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紀子さま変心 ついに「結婚容認」最後の壁は小室圭さん母

「週刊文春」編集部

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2017年9月の婚約内定会見
2017年9月の婚約内定会見

 事態が動き出した。紀子さまが眞子さまの結婚を認めるお気持ちを洩らされ、小室圭さんを擁護するようになった。皇籍離脱も取り沙汰される中、問題となるのが、娘の義母となる小室佳代さんへの“拒否感”。その始まりは3年前の出来事だった――。

 早朝、横浜市の住宅街にあるマンションの前に、迎車のタクシーが止まる。素早く乗り込む1人の女性。以前勤務していた洋菓子店で昨年からまた働き始めた小室圭さん(29)の母、佳代さん(54)だ。駅でタクシーを降りると私鉄電車に揺られ、勤務先に向かう。濃いエメラルドグリーンのワンピースが、人混みの中でも一際目立つ。

小室佳代さん
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 朝からケーキや洋菓子を作る厨房で働く佳代さん。夕方、仕事を終えて出て来たところに声をかけた。

――「週刊文春」ですが。

 珍しく足を止め、記者を見つめる佳代さん。だが、

――最近、小室圭さんとはお話しされましたか?

 こう聞くと、「申し訳ございません。ご苦労様でございます」といつもの台詞を繰り返すばかりだった。

 2017年9月の婚約内定会見から3年7カ月。秋篠宮家の長女、眞子さま(29)と圭さんの結婚問題は、ここに来て新たな局面を迎えている。

10月23日が誕生日の眞子さま

 昨秋、結婚への強固な意志を文書で表明した眞子さまと、依然「結婚と婚約は違う」と言い、実は反対の姿勢を貫く秋篠宮(55)。だが今、その構図に大きな波紋を投げかける「第三の動き」が静かに進行しつつある。紀子さまである。

夫妻の間で温度差が……
 

「そもそも、小室家の借金問題が17年末に報じられた当初、最も強く結婚に反対されたのは紀子さまでした。それが最近では結婚容認に転じていらっしゃるのです」(秋篠宮家関係者)

 確かに昨年9月、紀子さまは誕生日文書で〈長女の気持ちをできる限り尊重したい〉と書かれていた。

「あれは本音です。紀子さまは何とか批判の少ない形で結婚させてあげたいというお気持ちを洩らされ、周囲に相談していらっしゃるようなのです」(同前)

 当初は宮邸で披露された圭さんのピアノ演奏を「優しい音色」だと絶賛した紀子さま。だが17年末に「週刊女性」が佳代さんの元婚約者との借金問題をスクープすると、その心境は一変した。始まりは3年前、18年の年明け前後の動きである。

「18年2月6日に出された結婚延期文書を主導したのは紀子さまでした。報道から文書発表までの間に圭さんは少なくとも6回、佳代さんも複数回にわたって宮邸を訪れています」(同前)

 金銭トラブルについて、佳代さんは繰り返し「贈与なので問題ありません」と自らの認識を説明したとされるが、もう一人の当事者、元婚約者のX氏が「貸した」と認識し、被害感情を持って返金を強く求めている以上、そうした説明では誰も納得しまい。

「秋篠宮夫妻は小室さん母子と宮邸で会うたびに、借金問題について『国民の納得が行く説明を』と求められてきました。しかし圭さんは何の行動も起こさず、秋篠宮ご夫妻に報告もなく米国に留学したため、敵前逃亡したように映り、一層不信感を深められたのです」(紀子さまの知人)

 紀子さまは3年前のそうした一連のやり取りにすっかり失望し、周囲に「娘は何も分かっていない。問題のある人と結婚を進めようとしているんです」と悩みを吐露するようになった。紀子さまは、圭さんが学生時代に“海の王子”になっていたことも「コンテストに出たいなんて、目立ちたい人。眞子の立場を利用したいだけでは」と評し、「圭さんはただ偉くなりたいだけ」と懸念を示されるようになっていく。そして圭さんが留学する18年の夏頃には、親しい人に「私は駄目かもしれない」「もう公務はできない」とまで洩らされたのだ。

皇籍離脱は法律上可能

 ではなぜ、そんな紀子さまが「結婚容認」へと変心されたのか――。キーパーソンの一人は美智子さまだ。

「美智子さまは昼餐、夕餐など秋篠宮夫妻と席をともにする際、借金問題を憂えるお言葉を度々かけられたそうです。紀子さまに『あなたの家の教育はどうなっているの?』と聞かれたこともあったようで、常に美智子さまをお手本とされてきた紀子さまは相当なプレッシャーを感じておられた」(前出・秋篠宮家関係者)

 だが、19年5月のお代替わり後、美智子さまは白内障の手術を受けられたり、仙洞仮御所へと引っ越しをされたりと、ご自身の対応に追われた。さらに昨年からは新型コロナが蔓延し、公務や誕生日のお祝い等がなくなり、紀子さまと顔を合わせる機会が激減した。

「紀子さまは元々、ご自身も自由に育てられ、お子さま方もそのように育ててこられたため、結婚に反対することに、ご自身の中でも葛藤を抱いてこられた。美智子さまと顔をあわせる機会が減ったことが、眞子さまの望む通りにしてやりたいとお気持ちを変化させる一因となったのです」(前出・紀子さまの知人)

 もうひとつ見逃せないのが、「家族の中でも最も性格がお強い」(同前)と評される眞子さまの頑張りだ。

「眞子さまは結婚延期以降も皇族としての務めをきちんと果たされています。例えば18年夏にはブラジル、19年夏にはペルーとボリビアを訪問されている。いずれも、ほぼ毎日移動をするような過酷な日程でした。佳子さまが中欧を回った際の観光地中心で余裕のある日程とは対照的。眞子さまのお仕事ぶりは誰もが評価するところです。ひたむきな姿に、紀子さまも心を動かされたようでした」(同前)

眞子さまと姉を応援する佳子さま(右)

 ブラジルでは11日間で14都市を巡った。ボリビアでは標高3000〜4000メートルにある高地にも行かれた。ボリビア日系協会連合会元会長の日比野正靱(まさゆき)氏が言う。

「富士山よりも高く、大抵の人は高山病になるので心配していました。しかし眞子さまにご体調を聞くと『まだ若いですから』とおっしゃって、お疲れの様子も見せず、ご立派だと思いました」

 宮内庁幹部も「小室さんは特異な人だが、眞子さまが幸せになってくれればいい」と小誌に洩らすほどだ。

 だが、秋篠宮は昨秋の誕生日会見でも「結婚と婚約は違う」とおっしゃったように、(結納にあたる)納采の儀を認めない姿勢を貫いている。そんな中で結婚に向けた動きを進めるための、ある方策が取り沙汰されている。紀子さまのお気持ちをよく知る関係者が明かす。

「小室さんと結婚される前に眞子さまが“皇籍離脱”をする、そして一般人となられた上で結婚する、という意見にも紀子さまは耳を傾けていらっしゃいます」

 確かに皇室典範第11条には〈年齢15年以上の内親王(略)は、その意思に基き、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる〉とある。内親王の結婚によらない自由意思での皇籍離脱は前例がないが、法律上は可能だ。皇室ジャーナリストの山下晋司氏が語る。

「一般の結納にあたる『納采の儀』など、皇族の結婚に伴い行われてきた儀式は、皇籍を離脱した一般人である“眞子さん”の結婚であれば、行わなくとも特に問題はないでしょう」

 その場合、批判の的となってきた一時金はどうなるのか。

「一時金はあくまでも皇籍を離脱した方の品位を保つためのもので、法律上は結婚するか否かは関係ありません。ですから眞子内親王殿下が仮に結婚の前に皇籍を離脱されたとしても、眞子内親王殿下の個人口座に、約1億5000万円を限度とした額が振り込まれます。これは非課税です」(同前)

 確かに、この方法ならば秋篠宮の言葉と矛盾せずに眞子さまの結婚が可能なように思える。

「紀子さまは、以前はあれほど問題視されていた借金問題について、圭さんではなく『母親の問題』とされ、米フォーダム大学ロースクールに小室さんが留学できたのは皇室の威光を利用したからでは? といった声にも、『利用したのは圭さんではなく(フィアンセだと大学HPでアピールした)大学の方』と小室さんを擁護するように心変わりされています」(前出・紀子さまの関係者)

 だが、それでも紀子さまに「最後の壁」として立ちはだかるのが、3年前から消えることのない佳代さんへの強い“拒否感”だ。圭さんのことは擁護できても、借金問題の当事者でありながら「あれは贈与」の一点張りを続ける佳代さんのことは、どうにも擁護しがたいのだ。

 実は紀子さまと佳代さんには意外な共通点がある。佳代さんは1966年8月生まれ、紀子さまは9月生まれの“同級生”。2人が中学3年生の81年、イギリスのチャールズ皇太子とダイアナ妃が結婚した。日本では田中康夫の『なんとなく、クリスタル』が出版され、クリスタル族がブームに。セレブリティへの憧れが高まった時代に多感な思春期を過ごした。2人が19歳の86年5月にはダイアナ妃が夫妻で訪日し、当時の天皇や皇太子と面会して「ダイアナ・フィーバー」が日本中を席巻する。

 学習院大学の川嶋辰彦教授の長女で、キャンパス内の職員共同住宅にお住まいだった紀子さまが秋篠宮からプロポーズされたのは86年6月。「3LDKのプリンセス」と呼ばれるようになる。同級生が振り返る。

「当時、紀子さまは『プリンセスに憧れている』と言っていたそうです。てっきりディズニー映画のようなファンタジーの世界への憧れかと思っていたら、本気で『皇室のお妃になりたい』と望んでいたことを聞いて驚きました」

 だが、兄・浩宮(現天皇)が未婚だったため順番を懸念する声や、紀子さまとの家柄の違いを心配する声もあり、89年9月の婚約内定発表まで〈礼宮、皇籍離脱を賭けた恋〉といった「皇籍離脱」の見出しが何度も週刊誌に躍った。

 婚約をスクープした元朝日新聞の内藤修平氏が、紀子さまに初めて会った際に「美智子さまに似ていますね」というと、嬉しそうに「ありがとうございます」と応じたというほど、「プリンセス」への憧れを隠さなかった紀子さまは、その夢を叶えられた。

記者を見つめる佳代さん

 一方の佳代さんは、神奈川県藤沢市で育った。二間ほどの借家で、リウマチの母親に代わり、弟の面倒をよくみていたという。

「鎌倉には清泉女学院というお嬢様学校があるのですが、佳代さんは同校を『お金持ちが通うところ。学生時代にいつも羨ましく見ていた』と言っていました。結婚後もBMWに乗るなど、ブランド志向が強い人です」(佳代さんの知人)

 紀子さまと佳代さんがそれぞれ長女と長男を授かったのも91年10月、25歳の時と共通する。

 佳代さんは圭さんが誕生すると、国立音楽大学附属小学校に通わせ、ピアノとバイオリンを習わせた。横浜市の2DKのマンションでは、ピアノの音がうるさいと近所から度々クレームが来たが、意に介さなかった。中学と高校は、学費が年間250万円のインターナショナルスクールに6年間通わせ、圭さんに英才教育を与え続けた。

 佳代さんと元婚約者・X氏とのメールを見ても、「代官山ASOのキャビアのパスタ」「恵比寿ウェスティンHの龍天門」などの固有名詞が目白押しだ。圭さんが成人した時の記念写真も、黒田清子さんが結婚式を挙げた帝国ホテルの写真館で撮られた。

 眞子さまと圭さんが婚約内定会見を行った17年9月3日の夕方には、佳代さんも宮邸を訪れた。その際、手にしていたバッグはキタムラ。かつて、紀子さまの母親が使用し、話題となった横浜のブランドだ。紀子さまが「3LDKのプリンセス」なら「2DKのプリンス」を育んだのが佳代さんである。

 だが、秋篠宮家はもはや一宮家ではない。将来の天皇である悠仁さまを擁し、眞子さまは天皇の姉に、圭さんは天皇の義兄となる。

「皇族や旧皇族などで構成される菊栄親睦会がありますが、眞子内親王殿下が圭さんと結婚された場合、圭さんは会員になり、佳代さんは“親族の部”に属することになります。宮中の公式行事に佳代さんが参加することはありませんが、私的な催しには招かれる可能性はあります」(前出・山下氏)

「国民とともに歩む皇室」に、国民の理解が得られぬ説明を繰り返す人物が連なることへの違和感――これを払拭できるのか。

 冒頭の場面の翌々日、改めて佳代さんに話を聞いた。

――先日も同じワンピースを着ていらっしゃいました。

「(表情を緩め)これが使いやすくて、春先はコートの代わりになるから」

――圭さんはもうすぐ大学の最終試験ですね。

「そうなんですか?」

――大学の日程を確認しました。圭さんとお話は?

「……」

――紀子さまは、結婚を容認されるお気持ちを示されているようです。ただ、唯一の気がかりは佳代さんのことだと。金銭トラブルは解決済みだという理解でよろしいんでしょうか?

 こう聞くと、佳代さんは苦笑して何も言わず、歩みを速めた。だが、最後に記者が「ありがとうございました」と頭を下げると、振り返って記者を見つめ、「寒いのでお体に気を付けてください」と笑みを浮かべるのだった。

 圭さんは4月28日に授業が終わり、期末試験に突入する。5月にはロースクールを修了し、7月末には司法試験が待ち受け、勉強漬けの日々が続く。

7月に司法試験を受ける小室圭さん

「司法試験のエントリーは始まっています。昨年に続きオンラインで試験が行われるのですが、昨年は問題数と試験時間を半分にしたことで合格率は84%と例年になく高かった。今年は試験時間と問題数は元に戻るようですから、合格率は昨年ほど高いかどうか……」(現地の弁護士)

 司法試験を終えれば帰国する余裕も出てくるだろう。その際に、記者会見などで説明責任を果たし、結婚へと歩みを進められるか否か。眞子さまと圭さんが30歳の節目の10月を迎えるまで、あと半年である。

source : 週刊文春 2021年4月15日号

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