「私が一番笑った話」|清水ミチコ

ナンシー関と私

「週刊文春」編集部
エンタメ 芸能

(しみずみちこ 1960年、岐阜県生まれ。タレント。2013年からは年末年始の武道館ライブが恒例行事に。著書に『三人三昧』『私のテレビ日記』など。)

 

 いつか、亡くなったばかりのナンシーさんと再会したことがありました。と、書くとおかしな話に聞こえるかもしれないけど、いわゆる“枕元に立ってた”、というんじゃなくて、訃報を聞いてしばらくしたある日“私のベッドの横に大人しくいる”、という感じだったのです。

 私は「あ? ナンシーさん」と気がついて、声をかけました。「聞いたよ。びっくりした。こないだ亡くなったんだってね」と言うと、「うん、そうなんだよ」と言います。「でも、よかったじゃん。入院や手術とかでまわりに心配も予感もさせないでさ。本人も驚くほどいきなりってのは、亡くなり方としては理想的だよね」と、確かそんなことを言いました。「いやあ、理想的ではないよ、だってタクシーん中で、苦しかったもん。マジで死ぬかと思った。ま、死んだんだけどね」とナンシーさん。笑いました。この言い方はまさに本人。

 

 ただあとで考えても、ただの夢だったのか、人生初の幽霊体験なのかはわからないままなのですが。でもぜんぜん怖くなかったし、私のところにちゃんと出てきてくれた、というのがしみじみ嬉しかったのを覚えています。ちゃんと出てきてくれた、というのは、私はナンシーさんのことが大好きだったので、自分の哀しみに応えてくれたんじゃないか、と思ったのでした。優しいとこがあったんですよね。私も幽霊になったら、人様をいたずらにビビらせたりしないで、こんな風に出てきて本音で会話ができるタイプになりたいな。

 ナンシーさんの文章が鋭くて痛快なのは有名だけど、普段の会話に、とても味わいがありました。謙虚で嘘がなく、かつ短い言葉が面白い。もしも光浦靖子さんと知り合ってたら、きっとこういうところで波長が合ったのではないかしらと思います。

松尾貴史(左)と清水(右)と消しゴム版画教室を開催(1996年)

 いつかナンシーさんとしゃべってて、すごいと驚いたのは、私が名詞が出てこなくて「あの、ほら、髪の長い」と詰まっていると、「豊丸?」といった感じで“あなたが今思い出そうとしている人はこの名称”と、先に察知する能力がものすごく高いことです。極端に早い。会話の中でこれが何度か続いて、しかも全部当てていくので、「ねえ、ちょっと待って。さっきから名前とか、なんでわかるの?」と聞いたら「得意なんすよ、私。昔から」と言ってました。胸の豊かな、とかじゃなくて髪の長い、で「豊丸」(若い世代はググってください)と、すぐわかるなんていったいどんな特殊能力なのか。

 ところで、私の記憶の中で一番笑った話は、ある日ナンシーさんが、駅から若い女の子にヒタヒタとずーっとついてこられたという話。(おかしいな。明らかに偶然じゃない。ツケられている。雑誌に書いた文章に文句でもつけられるのか)などと思っていると、そのうち、おもむろにその子が近づいてきて、大声でこう言ったそうです。「ドラムスのユキさんですよね!?」。「ドラムスのユキィ!?」その時のナンシーさんの言い方が絶妙で、一生忘れられません。誰なんだドラムスのユキ。

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source : 週刊文春 2022年5月5・12日号

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