゃないかと思います。そのイメージでずっといかれたので」

 11月8日、占術家の細木数子が呼吸不全で、東京・神楽坂の自宅で亡くなった。享年83。

テレビ出演料は1本400万円と公言

 毎年発行される六星占術の本は大ベストセラーに。60代半ばから民放の冠番組を持つや、タレントたちを「鑑定」の名のもと、厳しく公開説教。その歯切れの良さで、瞬く間に視聴率女王となった。

 2004年の細木の番組で突然、「モンキッキー」への改名を命じられた芸人のおさるが舞台裏を明かす。

「実は2、3年前から『名前が良くない』と言われていました。それを100人の芸能人が出る特番で、アドリブで改名を言い出して、番組のハイライトにする。エンターテイナーですよね」

 だが、キラキラの成功を収めた後半生をオセロのように裏返せば、歓楽街として知られた渋谷の百軒店で生まれ育った前半生が立ち現れる。中学生で実家のおでん屋のカウンターに立ったのを皮切りに、高校時代からキャバレーのホステスに。17歳で喫茶店やクラブの経営に乗り出し、銀座、赤坂と水商売を踏み台にのし上がっていったのだ。

 2006年に「週刊現代」で経歴を検証した「細木数子 魔女の履歴書」を連載し、6億円の損害賠償請求裁判(被告は講談社社長)を起こされたジャーナリストの溝口敦が語る。

「巨星墜つ、という言葉がありますが、大魔女が墜ちたという感想です。彼女が生まれた百軒店は稲川会や安藤組などヤクザの縄張りで、実姉の夫も安藤組幹部。細木自身もクラブに客で来た小金井一家総長の堀尾昌志にベタ惚れし、内縁の夫にした。彼女の人生はシノギのネタ元に出会っては利用し尽くし、また次のシノギを見つけていく女ヤクザだったと言えるでしょう」

 細木がテレビ画面に初めて姿を現したのは1977年、39歳のとき。人気歌手、島倉千代子の“後見人”として記者会見でその傍らに付いていたのだった。島倉の恋人が12億円もの借金を作って姿を消し、保証人となっていた島倉のもとに、債権者たちが押し寄せる大騒動となっていた。

1977年、島倉千代子と“借金”会見に臨む

 細木は強面の面々を前に、堀尾が工面した2億4000万円の札束を目の前に積み上げ、こう啖呵を切った。

「今はこれだけしか用意できません。この額で納得して頂けた方には、この場でお支払いしましょう」

 そうして次々と手形を買い取り、借金を10億円近く値引きしたのである。

 溝口の記事ではその後、細木が島倉の興行主となって徹底的に搾取したとある。一方、細木は小誌の取材にこう説明していた。

「借金問題にメドがつき始めると、お千代は食事がまずい、お金をくれないなどの不満を外部の人に洩らすようになりました。それで当時は、“やり手婆”の細木と、“こき使われる歌手”のお千代、といったイメージで語られることが多かったように思います。(中略)2年半あまり、2人で一緒に頑張ってきたのに、お千代とはそれっきりです」(06年6月15日号)

 それから占術家に転身した細木は82年、初の著書を出す。「六星占術による運命の読み方」(ごま書房)はベストセラーとなった。

写真1枚撮るたび皆が拍手

 そして翌年3月、細木は陽明学者の安岡正篤(まさひろ)と出会う。昭和天皇の「終戦の詔勅」の草稿に朱を入れ、佐藤栄作から中曽根康弘まで歴代総理の指南役としても知られた大物である。

1983年、細木の店を訪れた安岡氏(右)

 当時85歳の安岡は、出会ってすぐに40歳年下の細木の自宅に通う関係となる。家族から酒を控えるように言われていた安岡に昼からお酌をし、時には下の世話までしたという。半年足らずで安岡は結婚の「誓約書」を書いている。

 今で言う“後妻業”を彷彿とさせる急接近に安岡の家族は警戒。大阪の住友病院に入院させたが、入籍を済ませていた細木はマスコミを引き連れて病院まで押し掛ける大騒動を起こした。

 同年12月に安岡は死去。遺族からは婚姻無効の請求がなされ、細木も初七日の後、籍を抜いている。

 易学者としても高名な安岡への接近は、六星占術の箔づけのためとも言われた。当の細木はこう語っている。

「なかったと言ったらウソになるでしょう。先生のお世話をすることで、金銭的にではなく、名誉やステイタスにつながるという気持ちはありました。

 でも、先生と接していくうちに、そういう気持ちがなくなっていくから不思議です」(「週刊文春」06年6月22日号)

 安岡の死後、実際にその威光は輝いた。毎年刊行の「六星占術によるあなたの運命」シリーズは累計約1億部を超え、ギネス記録に。

 2017年まで出版したKKベストセラーズ(現ベストセラーズ)の元会長・栗原幹夫が語る。

「一番売れた時は1年で1000万部。我々は細木先生の影も踏まず、いつも気を遣っていた。表紙の写真撮影が一番大変でね。毎年撮影には私を含めて社員7、8人行って、1枚撮るたびに皆が拍手するんだ(笑)」

 03年10月からは携帯電話で六星占術の公式サイトをスタート。月額300円の有料会員は、最高時には150万人となったという。

 配信元の「サイバード」創業者・堀主知(かずとも)ロバートは、伝手をたどって細木との契約にこぎつけるが、本人との面会は何度望んでも叶わない。スタートから2年後、売上は2桁の億にまでなった。すると契約更新時に突然、細木から「契約を切る」と通告される。「これだけ世話になっておきながら、挨拶も来ない奴はダメだ」という理由だった。

 堀が明かす。

「先生は『本当に来ようと思えば、押しかけてでも来られるだろ』と。慌ててその日のうちに新幹線で京都まで駆け付けました」

 京都の自宅を訪ねると、番頭格のスタッフが「追い返せと言われている」と通さない。5通用意してきた手紙を電柱に張り付けて待つと、スタッフが回収に出てくる。そうしてやっと本人との対面が叶った。

敷地面積約1500坪の京都の別宅

 細木の指に光る巨大なダイヤを目にした堀は、宝石の知識を総動員して話題を広げた。そうするうちに細木から、「過去を水に流して、一緒にやっていこうか」という言葉が出る。だが、ホッとしたのも束の間、

「私の取り分だけど、20%を●●%にしなさい!」

 とんでもない割合だった。「それだと会社は成り立ちません」「だったら帰れ」。1時間ほど抵抗したが「男なら腹を決めろ」と、とどめを刺された。

 契約書に泣く泣くサインしたとき、細木は「お前の男気を見た」と、取り分を元の20%に書き直した。

「男惚れする人でした。女ヤクザと言われたりしますが、ヤクザの親分のような人間的大きさがありました」

 堀は急速に細木と親しくなったが、仕事では安心できない。細木がテレビ番組で「あいつは最近出来が悪いから、切ろうと思っている」と軽く言い放つと、翌日から会社の株価は3日連続でストップ安となった。

 細木の著書や携帯サイトの最盛期は、ゴールデンタイムに冠番組を2つ持っていた04年から08年の頃。さらに一人1万円の参加費で行っていた「勉強会」や個人鑑定、墓石ビジネスなどを合わせれば、当時の年収は24億円にも上った。

 収入は個人事務所に入り、細木は給料として毎月5000万円を受け取っていた。オフィスはテレビ局からの高視聴率祝いの胡蝶蘭で埋まり、自宅には高級ブランドの店員が服を届けに通った。お気に入りはアルマーニだったという。

神楽坂の自宅ビルは約3.5億円

「変な女。あの子はダメよ!」

 元横綱・朝青龍のタニマチとなったのも、05年正月の「ズバリ言うわよ!」(TBS系)の特番がきっかけだった。

朝青龍のモンゴル巡業にも同行

「モンゴルでの少年時代や、高砂部屋でのちょっとしたことを言い当てられ、朝青龍は『なんで知っているんですか!』と感嘆した。実は部屋の関係者が番組スタッフに事前打ち合わせで教えていた“八百長鑑定”だったんです(笑)。そこから細木さんに心酔するようになったが、朝青龍も天性の人たらし。『日本のお母さん』と呼ぶと、細木もかわいがって自分のロールスロイスを貸したり、モンゴル巡業に金を出したりしました」(番組関係者)

 朝青龍が息子ならば、恋人のように執心だったのが、格闘家の魔裟斗だった。

「身体の締まった筋肉質の若い男が好きな細木さんにとって、魔裟斗は好みのど真ん中。K―1の試合に勝利した魔裟斗がリングを降りると、人目も憚らず抱き着くなどベタボレでした。タレントの矢沢心と結婚するときには『変な女。あの子はダメよ!』と大反対。魔裟斗も困り果てていましたね」(芸能プロ関係者)

「ボーイフレンド」と呼ばれた魔裟斗

 晩年には前出の堀に、「魔裟斗はどうしてるんだろうね……」と寂しそうに洩らすこともあったという。

 そして08年、細木は突然テレビから姿を消した。

「溝口氏の連載に対する裁判で、暴力団との交際が証明されそうになったのです。裁判は取り下げに近い和解に終わった」(芸能記者)

 だが、事業欲は衰えず、近年意欲を見せていたのは「永代供養」ビジネスだ。

 12年に京都市右京区の寺を買い取ると同時に、休眠状態の宗教法人「光明寺」をブローカーから買い取った。長年の細木の信奉者を代表に据え、高野山で僧籍を取らせると、「洸明寺」と寺の名を改めた。

 長年のマネージャーだった萩原徳和が語る。

「永代供養の本を出すなど思い入れがあった。最後に『終活』として形に残そうとしたんだと思います。(洸明寺には)納骨堂とかも付いていたので、御魂入れだけすればできるんです」

 だが、小誌記者が洸明寺を訪れると人の姿はなく、代表の妻に実態を尋ねると、「もう去年くらいから関係ありません」とだけ答えた。

 昨年6月、神楽坂の飲食店主人は車椅子で通りを進む細木の姿を見かけた。傍らには六星占術の後継者で養女のかおり、その子供である孫と、まだ小さなひ孫。愛犬のトイプードルは家政婦がリードを曳いていた。

 3、4年前までは若い男2人を引き連れ、犬の散歩をしていたという細木。最晩年のボディガードのいらない穏やかな暮らしは、彼女にとって心地の良いものだったのか、それとも物足りないものだったのか――。

(文中敬称略)

source : 週刊文春 2021年11月25日号

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