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「安楽死を」橋田壽賀子(95)の散り際

「週刊文春」編集部
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「おしん」を演じた3人と。右から乙羽信子、田中裕子、小林綾子
「おしん」を演じた3人と。右から乙羽信子、田中裕子、小林綾子

 ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」(TBS系)などを手掛けたテレビプロデューサーの石井ふく子氏(94)は、刎頸(ふんけい)の友を失った悲しみに、しばし言葉を失った。

 石井氏が言う。

「出会って60年。年中喧嘩していましたけど、すぐに仲直りしていました。でも、もう喧嘩相手がいなくなった。今は『どうするのよ』という気持ちです」

「渡る世間」、そして「おしん」など数多くのテレビドラマを世に送り出した脚本家の橋田壽賀子氏。

手がけた朝ドラ4本、大河ドラマは「おんな太閤記」など3本
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 静岡県熱海市の自宅で亡くなったのは4月4日朝。95歳の大往生だった。

 悪性リンパ腫の治療のため都内の病院に入院している橋田氏を、石井氏が最後に見舞ったのは、今年2月下旬のこと。橋田氏は次回作の構想を語ったのち、別れ際、こう言った。

「ラストは明るく行きたいんだ。家族というのは、やっぱり大事だなぁ」

 橋田氏が後半生を過ごした熱海。熱海湾を見下ろす広大な温泉付き別荘地の一角に自宅はある。

 地元のタクシー運転手が証言する。

「熱海自然郷には変則五差路があるのですが、本来は一番手前の太い道を曲がるのが一般的なのに、橋田さんは真ん中の細い道を曲がって自宅に帰る。その道はご主人との思い出が詰まった『思い出ロードなんだ』とおっしゃっていました」

 橋田氏がTBSプロデューサーの岩崎嘉一氏と結婚したのは1966年。石井氏に「もう脚本が書けないくらい岩崎さんが好き」と話し、仲を取り持ってもらい、交際3カ月のスピード婚を果たしたのだ。

 岩崎氏が妻に求めた約束は2つ。「僕の前では仕事をしないこと」「不倫と人殺しの話は書かないこと」。

 夫婦関係は円満だった。「渡る世間」など橋田作品の常連俳優の一人、東てる美(64)が40年前の想い出を語る。

「まだ麹町にお住まいだった頃。当時、橋田先生はたばこを吸っていたんですが、それを岩崎さんには内緒にしていたんです。私が先生のお宅に遊びに行っていたとき、いきなり岩崎さんが帰ってきた。先生は大慌てで吸っているたばこを私に押し付けて、『あたしじゃないからね!』って(笑)。天下の橋田先生でも旦那さんには弱いのかなって。それがとても思い出深いです」

「突然スイッチが切れるように」

「渡る世間は鬼ばかり」キャスト陣

 だが89年9月、岩崎氏は肺腺がんで死去する。60歳の若さだった。

 それから30余年。橋田氏は、草木が生い茂るいつか来た道を愛し続けた。

「夫妻に子はおらず、橋田氏の晩年はずっと1人暮らしでした。朝8時、計6人のお手伝いさんを自宅に呼び、午前中に料理、洗濯をしてもらう。費用は月70万円」(芸能関係者)

 89歳のときには「終活」を始めた。橋田氏を母と慕う「渡る世間」の主演女優・泉ピン子(73)に、

「ママは90なんだから十分歳をとっているんだよ」

 と言われたのがきっかけだったという。

「蔵書は熱海市の図書館に寄付。100個を超えるハンドバッグはリサイクルショップで、四十数万円で処分した」(前出・芸能関係者)

 晩年の橋田氏は、安楽死にも関心を寄せていた。

「『頭がボケたまま生きることだけが恐怖だ』と話し、安楽死を希望する外国人を受け入れてくれるスイスの団体に興味を示していました。治る見込みのない病気で耐え難い苦痛を伴うなど、裁判所が認めた場合に限り安楽死が叶えられるというものです」(同前)

 2016年には「文藝春秋」誌上に「私は安楽死で逝きたい」(同年12月号)という手記を寄せ、日本での法整備を訴えて大きな反響を呼んだ。翌年には『安楽死で死なせて下さい』(文春新書)も刊行した。

 とはいうものの、2月下旬に都内病院に入院するまでは元気だったという。週3回、朝9時から1時間、市内のスポーツジムに通った。ジムを経営するソリク代表取締役でトレーナーの八代直也氏が証言する。

「橋田先生がウチに通うようになったのは09年。当時、先生は膝の調子が悪く、付き添いの方の手を借りながら杖をついて歩く状態。『渡る世間』の終盤を夜中に執筆し、『朝起きると身体がガチガチなの』とおっしゃっていました」

 そこで、機能改善を目指して膝、腰の回復トレーニングを八代氏とマンツーマンで行うことに。以降12年間、橋田氏はほぼ休まずに通った。死についても、八代氏にこう語っていた。

「生き方、死に方を自分で選んで最後の最後までしっかり生きていきたい。そして突然スイッチが切れるように死ねたらいいな。いつ死んでもいい準備は出来ている。自分で“あ、死ぬ”って分かって死にたいわ」

 ユニクロのTシャツやセーターを愛用し、一度気に入るとずっと着ていた。アシックスの薄ピンクの運動靴も、ボロボロになるまで履いていたという。

 月1回ほど橋田氏が訪れていた「ステーキハウスはまだ」のオーナーシェフ・水谷正太郎氏が回想する。

「お食事はいつもお任せで、ステーキやアワビなど。ふぐがお嫌いで、お酒は乾杯のとき口をつける程度でした。最後に電話で話したのは今年1月。そのとき、橋田先生は『皆さん亡くなっちゃって、寂しいなぁ』と話していました」

「おしん」は必ず2回見る

 橋田氏は日本女子大卒業後、早大に入学。中退ののち49年に松竹に入社し、脚本家への道を歩んだ。

 ホームドラマを中心に健筆を振るったが、その評価を不動のものにしたのは、NHK連続テレビ小説「おしん」(83〜84年)。最高視聴率の62.9%は、今もテレビドラマ史上第1位として燦然と輝く。

 NHKで制作を担当した小林由紀子氏が回顧する。

「放送期間中は、毎日先生に電話をすることが私の義務でした。『先生、お元気ですか。(原稿)できましたか』と。先生はかならず朝8時15分と再放送の12時45分の2回をご覧になり、『2回見ても良かったわねえ』とおっしゃる。怒られた記憶なんてないし、褒めていただいたことしかない。そして、1週ぶん6本の原稿ができたときに、熱海の自宅に原稿をいただきに行くのです」

 90年には「渡る世間は鬼ばかり」がスタート。前出の石井氏が語る。

左は盟友・石井ふく子氏

「私たちが考えた設定は、夫婦と5人の娘。自分が相手のことを『鬼だ、鬼だ』と思っていたら自分が鬼だった(と気付く)。『それが人間のいろんな形の生き方だ』と。2人でそんな話をしてタイトルを決めました。

 当初は1年という約束だったのに、結局500回以上続いた。橋田さんは、構成力が抜群な方でした。ああいう作家は今後、なかなか出ないでしょう」

 4月3日には転院先の熱海市内の病院を退院し、自宅に戻った橋田氏。そして翌朝、息を引き取った。

 棺の中には、小学6年生のときに母に買ってもらい、80年以上使い続けていたセルロイドの筆箱が入れられたという。

朝ドラ「春よ、来い」の主演・安田成美と

source : 週刊文春 2021年4月15日号

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