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「五輪、無理だ」警備トップ「爆弾証言」

「週刊文春」編集部

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来日延期となったバッハ会長に首相は……
来日延期となったバッハ会長に首相は……

 感染拡大が止まらない日本列島。それでも菅首相は「五輪は観客入れてやる」と強気の姿勢を崩さない。だが、医療界からは「とても医師、看護師を派遣できない」と悲痛な叫び声が上がっている。そして、五輪開催を主導してきた組織委員会の中枢からもついに――。

 新型コロナの第四波が猛威を振るい始め、首都圏や大阪府に緊急事態宣言が三たび発令されていた今年4月末。その男性は親しい知人と語らっていた。話題が五輪に及ぶと、彼は憤慨した口調に変わったという。

「こんな時期に五輪をやろうという政府は、どうかしている」

 今夏の五輪開催を推し進める菅政権に強烈な苦言を呈したのは、元警視総監の米村敏朗氏(70)。現在は五輪組織委員会で警備の最高責任者、「チーフ・セキュリティ・オフィサー(CSO)」の重責を担う人物だ。

組織委の米村CSO
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 7月23日に控えた開会式まで2カ月余り。ついに、五輪の運営・準備を取り仕切る組織委の内部からも「五輪、無理だ」の声が上がってきた――。

 医療体制の逼迫などを理由に、世論調査でも中止を求める声が6割に迫っている東京五輪。だが、そうした数字に菅義偉首相は、

「なんでこんなに反対されるのか分からない。コロナがなくなることはないのに。結局、感情論なんだよ」

 と、口にしているという。中でも首相が拘っているのが、単なる開催ではなく、「観客入り」での開催だ。海外観客は受け入れない方針が固まったものの、国内観客の入場制限は判断が6月に先送りされた。

「組織委の橋本聖子会長は周囲に『五輪をやるなら無観客しかない。それが選手たちのためだ』と語っている。武藤敏郎事務総長ら他の組織委幹部も『無観客はやむなし』という雰囲気です」(運動部記者)

橋本会長

 それでも、菅首相は強気な姿勢を崩さない。側近たちにはこう語っている。

「観客は入れる。(プロ野球など)競技場での感染は確認されてないだろ」

 5月7日の会見で緊急事態宣言の延長を表明したが、その「中身」にも首相の要望が色濃く反映されていた。

「新たに示された対策では飲食店への規制が強化された一方、イベント規制は緩和されました。これまでは原則、無観客での開催を求めてきましたが、『入場者5000人以内かつ収容定員の50%以下』ならOKとされたのです。閣僚からは反対意見も上がりましたが、最後は首相が押し切りました」(政治部デスク)

 周囲の懸念をよそに、観客入りでの五輪開催に突き進む菅首相。その頼みの綱が、ワクチン接種だ。

 

 7日の会見では「7月末までの高齢者接種完了」に加え、突如として「ワクチン接種一日百万回」という新たな目標を掲げた。しかし、5月6日までで一日の接種回数が最多だった日でも約2万1千回。一日百万回の接種など可能なのか。

 厚労省幹部が証言する。

「一日百万回は、全国で約3600万人の高齢者の接種を7月末までに完了させるために、単に逆算した数字。ただ、ワクチン接種のためには医師や看護師を確保しなければならず、集団接種会場の確保だって必要です。そうした市町村の状況を積み上げて百万回になっているかと言われると、そうではない。正直、百万回については『そこまで言うか』と思いました」

 首相は“子飼い”の黒田武一郎総務次官に「なぜ医師が集められないか、全自治体を調べろ」と苛立っているというが、現実はそう簡単ではないのだ。

 さらに、ワクチンの供給量を増やしても、自治体が捌き切れていない。東京23区でも高齢者人口の多い、杉並区の田中良区長が訴える。

「国から自治体にワクチンが大量に配給されても、東京都からワクチンが何箱届くのか、1、2日前にならないと確実に分からないのが現状です。もっと早く知らせてくれれば、予約の募集や接種体制の確保ができるのでしょうが……」

せめてステージ2でなければ

 現時点で、全国1741市区町村のうち、7月末までに高齢者接種を終える見通しが立っている自治体は約1000に過ぎない。

「結局、五輪に否定的な声を封じるために、開会式に合わせた『7月末』に『一日百万回』という現実離れした目標を掲げたというわけです」(首相周辺)

 患者の治療などに加え、ワクチン接種でもフル稼働を求められる医師や看護師。そうした中、組織委が4月末、日本看護協会に大会中のスタッフとして、看護師約500人の派遣を要請していたことが明るみに出た。

「コロナで退職者も増え、とにかく人手不足。国からの通達で夜勤は月に4回と制限されていますが、月6〜7回やらないと回らない。妊娠しても夜勤を免除できないほどです。とても五輪に看護師は派遣できません……」(看護業界関係者)

重症者の急増で医療現場は逼迫している

 菅首相は看護師派遣について「休んでいる人が大勢いる」として、休職中の人材を活用する考えだが、

「看護師が現場勘を取り戻すには、一定の時間が必要です。五輪本番では緊急性のある熱中症の対応も求められますが、現場を離れて久しい看護師の方々にそうした対応が果たして可能なのか。そもそも、再就職の希望者には、五輪ではなく医療現場に戻ってきてほしいのが本音です」(日本医労連の森田進氏)

 五輪が実施されれば、会場で感染者が出ることも避けられない。実際、本番と同じ会場で行われたボートのアジア・オセアニア大会予選では、5月5日、スリランカチームでスタッフのコロナ感染が判明。現場に居た大会関係者が言う。

「関係者は毎日、抗原検査を行い、そのスタッフも前日までは陰性だったそうです。この日、抗原検査とPCR検査で陽性反応が確認されると、すぐに都内の大学病院に搬送された。こうした場合に備え、会場には救急車1台に医師が6名、看護師が8名、常駐していました。医療が逼迫する中、地方から呼び出した医師らを、自腹で都内のホテルに宿泊させていたんです。そこまで厳重な体制を取っていても、感染者が出てしまう。こんな状態で五輪ができるのでしょうか……」

 現在、東京都の一日あたりの新規感染者数は1000人前後に及ぶ。今回、都医師会で五輪担当理事を務める新井悟氏が小誌の取材に応じた。医師らの五輪派遣も担う人物である。

「6月にかけて、感染が収束せずに感染者数が横ばいだったり、第四波のような波が再び来た場合には、五輪は開催を諦めるべきです。ワクチン接種の遅れによって、秋頃までは感染をコントロールできないというのが大方の見方。そんな中で五輪を開催するのは、感染拡大の懸念があり、きわめて危険だと思います」

 医師会だけではない。政府の新型コロナ基本的対処方針分科会。その委員で、国立病院機構三重病院の谷口清州氏は4月14日、英医学誌に「今夏に五輪を開催する計画の再考を」と主張する論文を共著で発表した。その谷口氏が言う。

「東京都の感染状況が現状のステージ4のままでは、五輪開催は到底無理でしょう。分科会では『ステージ2(目安として一日あたり100人)に近い状況でなければ緊急事態宣言を解除できない。それ以前に解除すれば早期にリバウンドが起こる』という議論をしています。ステージ2どころか、ステージ4で五輪を開催すれば、さらなる感染拡大、医療の逼迫を招いて東京、そして世界が危険に晒されることになりかねません」

 医療従事者や公衆衛生の専門家からの悲痛な声。

 さらに――。

米村CSOに真意を訊くと……

 冒頭のように、組織委CSOの米村氏までが今夏の五輪開催に強い疑義を呈したのだ。その米村氏は、どのような経歴の人物か。

「米村氏は警察庁で警備・公安畑を歩んだ“危機管理のプロ”。警視総監まで上り詰め、11年末から2年余り、野田政権と安倍政権で、首相官邸の危機管理対応の要である内閣危機管理監を務めました。この時、新型インフルエンザに対する政府行動計画の策定に関わった経験もあり、感染症について危機意識を強く持っています。組織委CSOには15年12月に就任しました」(警察庁担当記者)

 米村氏は4月末、親しい知人に対し、「政府はどうかしている」との言葉に続けてこう口にしたという。

「感染者がどれくらいになったら中止とか、数値で示さないと、国民の理解は得られない」

 危機管理のプロで、組織委の警備トップである米村氏から飛び出した「爆弾証言」。官邸関係者が語る。

「現場レベルでは開催に否定的な声が上がっていましたが、組織委中枢からもそうした声が上がり始めました。しかも、米村氏は危機管理監として感染症の怖さを熟知しているだけに、その言葉は重い。中止シナリオも現実味を帯びてきたと言わざるを得ません」

 果たして「爆弾証言」の真意は何だったのか。当の米村氏に話を訊いた。

「私は『こんな時になぜ五輪をやるのか』という国民の疑問に、政府が主体的にきちんと説明すべきだと。国民は、外国からたくさん人がやってくれば、感染が拡大するのではないかと思っている。それに対してどうやってリスクを取るのか、説明が必要です。安倍(晋三)さんが『1年後にコロナを克服した証としてやろう』と。これって何の回答にもなっていない。オリンピックのレガシーは、どこまで行ってもアスリートの感動。そのために、捨てられるものは捨てていこうと。それは内部でも主張してきたのは事実。ただ、『止めるべきだ』とまで言っていない。誤解がある」

 ただ、昨年2月、ダイヤモンド・プリンセス号で集団感染が起きた頃には、五輪に否定的な見解を示していたという。

「去年の2月には『五輪は無理だ』と言ったんです。新感染症は極めて未知のもので、どの程度の感染力があって、どの薬が効くのか全く分からない。こんな状態ではとてもできない、と。内輪での会話でしたが、周囲からは『そんなことを言われては困る』と言われて。今は変異株とか言っても、実態は分かってきた。だから、このタイミングでもし五輪をやるなら、もっと心に響くアピールや説明をやらないと」(同前)

 それでも、以前なら組織委会長だった森喜朗氏が持ち前の調整力で異論を封じていたかもしれない。だが、状況は変わっているという。森氏と家族ぐるみの付き合いで、選手村村長の川淵三郎氏を後継会長に決めかけた“密談”の場にも同席した人物が明かす。

森前会長

「小池(百合子)都知事や武藤事務総長ら、色んな人が森さんと会いたいと言ってくるけど、僕や娘さんは全てシャットアウトしています。『森さんと五輪はもう関係ないでしょ』と。娘さんは、あの発言でこれまで世話をしてきた人が皆、逃げたことを恨みに思っている。(4月22日夜に)二階(俊博)幹事長と会ったのは、2人はそれほど仲良くなく、彼女も『それなら(影響もないから)いいか』と許可したんです」

小池都知事の動向も注目される

 森氏の回答。

「組織委会長を辞任しており、私人の立場にあります。プライバシーの観点から回答を差し控えます」

IOCが掛けた8億ドルの保険

 感染拡大や医療現場の実情を考えた時、中止や延期も選択肢だが、そこに立ちはだかるのが、IOCのバッハ会長だ。

「森氏が不在となれば、菅首相自身がバッハ氏と向き合うしかありません。ただ、バッハ氏は米ワシントン・ポスト紙のコラムで『ぼったくり男爵』と揶揄されていたように、五輪の拝金主義を主導してきた張本人。特にカネが絡むと、際立って厳しい姿勢を見せてきます」(組織委関係者)

 どれだけ五輪開催に否定的な声が上がっても、実際に中止に踏み切れないのには、そのIOCの拝金主義が背景にあるとされる。

「五輪中止の場合、IOCは、米放送局のNBCから約1300億円に上る放映権料を受け取れなくなります。すると、組織委や都がIOCから損害賠償請求をされる可能性がある。そのため、中止は不可能と言われてきました」(前出・デスク)

 しかし、それは本当なのか。実は組織委の高橋治之理事は今年1月、小誌の取材にこう語っていた。

「中止保険というのがあり、IOCも組織委も入っている。これで多少は賄えるんだよ。実際、延期になった時も保険が下りている」

 事実、英ロイター通信は「夏期五輪でIOCが通常掛けている保険は約8億ドル」と報じている。これまでの掛け金を考えれば、仮に中止となっても巨額の保険金が下りるはずだ。

 それでは、日本から中止を申し出ることは可能なのか。IOCが都や組織委と結んだ「開催都市契約」によれば、IOCにのみ中止決定権があり、日本側に開催義務を免除する条項などは記されていない。それもあってか、首相も「IOCの言うことを聞くしかないんだよ」と漏らしてきた。

開催都市契約には〈IOCは中止する権利を有する〉

 だが、スポーツ社会学が専門の一橋大学・坂上康博教授はこう指摘する。

「開催都市が中止を申し出ることができないというわけではありません。実際、昨春に決めた五輪の1年延期は、安倍晋三首相(当時)からIOCのバッハ会長に申し出た話です。同じ手順を踏めば、菅首相が『安全性を確保できない』と中止を訴えることもできるはず。もし日本に巨額の賠償請求を起こした場合、今後、五輪に手を挙げる国は出てこなくなるでしょう。IOCの立場としても、それは避けたい。結局、全ては日本側の決断次第と言えるのです」

 アスリートファーストの五輪とは、希望的観測だけで開催に突き進むことではないはずだ。開催国の代表として、菅首相には、医療従事者や米村氏らの疑問に応える必要がある。

 

source : 週刊文春 2021年5月20日号

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