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木下“ひき逃げ”都議「奇行とウソの履歴書」

「週刊文春」編集部
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「会見をテレビで見ましたが、謝罪する態度じゃないし、彼女は最後まで“ウソ”をついていました」

 小誌の取材にそう語るのは、11月22日夜、議員辞職を発表した木下富美子都議(55)の支援者だ。

 選挙期間中に無免許運転で“ひき逃げ”し、9月に書類送検された木下氏。11月19日には、5月から7月の間に7回、無免許運転を重ねたとして道路交通法違反の罪で在宅起訴された。無免許運転での起訴は異例。それだけ頻度と悪質性が高かったという。

「事故を起こした車は選挙活動に備え、木下氏が昨年秋頃に購入したもの。警察によれば、防犯カメラで無免許運転が確認できたのは『7回』だそうですが、実際は免停になった4月中旬以降、毎日のようにあの車で現場に通っていた。一方通行の道に間違えて入って、慌ててバックして後続車にぶつかりそうになったこともありました」(同前)

約2カ月で7回の無免許運転

 会見では「遵法精神が弛緩していた」と口にした反面、「議員として十分に仕事をさせてもらえない理不尽な現実に悩みました」などと“恨み節”も繰り広げた木下氏。一体、どういう経歴の人物なのか。

 1966年に名古屋市で生まれた木下氏は大手自動車メーカーで販売業務を担った父のもと、母、妹と4人家族で育ったという。

「高校は向陽高校という市内の進学校。特別優秀ではなかったですが、当時から英語は得意だった。あの頃はふてぶてしい感じもなく、素朴な印象の高校生でした」(高校の同級生)

 語学を生かし、東京外国語大に進学。卒業後の90年、大手広告代理店の博報堂に入社した。ブログには〈カンヌ国際広告賞グランプリ受賞のカップヌードル「hungry?」のCM制作〉などの“実績”も記されている。03年には、小池百合子氏が環境相として手掛けた「クールビズ」キャンペーンに参画。12年以降は内閣府に出向し、女性活躍推進などを担当した。

 だが、博報堂の元同僚はこう証言する。

「日清のCMも彼女が制作したというのは、あまりに“盛った”表現です。実務能力に欠けるのに、他のスタッフの企画を自分の手柄のように吹聴するので、社内で嫌われていました。部下を従えるようなポジションに出世することもなかった。大酒呑みで知られ、打ち上げの席で急に踊り出したり、突然泣き叫んだこともありました」

 そうした彼女の“奇行”は、自宅近隣でも確認されている。木下氏は90年代後半までに結婚したと見られ、99年頃に長女を出産。00年12月には、自身の旧姓名義で1400万円のローンを組み、一軒家を購入した。当初は、夫と長女と暮らしていたという。

「それから1、2年してご主人の姿は見なくなりました。シングルマザーで、子育てに苦労されたのだとは思いますが、子どもが思春期だった頃は、親子喧嘩の声が近所中に響き渡っていた。一度は『誰か、助けてー!』と叫ぶ声がして、警察を呼んだこともあったほどです」(近隣住民)

“逃げるが勝ち”メールを入手

 そんな彼女が都政へ足を踏み入れるキッカケとなったのは、クールビズで接点ができた小池氏だった。

「木下氏は維新の政治塾に通っていましたが、その後、16年秋に小池氏が開校した希望の塾に通うようになったのです。17年の都議選では、板橋区(定数5)で都民ファーストの会から出馬。小池ブームの波に乗り、トップ当選を果たしました」(都民ファ関係者)

小池チルドレンだった

 だが、4年前のような勢いはなかった都民ファ。板橋区の候補者を2人から木下氏1人に絞った。

「1人なのに、負ける訳には絶対にいかない!」

 そう漏らしていた木下氏だが、7月4日、得票数3位で2回目の当選を果たす。

 しかし――。

 翌5日、選挙期間中に無免許で“ひき逃げ”していた疑いが一斉に報じられたのだ。都民ファは6日、木下氏の除名処分を発表する。

 ところが、木下氏はこの日、選対関係者に〈この度の事故につきまして〉と題したグループメッセージを送信している。そこには、以下のように記されていた。

〈自民党が辞職キャンペーンを張っています。7/4より3ヶ月以内に辞職すれば、次点の候補者が繰り上げ当選できるためです〉

〈公民権停止となるような事案ではないので、本人を追い込む作戦とのこと。下村博文氏含む自民党3役が総力で号令を出しているが、3ヶ月でだめなら諦める。との話だそうです。(自民党関係者からの情報)〉

選対関係者に送られたメール

 選対関係者の一人が言う。

「板橋区は下村博文政調会長(当時)の選挙区。次点は下村氏の元秘書、河野雄紀元都議です。3カ月以内に木下氏が辞職すれば、河野氏が繰り上げ当選となる。そこで木下氏は“3カ月間辞職せずに粘り切れば、自民党は諦めるから”と伝えてきたわけです。その感覚に唖然としました」

 さらに、都民ファ幹部とのやり取りも明かした。

〈昨晩都民ファーストの会党本部に呼ばれ、幹部と話あいがもたれました。(略)私と党を切り離すため一旦『除名』処分となりましたが、自民党のキャンペーンのことなども承知で、うまく流れを回復できればとの話をされました〉

 別の選対関係者が続ける。

「3カ月逃げれば、いずれほとぼりも冷め、都民ファにも復党できる、と言わんばかりの内容でした……」

 事実、木下氏は雲隠れを続けた。9月28日には二度目の辞職勧告決議が可決されるが、木下氏は議員を続けることをHPで表明。この間、都内のホテルなどを転々とし、いとこによれば、「名古屋の法事にも姿を見せなかった」という。

「それでも辞めなかった背景には、“カネ”の問題もあった。日々の政治活動で、木下氏は『お金を使うのが辛い。すぐに飛んでいく』と漏らしていました。今回の選挙でも、ポスター貼りの時にシールを長めに取ると『使い過ぎ!』と目くじらを立てていたほど。しかし都議を続ければ、年約2000万円の報酬が手に入る。簡単に辞めるわけにはいかなかったのでしょう」(別の支援者)

 だが、最後は“生みの親”である小池氏に「ここはいったん引いて」と促され、辞職を決めたのだった。

 小誌記者は辞職表明の会見で、質問した。

――除名された日の朝、関係者にメッセージで『3カ月で先方も諦める』旨の認識を示されました。ここまで粘ったのは、その認識があったからですか。

「それについては自分としての事実が今時点でしっかり把握できておりません。そちらのネクタイの方――」

議員辞職を表明した

 最後まで“ウソ”で、逃げた木下都議だった。

source : 週刊文春 2021年12月2日号

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