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メジャー制覇を生んだ 松山英樹「嫌われる勇気」

「週刊文春」編集部
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世界で称賛を浴びる松山
世界で称賛を浴びる松山

 昨年春、作家の伊集院静氏は、自宅のある宮城県仙台市内のゴルフ練習場で、松山英樹(29)に偶然会った。伊集院氏が振り返る。

「私はくも膜下出血で倒れた後のリハビリ中だったから『またコースに出られるように努力するから、君も頑張りたまえ』と声をかけたんだ」

 すると「自分も父親になりましたから、頑張ります」と応えた松山。

「これはマスターズをとってくれるぞと、すぐ原稿にそう書いたんだ」(同前)

 4月11日、男子ゴルフのメジャー大会で最も格式の高いマスターズトーナメントで、アジア勢で初の優勝を飾った松山。付き合いのあるプロゴルファーの和田正義氏が語る。

松山はモスバーガーが好物
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「今回、難しいティーショットやアプローチなど、ほかのゴルファーなら腕が震える場面がありました。英樹は重圧のなかでも動じなかった。体も大きいですが、精神的にも図太いんです」

 日本人の優勝を阻んできた米メジャーを制した松山のメンタルはどのように育まれたのだろうか。

「とにかくよくも悪くも“ゴルフバカ”なんです」

 こう話すのは長年、松山を取材してきたスポーツ紙記者だ。

「今回の会見でも英語を喋らず、日本語で通した。米ツアーに挑戦して7年、米メディアから『米ツアー6勝目なのに英語を話せない』という声もあるが、割り切っている。優勝しても、ガッツポーズすらせず、観客を喜ばせるようなこともほとんどしません」(同前)

 マイペースぶりは、昨日今日始まったことではない。

「13年の全英オープンで、スロープレイで警告を受けたにもかかわらず、急ごうとせず、1打罰を科されたこともあった。別の大会で日本人選手に『遅い。どうかしている』などと苦言を呈されたり、構えを決めるまでが長いことに対戦相手が苦笑いしたりしていた」(同前)

「頭の中にはゴルフしかない」

 報道陣泣かせでも知られている。

「話下手で照れ屋ということもあって、メディア対応はぶっきらぼう。記者が『こういう意図で打ったんじゃないですか』と聞いても、『じゃあ、それで』。ある取材では、何を聞いても『とくにないです』を連発し、場が凍りついたこともありました」(同前)

 スポーツ選手が力を入れるスポンサー対応も、

「スポンサーのCM演出案が気に入らず、『嫌だ』の一言で拒否して事務所も頭を悩ませていた」(同前)

 松山は、テニスの錦織圭などが所属するアメリカの大手マネージメント会社IMGと15年に契約した。

「CM出演も錦織の8社に対して、松山は1社です。現在はIMGとの契約を解除しています」(同前)

 ゴルフライターが語る。

「彼は“嫌われる勇気”を持っている。ゴルフで勝つためなら嫌われることもいとわない。彼は『俺のやることはメジャーで勝つことだ』と公言してきました」

 愛媛県出身でゴルフを始めたのは4歳の時。

「彼の頭の中にはゴルフしかないんだろうね。初めて会ったのは小学3年生の時でしたが、すでに今と同じように、何も考えることなく、真剣にゴルフをしている目だった」

 そう回想するのは、中高時代の恩師・明徳義塾ゴルフ部の高橋章夫総監督だ。

 寮生活で自由時間が少ないなか、朝5時から自主練に励み、夕食後も1時間ほど黙々と打ち続けていた。

 中学2年の時、大会の1週間前に、井戸に落ちて左手の薬指を骨折してしまったことがあった。

「親御さんの反対にもかかわらず、本人は『出たい』と指にギプスを巻いたまま出場した。普通はプレーできませんが、彼は四国で2位の成績を残した」(同前)

 そんな松山にとって、ライバルといえる存在が、同学年の石川遼だった。中学1年生の時、全国大会で一緒にラウンドしたという。

同学年でライバルの石川遼

「2人は中学3年の全国大会でも一緒になった。しかし、石川は松山のことを覚えておらず、『初めまして』と挨拶された。それがとても悔しかったそうです」(前出・ゴルフライター)

 今も、負けず嫌いは変わっていない。前出の和田氏が語る。

「練習場で同年代の子に飛距離で負けると、笑いながらも、悔しがっています」

 学生とコースを回って負けたときには、「僕に勝って自信をつけるのはいいけど、これが全米のレベルだと思ってほしくない」と話したという。

「いつもスコアが出るタイプではないようです。でも、いざ試合になると目つきも変わり、スイッチが入ります」(前出・和田氏)

“ゴルフバカ”で、愛想を振りまく男ではない松山が、大事にしているものがある。

 大学時代を過ごした仙台だ。14年にアメリカを本拠地としてからも、住民票は仙台に残す。

 仙台にある東北福祉大学に入学した松山は、10年、アジアアマチュア選手権大会で日本人として初めて優勝し、翌年春のマスターズへの出場権を獲得する。

 ところが、マスターズの直前、東日本大震災が起きた。東北福祉大学ゴルフ部の阿部靖彦監督が振り返る。

「英樹も『大会に出てよいものか』と悩んでいました。ただ、周囲に支えられて、出場を決意したのです」

東北福祉大学ゴルフ部の阿部監督

毎年マスターズフラッグを

 今回の優勝後の会見で、松山が感謝の言葉を口にしたのはこの時のことだった。

「10年前ここに来させてもらって、自分が変わることができたと思っている。そのとき背中を押してくれた人たちにいい報告をできたのは、よかったと思います」

“チーム松山”のメンバーは、コーチを除いて、大学時代からの仲間だ。

「マネージャーは阿部監督の息子ともう一人が務めているが、どちらも同級生。キャディは後輩です」(前出・ゴルフライター)

 前出の和田氏が回顧する。

「初めて会ったのは確か雪が降っていた日で、それからちょいちょい来るようになった。英樹はとにかく貪欲で、僕がウエイトトレーニングや坂でダッシュしていると『トレーニングメニューを見せてください』と言われたこともある。今でも、毎年マスターズフラッグを送ってくれます」

 コロナ禍だった昨年は、和田氏の練習場によく顔を出した。

「スイングのスピードを計測できる機械があるんですが、『自己最速が出た』と写真を撮って無邪気にはしゃいでいた。後輩の大学生に教えたり、かぶっていた帽子にサインをして『飾って下さい』と渡されたこともありました」(同前)

 和田氏が自身のYouTubeへの出演を頼むと「いいっすよ」と快諾し、すぐに調整してくれたという。

「英樹は簡単には心を許さないところはあると思うけど、僕と会うときは礼儀正しく義理堅いんです」(同前)

 知人と仙台の練習場で会うと、挨拶を欠かさないという松山。そんな彼に伊集院氏は「大丈夫だ、君は必ず勝てる」と言い続けた。

 伊集院氏は、今回の優勝をこう総括する。

「松山君は、『自分には才能がない』とよく言っていた。この10年間、敗北の連続だったけれども、それが彼に他の人は得ることができない無類の忍耐力を与えたんだ。悔しさを胸に抱えて、諦めず、試合後も会場で星が見えるまでパターの練習をし続けた。そして光り輝く栄光を掴んだわけです」

source : 週刊文春 2021年4月22日号

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