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貴乃花 激白5時間「優一“新妻への非道”と景子“離婚の真実”」

「週刊文春」編集部
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(左から)貴乃花 、元妻・河野景子さん、長男・花田優一氏
(左から)貴乃花 、元妻・河野景子さん、長男・花田優一氏

息子の“告発”は嘘で塗り固められ、黙して語らずというわけにはいかなくなった。私が勘当を決めたのは、バイク無断売却、金銭トラブル、仕事ドタキャン、そして何より優一の新妻への非道な仕打ち。その時、息子を甘やかす景子とも――。

「息子・優一の“告白”の件で大変お騒がせしています。当初は放っておけばよいと考えましたが、週刊誌の記事が出た後も、息子は私を中傷する身勝手な発言を繰り返している。それらの内容は、自分に都合の悪い事実が伏せられて、巧妙な嘘で塗り固められています。私がお世話になっている関係先や支援者にもご迷惑、ご心配をおかけして、このまま“黙して語らず”というわけにはいかないと思い至りました」

 元貴乃花親方の貴乃花光司氏(48)は、吹っ切れた様子でこう切り出した。

「週刊女性」2月2日発売号より
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 事の発端は、2月2日発売の「週刊女性」と前日の同誌ニュースサイトに掲載された、花田優一氏(25)による告白記事だった。家庭内で「父・貴乃花のモラハラや暴力があった」とする息子の証言は、世に少なからず衝撃を与えた。

 さらにタイミングを合わせるかのように、優一氏を取り上げたYouTubeのドキュメンタリー番組「街録ch」が2月3日と4日に配信される。自ら出演を売り込んだという優一氏は、半生を振り返りつつ、ここでも父との確執を明かした。

YouTube「街録ch」でも父を批判

 その“口実”となったのが、1月22日、新CMのオンライン会見で貴乃花が発した次の言葉である。

「息子は完全に勘当しておりますので」

 公の場で、淀みなく父子の現実を言い切った貴乃花は、こう振り返る。

「会見後、記者さんとの質疑応答の中で家族のことを聞かれ、自然に口を突いて出た言葉でした。それほど私の中では当たり前の事実になっていました。

 世間様からすれば、『親子なんだから、直接話し合えばいいじゃないか』と思われるかもしれません。しかし、話し合って解決できる段階は、もうとっくに通り越しています」

 そして貴乃花は、優一氏を“勘当”するに至った経緯を、静かに打ち明け始めた。2018年10月に河野景子さん(56)と離婚したのも、実はその地続きにある。告白は約5時間に及んだ――。

蹴りかかってきた優一氏

「息子や元妻との関係がおかしくなっていったのは、息子がイタリアから日本に帰国してからのことでした」と貴乃花は振り返る。

 幼稚園から青山学院に通っていた優一氏は、中等部を出た後、15歳でアメリカに留学。当時、青学時代の友人には「バスケットボールのNBA選手になる」と夢を語っていたが、優一氏はその後、両親に「イタリアに行って靴職人の修業をしたい」と切り出した。

2001年、両親に手を引かれる優一氏

「優一を大学まで出したかった元妻は猛反対しました。ただ私は靴職人という目標を持ったのはよいことだと思い、『大学は何歳になってもいけるから』と言うと納得しました。息子には『留学先の学校の成績で10番以内に入ること』を条件に、靴職人の道を認めることにしたんです」

 後に、優一氏はその条件をクリアしたと報告。父の理解と許しを得た優一氏は、一から靴作りを学ぶため、イタリアのフィレンツェに渡った。日本に戻ってきたのは、約3年後の15年秋のことである。

「私の家族は、妻子が品川区に住み、私は師匠として中野区にある相撲部屋で弟子たちと寝泊まりする生活をしていました。年3回の地方場所もあるので、家族と過ごす時間は一般家庭よりも遥かに少ない。家庭のことは、元妻に任せていました。日本に戻ってきて間もなく、息子は靴職人としてメディアに取り上げられるようになりました」

 優一氏は2016年10月、「明石家さんまの転職DE天職」(日本テレビ系)でテレビに初登場。17年1月には「嵐にしやがれ」(同)で嵐の大野智に靴の作り方を指導している。

「私は、まだいっぱしの職人でもないのにテレビに出てチヤホヤされるのは、息子にとってよくないと思っていました。本当の靴職人さんに対しても失礼です。でも、優一はその姿勢を改めようとしないどころか、本業の靴作りにも身が入っていない。それを後押しし、テレビ局などに積極的に売り込んでいたのが元妻でした。我が子の活動方針を巡って、元妻とは度々衝突するようになっていました」

 景子さんのプッシュもあろうが、靴職人として何の実績もない優一氏が持てはやされるのは、“貴乃花の息子”であるからだ。

 また、優一氏はイタリアの工房で修業したと主張するが、現地で通っていたのは、アートデザインの専門学校である。17年3月に放送された「アナザースカイ」(日テレ系)で優一氏が師匠と紹介した男性は、後に「弟子ではなく、教師と生徒の関係だ」とメディアの取材に答えている。

 優一氏が「週刊女性」で告白した、酒に溺れる貴乃花から“暴力”を振るわれたという一件が起きたのもそうした時期だった。同記事では17年2月とある。

「日頃は相撲部屋にいるわけですし、たまに自宅に帰った時にお酒くらい飲みますが、記事にあったような暴飲はしません。ただ、息子と揉み合いになったのは事実です。当時、優一は自宅から目と鼻の先にあるマンションに部屋を借りていて、元妻は私と言い争うとそこに逃げ込むことがありました。その日も家族が部屋に行っていることで息子と電話で口論になり、マンションに向かったところ、下で待ち受けていた息子が取り乱しながら、私に蹴りかかってきたのです」

 優一氏は〈道端で1時間半くらいつかみ合って……殴られて……〉と証言しているが、元横綱を相手にして無事で済むとは思えない。

「そんな事実はあるはずもなく、私は力ずくですぐ優一を自宅の中へ連れ入れて、説教をしました。ご近所の目もありますから」

 その頃、日本相撲協会理事の貴乃花は、巡業部長の職にあった。本場所の合間も地方巡業があり、自宅に戻らない日も多かった。

「そうしているうちに、元妻は私の後援者を通じて、息子をプロダクションに所属させる話を進めていました。優一は『本業は靴職人であって、タレントにはならない』と約束し、芸能活動も『靴職人という職業を世に知ってもらうのが目的』だと元妻も息子も説明した。後援者筋が面倒を見てくれるのであればと、プロダクションに『では、お任せします』と返事をしました」

 すでに芸能活動を始めていた優一氏は17年8月にプロダクションと正式契約。数々のテレビやラジオに出演し、著書も出版するなど露出を増やしていく。

 ところが――。

「靴が届かない」クレーム殺到

「契約して1年と経たないうちに、プロダクションの責任者から『息子さんの素行が悪過ぎる』と打ち明けられたんです。約束の時間を守らなかったり、仕事をドタキャンするのはしょっちゅうで、私の顔が利くレストランや銀座のクラブで飲み歩き、豪遊を繰り返していると。後になって知った話ですが、お店で従業員に横柄な態度を取るだけでなく、同席させた事務所のスタッフにアイスペールの水を頭からかけたりするなど、傍若無人な振る舞いをしていたようでした」

 そして、貴乃花が懸念していたことも、遂に現実となる。優一氏に靴の製作を注文した客からプロダクションに、「いつまで待っても靴が届かない」とクレームが殺到し始めたのだ。

 それでも優一氏の振る舞いが改善される気配は一向になかった。貴乃花が語る。

「息子があちこちにご迷惑をかけてしまって。プロダクションには『私に遠慮しないで、解雇していただいて構いませんから』と伝えました」

 そして18年9月、優一氏は所属プロダクションを解雇される。だが、トラブルは収まらなかった。

「私の支援者には、『貴乃花の息子だから』と気を遣ってくれ、息子に靴をオーダーしてくれた方が何人もいました。しかし、息子はいつまで経っても納品せず、その場凌ぎの言い訳を繰り返していたようでした」

 例えば18年8月、貴乃花が夏巡業先の秋田市内で倒れて救急搬送されたことがあった。軽い熱中症と思われ、大事には至らなかったが、「その頃、私の看病を理由に、納品の遅れを釈明された方もいました。私は入院もしておらず、看病された事実もありません」。

 また、優一氏は靴の製作費用として、顧客から先に20万~30万円の額を受け取ってもいる。

「もう靴はいらないから代金を返して欲しいと申し出た方は、靴のデザイン料を引かれて全額を取り戻せなかったそうです。注文から5年経って、まだ納品されない方もおり、訴訟を検討している人もいると聞きます。私の手前、憤りを我慢している人がいるかと思うと本当に心苦しくなります」

 度重なる息子の不始末は父を憤らせたが、中でも貴乃花が最大級に許せなかったのが、“義理の娘”に対する非道の数々だ。

 21歳の優一氏が結婚相手に選んだのは、父と同じ相撲界に身を置く陣幕親方(元前頭・富士乃真)の長女・A子さん。陣幕親方は八角親方の部屋に属しているが、父同士は一門や派閥を超えた仲だった。

 優一氏とA子さんは17年6月に結婚。だが、しばらく世間には公表されていなかったため、17年10月に出演した「徹子の部屋」(テレビ朝日系)で、優一氏は黒柳徹子を前に堂々と独身を装っていた。

 だが、2人の結婚は1年ほどしか続かなった。貴乃花と景子さんが離婚した2カ月後の18年12月、優一氏とA子さんも離婚する。

 優一氏は前述の「街録ch」で離婚理由をこう釈明。

〈僕の生まれ育った家庭の方がグチャグチャしていたので。その頃は妹も中学生とか小学生だった。そこをどう立て直すか考える方が必死で、自分の結婚にそこまで考える暇もなかった〉

 だが、貴乃花の話は全く異なる。

「優一は、結婚後も他の女性といるところを週刊誌に撮られたり、家にはろくに金を入れなかったりと、酷い仕打ちを繰り返しました。テレビ番組で息子の自宅として公開された部屋が、全く知らない部屋だった時、彼女が泣き崩れていたと聞きました。元妻も、常に自分勝手な息子の側に立ち、あげくは、私にも内緒で息子と一緒になって離婚届を書かせようともしていたのです。陣幕親方のお嬢さんは本当に良くできた女の子でした。ずっと耐え忍んできた彼女には、何の非もありませんでした」

 A子さんの知人が付け加える。

「A子さんが挙式の準備に追われている中、優一くんは別の女性と頻繁に連絡を取り合っていました。新婚当初からずっと他の女性の影に悩まされ続けていたんです。花田家に入ってからも、義母の景子さんは優一君の言いなりで、一緒に小間使いのように扱われていましたが、甲斐甲斐しく家のために尽くしていました」

無断で持ち出されたマゲ

 密着する母子と、父の間にできた溝は、もはや修復不能な域に達していた。

「私は、タレントを気取って、靴職人という本業を疎かにし、あちこちに迷惑をかけている息子に対し、一貫して苦言を呈してきました。一方で、元妻はずっと息子をかばってきた。『あなたの人生と(優一の人生)は違う』と。我が子の仕事ぶりだけでなく、優一の妻だったお嬢さんへの態度を巡っても、元妻と衝突し、溝が深まっていったのも事実です。我が子が自分の妻を大切にできていないのに、自分たちだけ夫婦を続けるわけにはいかない。私が離婚を決意したのは、そういった思いもありました」

 離婚するにあたって貴乃花と景子さんが話し合い、品川区の自宅は、将来的に処分することが決まった。自宅にはまだ景子さんと娘2人が暮らしていたが、転居の準備もあるため、退去は19年5月を目途とした。予定よりずれ込んだが、秋頃には品川区の自宅が空き家になったはずだった。

「多忙だった私は、信頼できる友人の業者に頼み、定期的に部屋の片づけや自宅のメンテナンスをしてもらっていました。自宅には、相撲関連のものがまだたくさん残っていて、その中には私と親父(初代貴ノ花)のマゲも保管してありました。

断髪式で父の髷にはさみを入れる優一氏

 20年に入り、何かマゲが気になった私は、友人2人にお願いし、自宅へその所在を見に行ってもらいました。すると、自宅で優一が人を招き入れ、パーティをしているところに鉢合わせたと。案の定と言いますか、マゲは置いてあった場所からなくなっており、息子に聞くと『僕が自宅に持って行った』と答えたそうです。友人は『それはお父さんの大切なものだから、すぐに返却して欲しい』と伝え、後日取り返しました」

 マゲといえば、力士の命であり、象徴である。貴乃花が気になったのは、それまでも時々、自宅の中に誰かが入り込んでいた形跡があったからだ。室内には食べカスや酒瓶、タバコの吸い殻、丸まった毛布などがあり、防犯上の危険を感じた貴乃花は、自宅の鍵を替えていた。

 事件が起きたのは、それから間もなくのことだ。

「私が大切にしていたハーレーダビッドソンが自宅の車庫からなくなっていると知ったのは、20年の3月頃のことでした。片付けにきた友人の業者が気付き、私に連絡をしてきたんです」

優一氏が無断売却した貴乃花の愛車ハーレー

 泥棒に入られたと思った貴乃花は、長年付き合いのある警察関係の知人に連絡を取った。

「状況を説明して、盗難届を出したいと伝えたところ、優一のことも知っているその方は『ご子息が持ってったんじゃないのか。本人に直接聞いてみるよ』と。彼が連絡をすると、優一は『僕が売りました』と話したというのです。『お父さんのものを勝手に売ったらダメじゃないか』と諭したら、息子は『母から売れるものは何でも売っていいんじゃないと言われた』と」

 このハーレー事件に関して、優一氏は「週刊女性」の記事で、家族の退去に際し、貴乃花の関係者2人が立ち会ったとしてこう説明。

〈“査定してもらって売れるなら、その代金を引っ越し費用に充てさせてもらいたいんですが、いいですか?”と関係者の方々にお話ししました。すると“それでいいと思いますよ”と〉

 だが、優一氏の言う貴乃花の関係者2人とは、マゲの様子を見に行った友人たちのこと。その時はハーレーの話題すら出ておらず、優一氏の告白記事を読んだ2人は「本人(貴乃花)に相談もせず、自分たちが勝手に『売ってもいい』なんて言うわけがない」と憤慨する。優一氏には以前からこうした姑息な嘘をつく癖があったと貴乃花は嘆く。

「家族とはいえ、人の所有物を本人の許可なく売るなんて、考えられません。しかも、名義登録のあるバイクを本人の委任状もなく、どうやって売却したんでしょうか」

 だが、身内が“犯人”と判明したため、警察沙汰にすることはやめた。そしてハーレー事件の経緯を知ったその日、優一氏と久しぶりに連絡を取っている。

 息子の口から“勘当”を決意させるような言葉が飛び出したのは、その時だった。貴乃花が振り返る。

「息子は、後ろめたさを逆ギレでごまかすように、最初からケンカ腰の口調でした。私に対して我が子とは思えぬほど罵詈雑言を浴びせ、『てめえなんか、親でも何でもねえんだよ!』と」

「オレの名前は使うな」

 貴乃花は、怒りと冷静さが混在した状態で、息子の言葉を聞いていた。

 そこまで父を罵ってなお、優一氏はその後も自身のブログに貴乃花と抱き合う写真をアップするなどして、父への愛を綴っている。

〈僕は、あなたのことを愛しています。本当は気が狂うほど、惚れています。(略)あなたの息子でいることが、僕の人生で一番の誇りです〉(20年5月12日)

 優一氏は「本業をしっかりやれ」という父の意向を聞き入れず、この時期もYouTubeや音楽など、露出できそうなものがあれば片っ端から手を出していた。

「息子のブログの内容を人づてに聞く度、心から辟易しました。世間にアピールする姿と、私に取る態度があまりにも違いますから。

 優一と最後に話したのはハーレーの件から数カ月が経った頃だったと思います。電話をすると、息子はまたケンカ腰になったのですが、『その口調はやめろ、最後だと思って聞け』と諭し、『お客さんのために靴作りをしっかりやれ』と。そして『表舞台に出るのは勝手だが、私の名前を使うな』と告げました」

 優一氏は「街録ch」の中で、貴乃花が“人気商売”である自分に圧力をかけ、潰そうとしていると主張している。「日本の芸能界に未練があるわけじゃない」と強がる一方で、自主製作した曲で「紅白に出たい」と言ってのけるなど、芸能界への執着を隠さない。

「優一は、私が彼の悪口を言ったり、仕事の邪魔をしたりしていると言っているようですが、私は以前から一貫して、職人を語るなら半端なことをしたり、人様に迷惑をかけたりせず、本業を全うしろと言ってきたにすぎません。表に出て仕事をしたいのなら、出るのはかまわない。ただ、その場合は『オレの名前は使うな、引き合いに出すな』と言っているんです。だから、私の存在を頼らず、利用せず自分だけの力で仕事を勝ち取ればいい。それで仕事が来ないというのなら、それが己の実力でしかない」

 優一氏自身は「街録ch」の中でこう豪語している。

〈僕の場合は自分の腕があるから、どこに行ってもメシは食えるんで〉

〈10年後は、爆発的に金を貯めて、めちゃくちゃでかいことをやっていたい〉

 優一氏にも話を聞くべく、自宅を訪ねた。記者が声をかけると「答えることないんで」とだけ話し、後日メールで「取材はお受けできません」との返答があった。

 最後に貴乃花が吐露する。

「振り返ると、私の人生はこれまでもずっと身内、家族の問題に振り回されてきました。このようなことが続くと、相撲を通じて私を応援してきてくださった方たちを裏切ってしまったような、本当に申し訳ない気持ちになります。私が表舞台から消えれば、身内が便乗してきて、家族が世間を騒がせることはなくなるかもしれないと、今回は本気で考えました。それでも、自分にしかできない使命や役割があると信じ、ここまでやってきた。この先も、与えられた仕事を粛々とこなしていくつもりです」

 完全に切れた親子の縁は、もはや繋がりそうもない。

1996年大阪場所の優勝を家族で喜ぶ

source : 週刊文春 2021年2月18日号

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