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福原愛(32)離婚全真相 モラハラ台湾夫とモンスター家族

「週刊文春」編集部

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結婚指輪も実は……
結婚指輪も実は……

 イケメン選手と国際結婚し、ラブラブぶりをSNSにアップ。「1日に100回キスをする」TVにも出た。だが、それは偽りだった。夫のモラハラは、結婚式から始まり、妊娠中も続いた。台湾で義姉や義母に1人責められる日々。ついに離婚を決意した福原は……。

 1月中旬、緊急事態宣言が発出された東京都内のマンションの一室。元旦に台湾から帰国し、まもなく2週間の隔離期間が明けるその女性は、机に置いた2枚の紙と向き合っていた。

 1枚は日本語で、もう1枚は繁体字で埋められている。自らを奮い立たせるように力を込めた彼女。住所を記し、判子を手に取って押印した。そして2枚の「離婚届」を鞄に仕舞う。

〈あとは、もう弁護士に送るだけだ〉

 台湾の夫にも、電話で離婚の意思を告げる。

「もう限界。あなたは変わらない」

 ディズニーリゾートでの披露宴からちょうど4年。あの頃より痩せた頬を伝わるのは、かつて懸命にピンポン玉を打ち返そうと、何度も流してきた悔し涙とは、また別の涙だった――。

ディズニーでの披露宴
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 卓球元日本代表の福原愛(32)が、卓球元台湾代表の江宏傑(ジャン・ホンジェ=32)と結婚したのは、16年9月のことだった。台湾に拠点を置きながら、2人の子どもにも恵まれた福原と江。インスタグラムでは頻繁にラブラブな2ショットを公開したり、「1日で100回キスをしたい」という夫の希望を叶える番組に出演したりするなど、現地では“おしどり夫婦”として知られてきた。

 そんな福原の身辺がにわかに騒がしくなり始めたのは、2月18日に放映された『徹子の部屋』(テレビ朝日系)。黒柳徹子から台湾での生活を尋ねられ、

「これからちょっと拠点を日本に移していこうかなというふうに。子どもが幼稚園に入るタイミングなので」

 と答えたのだ。この発言が「夫婦別居」と報じられ、不仲説が広がっていく。

 番組を収録したのは、離婚届を記入した直後の1月末。放映後、福原は親しい友人にこう打ち明けた。

「今までは江クンがよく見えるように発言していたけど、『本当のことを言おう』『江クンを庇うのはやめよう』と思って。それで自然と言葉が出たら、ニュースになってしまいました。だけど、もう彼とはやっていけない。台湾では毎日泣いていた。本当に辛い日々を送ってきたんです……」

 天真爛漫な笑顔を見せてきた彼女を、そこまで追い込んだものとは何なのか。

愛ちゃん5歳の時

 3歳でラケットを握って以来、「天才卓球少女」と呼ばれた福原。母・千代さんの厳しい指導の下、11歳で日本代表入りした。五輪には4大会連続出場。12年ロンドン五輪では団体で銀、16年リオ五輪でも団体で銅を獲得した。

リオ五輪では銅メダル

妊娠中の妻を追い詰めた夫

 一方、江は台湾北部の出身。ジュニアの国際大会で実績を残し、リオ五輪ではチャイニーズタイペイ代表として団体戦に出場した。

 そんな2人が電撃結婚したのは、リオ五輪直後の16年9月。当時、福原の世界ランキングが9位だったのに対し、江は79位で“格差婚”とも言われた。

「同い年の彼らは11歳の時に国際大会で出会っていますが、それほど親しくはなかった。ところが14年、福原が腰痛で長期休養を余儀なくされると、江がSNSを通じて励ましのメッセージを送るなど、猛アタック。交際にまで発展したのです」(スポーツ紙記者)

 海外を転戦し、中国語も堪能な福原だったが、国際結婚には一抹の不安を感じていた。そんな彼女に江はこう言葉をかけたという。

「愛のやりたいことは僕が全力で応援する、愛は何も変わらなくていい」

 福原は結婚後も卓球を続ける意向だった。〈彼となら大丈夫〉。そう思った福原は江との結婚を決意。日本と台湾、それぞれの役所に婚姻届を提出した。

 17年元旦、2人は台北市内のホテルで結婚式を挙げ、翌2月にディズニーで披露宴も開催。幼い頃から頑張った自分へのご褒美はディズニーに行くことだった福原はミッキーとミニーから祝福され、幸せの絶頂に立っていたはずだった。

 ところが――。

 このディズニーでの披露宴から、歯車は少しずつ狂い始めていたのである。

 台湾での挙式を無事終えて、日本に帰国した17年1月。披露宴の打ち合わせのため、ディズニーに向かう前日のことだった。

 江が突然、切り出した。

「僕、肩が痛いから明日は行かない」

 福原が「大事な打ち合わせだよ」と諭しても、聞く耳を持とうとしない。泣き出す福原に向かって、こう言い放ったのだった。

「君のせいでお家の雰囲気が台無しだよ!」

 あれだけ優しかったはずの江が見せた“別の顔”。ただ、それも杞憂に終わればいい。福原はそう言い聞かせ、異国の地での新婚生活をスタートさせた。

 だが、江は妻を言葉と態度の暴力で追い詰める「モラハラ夫」と化していく。

 17年10月に第1子を出産した福原。つわりが酷く、1日7回吐いて、食べ物が喉を通らない日もあった。そんな時、夫はどんな振る舞いを見せていたのか。

 江は妻を「栄養がいかない」と叱り、つわりが一段落して食べられるようになったら、今度は「太るからやめろ」と詰(なじ)ったのだ。

 だが、福原は自分を責めた。

「私のホルモンバランスが悪いだけ」

 初めての育児は当然、悪戦苦闘の毎日だ。紙オムツを洗濯機に入れるミスをしたこともあったが、徐々に慣れてきた。だが、夫の小言は止まらない。毎日「掃除が行き届いていない」と指摘され、家事を手伝うこともほぼなかったという。

 当時のことを、福原は別の友人にこう語っている。

「子どもは本当に可愛いし、懸命に子育てをしてきたつもり。でも、江クンからは汚い言葉で罵られて、ストレスのあまり、あの頃は不正出血が続いて……。涙も止まらなくなりました」

 妻が育児に奮闘する傍ら、夫の江は結婚翌年の17年4月から、沖縄に本拠地を置く琉球アスティーダに2年契約で加入していた。

「チームは、メインスポンサーの意向もあって、“愛ちゃんの夫”という肩書きに期待したと見られます。ところが彼は練習をサボってばかりで、福原の妊娠を理由に沖縄に行かないこともあった。18年のリーグ戦ではダブルスで1勝5敗の戦績。19年以降は実力不足から試合に出場できていません」(Tリーグ関係者)

 かたや「卓球と子育ての両立」を目指していた福原も「次世代の選手達が大きな成長を遂げた」ことなどを理由に、18年10月に現役引退を発表している。

「僕も女の人と浮気しに行く」

 卓球の第一線から離れた2人。この頃、全く異なる面で注目を集めていた。18年7月から中国で配信された番組「幸福三重奏」。農村に数日間滞在した3組の夫婦に密着するというリアリティーショーだ。

「幸福三重奏」(「騰訊視頻」より)

 この番組に出演した2人は、視聴者も赤面のアツアツぶりを見せつける。江が「1日100回キスしたい」とリクエストし、朝から晩までカメラの前で61回のキス。ベッドの上でイチャつく様子も公開された。

番組内で何度もキスを重ねる2人「幸福三重奏」(「騰訊視頻」より)

 番組関係者が証言する。

「これは、江クンからの持ち込み企画なんです。愛ちゃんは『妻である以上、夫に協力する』ことを押し付けられ、SNSでも『愛ちゃんが投稿したら、僕の宣伝になるから』と、2人の親密ショットを撮影して発信させられていました。それでも〈子どものため〉と思って、彼女は夫の言いなりになってきたのです」

 家庭では度重なるモラハラを受けながら、世間に対しては、夫婦円満のアピールを強要される日々。そんな生活は、夫からの歪んだ「束縛」へ発展していく。

 福原が今でも忘れられないのは19年春頃、歯科治療に行った時のことだ。江は福原が日常生活で華美なファッションをすることを嫌った。地味な服に着替えさせられ、向かったクリニック。その帰り道、彼は福原を激しく罵った。

「誘うような口の開け方をして。この売女(ばいた)!」

 この日だけではない。19年9月、エッセイ写真集の撮影が終わり、福原は父のように慕うカメラマンの篠山紀信氏とハグを交わしていた。その時の様子を、後から写真で見た江はこう怒鳴り散らしたという。

「なんでヌードを撮るような人に撮らせるんだ。僕も女の人と浮気しに行くよ」

 台湾の地で、日に日に加速していく江の「モラハラ夫」ぶり。孤独に苦しみ抜く福原をますます窮地に追いやったのが、2人の「モンスター家族」である。

 一人が江の実姉、江恆亘(ジャン・リガ=40)。幼少期からバレエダンサーを志し、ロンドンにも留学していたという。実は結婚当初から、福原はこの義姉の存在に悩まされてきた。

 16年9月、都内のホテルで行われた結婚会見。福原の左手の薬指には、卓球ボールをイメージしたダイヤがあしらわれた指輪が光り輝いている。一説には3000万円相当と報じられ、「江は名家の御曹司」とも噂されたが、実際は違った。

 事情を知るテレビ局関係者が明かす。

「結婚会見の段取りは、お義姉さんが仕切っていました。指輪は彼が実際に買ったものじゃない。江家はフツーの家系。中国の宝飾メーカーから『プレゼントするから宣伝のために会見でつけて欲しい』とオファーがあって、お義姉さんが『弟の知名度を上げるのにこんないい話はない』と勝手に話を進めたんです。それでもあの頃の愛ちゃんは彼を信じていたから……」

 しかし、弟が「福原愛の夫」になると、テレビのインタビューで「愛ちゃんは家でパジャマを着ていてもオーラがある」と語り出したり、家族旅行の写真をSNSに大量にアップするなど、夫婦のプライベートを勝手に公開するようになる。

「お義姉さんはずっと親のスネをかじって生活していて、クレジットカードを作れないほど借金している。愛ちゃんは江クンにお姉さんを紹介された際、『彼女の言うことに絶対ノーと言わないでね』と念を押されたそうです」(同前)

 そんな義姉が19年9月、39歳にして突如、台湾で芸能界デビューを果たす。小誌は当時、義姉のデビューを受け、福原を羽田空港で直撃している。

芸能界デビューした義姉(SNSより)

 福原が「(義姉が)私たちを通さずに(夫婦のことを)話すのは……困るというか……」と苦悩を吐露する一方、隣にいた江は「全然困っている感じじゃないよね! 面白いと思っていますよ」と食い気味に反論し、姉を擁護していた。

「妻」より「姉」を守る夫。この頃になると、夫のモラハラに耐えかねた福原は自室に籠る時間が増えるようになっていた。携帯の電源を切っていると、義姉からわざわざ固定電話で、

「あなたのせいで家の雰囲気が悪くなっているのよ」

 と、罵倒されたこともあったという。

「我が家の金を生む鶏よ」

 そしてもう1人、福原が裏切られた想いを抱く人物がいる。車で1時間ほどの場所で暮らす江の母だ。

 19年の年末、その義母が部屋で1人泣いている福原を慰めにやって来た。

「あなたには感謝しているのよ」

 福原は義母から夫が好きな豚肉のピリ辛炒めなど料理を教えてもらい、育児も手伝ってもらっていた。孤立を深める一家の中で、唯一頼りにしてきた存在だ。

 ところが、感謝の言葉の次に発せられたのは、信じ難い言葉だった。

「あなたが来て家は潤ったわ。あなたは、我が家の金を生む鶏よ」

 二の句が継げなかった福原。彼女は夫に「お義母さんの言葉にショックを受けた」と正直に伝えた。

 だが、返ってきたのは、

「なんでダメなの。君の能力が高いってこと。何でもマイナスに受け止めて、頭がおかしいんじゃないの」

 という冷たい言葉だった。

義母(中央)を挟んでの3ショット(SNSより)

 それからというもの、義母との折り合いも悪化。いくら「料理が美味しい」と言っても、「出た、日本人特有のお世辞」と非難される。家事で少しでもミスをすれば、「これだから日本人は嫌いなんだ」と怒鳴られる毎日。心身ともに疲弊し、体重も落ちていく。

「ここに私の居場所は、もうない」――。

 ついに、そう悟るに至った福原は19年のクリスマスイヴ、2人の子どもを連れて日本に帰国した。福原が「離婚」を意識し始めたのは、この時からだったという。だが、江は日本まで追いかけてきて謝罪し、10日間話し合いを重ねた。

「もう1回やり直す。でも次はない。離婚だよ」

 福原は夫に、そう“最後通告”を伝えたのだった。

 ところが、台湾に戻ると、再び「モラハラ夫」と「モンスター家族」から責められる日々が繰り返される。

「次はない」。福原はその言葉を実行に移す。

 冒頭のように今年の元旦、日本に帰国し、日本と台湾、2枚の離婚届を記入。夫に対し、電話で離婚の意思も伝えたのだった。

 この頃、ある卓球関係者は、仕事で日本に帰国した彼女の姿を見て驚いた。

「激ヤセしてたんです。テレビ局の人に聞くと、『10キロ痩せたみたい。服のサイズもワンサイズ落ちてしまってスタイリストさんも驚いていた』と話していました。表情も暗く、明らかに精神的におかしくなっていた。ただ、福原は『日本にいる時はまだいい』と言っていましたね。日本だと古くからの友人が彼女を外に連れ出してくれたり、食事に誘ってくれたりする。仕事が彼女のリハビリになっているようでした」

バックハンドが得意だった

 実際、1月19日付で小学校時代からの旧友とともに「株式会社omusubi」を設立した福原。自ら代表取締役に就任している。

「愛ちゃんは離婚を意識してから、卓球の普及のための会社を作る準備をしていました。ところが、江クンは自分抜きで会社を立ち上げようとしたことにまたも激怒。それでも、自分の力で生きていく決意を固めた愛ちゃんは絶対に譲らなかったのです」(福原家の知人)

 福原を電話で直撃した。

――江さんのモラハラで離婚を決めた?

「えっ……それは、夫婦でよく話し合って決めていきたいと思います」

 そう答え、後は「お騒がせして申し訳ありません」と繰り返すのみだった。

 最後まで埋まらなかった江との溝。これからは、母として2人の幼い子どもと生きていくことになる。

source : 週刊文春 2020年3月11日号

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