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小室母子が見た修羅 「父自殺」の真相

「週刊文春」編集部
ニュース 社会

眞子さまとの婚約延期の引き金となった小室家の借金問題。そこには圭さんの父親の不在が大きく影響している。なぜ父は若くして自殺したのか。皇室関係者の多くが関心を寄せる、その真相を探るなかで見えてきたのは、小室母子が歩んできた「修羅」の半生だった。

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 昨年の10月初め、小室圭さん(26)は、藤沢市西部に位置する小田急江ノ島線沿線の駅から歩いて10分ほどの家をひとり訪ねた。

 その家は四方を立派な石塀に囲まれ、門をくぐると中庭に手入れの行き届いた立派な松が何本も植えられている豪邸だ。

 表札には「小室」とあるが、圭さんがその家を訪れたのは20年ぶりのことだった。眞子さま(26)との婚約内定会見を終えてから約1カ月。スーツ姿の小室さんは、この日も緊張した面持ちで現われたという。

 小室家の親族が語る。

「ちょうど地元のお祭りがある日でした。その数日前に、圭くんから『婚約しました』という連絡があったので、一度、遊びにいらしてくださいと伝えたんです。

 毎年、お祭りの時期には、小室家の親戚一同が集まって食事会をします。その日も20人ほどが集まっていました」

 圭さんは小室家の分家筋に当たり、この日、訪れたのは小室一族の本家だ。小室家はこの豪邸のほかにも、隣接する600坪の駐車場をはじめ、周囲に広大な土地を持つ大地主だ。

 一族の当主である小室蔵造氏(92)が語る。

「小室家は元禄時代から続く農家で、この辺り一帯に山林や畑を所有していました。昔は、主に麦を栽培していたのですが、日本人の食生活が変わり、あまり麦を食べなくなってからは、ニンジンやホウレン草を作るようになった。

 私は7人兄弟の長男で、兄弟のなかで私だけが百姓になったので、この辺りの土地は、すべて私が相続しました。弟たち2人はサラリーマンになった」

 そのうちのひとりが、圭さんの祖父、小室善吉さん(故人)だ。

 なぜ圭さんは20年も本家と疎遠になっていたのか。

 この時の食事会について親戚はこう続ける。

「圭くんは、ほとんど初めて顔を合わせる親戚たちと、楽しそうに会話していました。4時間は滞在していたと思います。眞子さまと結婚するということで、私たちも祝福しました。

 ただ、母親の佳代さん(51)はその日は来ませんでした。もう20年以上お会いしていません。旦那さんがご存命の時にまだ小さい圭くんを連れていらしたのが最後です」

 実は、この家から歩いて15分ほどの寺には、圭さんの父、敏勝さんが眠る。お墓は山の中腹に位置し、眼下に広がる公園には、つつじや藤の花が一面に咲き誇っていた。

父敏勝さんと当時9歳の圭さん(軽井沢で)

佳代さんが語った夫の最期

「小室家」と彫られた墓石の裏側を見ると、そこにはこう刻まれていた。

「平成十四年三月五日 敏勝 三十八才」

「平成十四年三月十二日 善吉 六十四才」

 敏勝さんが亡くなったのは今から16年前。そしてわずかその1週間後に、祖父の善吉さんも亡くなっている。まだ圭さんが10歳の頃のことだ。

 冒頭の小室家の食事会から4カ月後の今年2月、圭さんと眞子さまの結婚関係の儀式は、再来年に延期されることが発表された。

 宮内庁関係者の話。

「直接の原因は、佳代さんと元婚約者X氏とのあいだに生じた、借金トラブルの存在でした。皇室はお金の問題には大変敏感です。眞子さまの結婚相手の家族がお金のトラブルを抱えているとなれば、宮内庁も考え直さざるを得ません。

 眞子さまは結婚への意思が相当に強いようでしたが、結納にあたる納采の儀を目前に控えたタイミングで、『結婚までに充分な準備をする時間がない』という趣旨の文書を発表し、延期となりました」

 X氏は小室家に400万円以上の援助をし、そのお金には圭さんの大学の入学金や授業料、留学費用までもが含まれていた。

 返済できないほどの多額の借金をせざるを得なかった事情は何なのか。そこに敏勝さんの不在が影響していることは想像に難くない。

「お父さんはなぜ若くして亡くなったのか。圭さんを新しい家族の一員として迎える皇室の関係者の中には、謎の多い小室家に戸惑いを感じている人も多い。

 将来の天皇である悠仁さまの義兄になる方に関わることです。ご婚約内定以来、新興宗教や借金といった、知らない話が次から次へと出てくることに秋篠宮家も戸惑っています」(同前)

秋篠宮ご夫妻

 その謎を解く上で、重要な証言をする人物がいる。

 横浜市内の圭さんの自宅からほど近い場所にある、喫茶店のマスターだ。佳代さんは、この店の名物のケーキが好きで一時期通っていたという。

「まだ敏勝さんが存命だった時に、よく一家揃って来てくれました。佳代さんがうちの店の紹介文を、地元情報誌に投稿してくれたこともあった。

 佳代さんは話好きでしたが、一方の敏勝さんは寡黙な印象でした。どこかうわの空で、メニューもいつも佳代さんが決めていた」

 家族ぐるみの付き合いはしばらく続いた。

 しかし、ある日のこと、佳代さんが血相を変えて突然店に入ってきたという。

「お父さん(敏勝さん)が首を吊って自殺した!」

 動揺する佳代さんからマスターは事情を聞いた。

「その晩、佳代さんと圭くんが寝ている時に、バタッと大きな音がしたので起き上がると、敏勝さんが玄関から出て行くのが見えたそうです。佳代さんは、しばらくウトウトしていたそうですが、ハッとして圭くんを抱きかかえ、後を追った。しかし既に手遅れで、敏勝さんは近所の川辺で首を吊っていたというから驚きました」(同前)

 一体、なぜ敏勝さんは自殺したのか。

 敏勝さんは当時、横浜市役所の職員だった。88年に明治大学理工学部建築学科を卒業し、最初は瀬谷区建築課に配属された。

祖父は1週間後に後追い自殺

 入庁早々、同期数名と共に「都市活性化の核となる文化施策」と題する論文を執筆。横浜を東京に負けない魅力ある都市にするために、〈音楽に焦点を当て、その魅力を生かした幾つかの施策〉を提言していた。

 その後、92年に都市整備局都市デザイン室へ異動。その6年後には当時、造成中だった「みなとみらい21」推進部計画推進課に配属されている。

 都市デザイン室時代の同僚が語る。

「横浜市は田村明というカリスマ的な地域政策プランナーを招き、都市デザインを任せていた。小室さんはその流れを汲む部署で伸び伸びと仕事をしていました。やりがいがありましたし、持ち前のクリエイティビティを活かせる場だったんだと思います。その後に異動した『みなとみらい21』推進部も、市が力を入れていた花形の部署でした」

 しかしその2年後、住宅事業課に異動すると職場環境は一変する。

「市営住宅の建て替えを担当する部署ですが、厳しい職場として有名でした。市営住宅には、低所得者や高齢者も多く住んでいる。その人たちに立ち退きを促したり、その後の身の振り方の世話をしなければなりません。つらい人の生活を受け止めないといけない仕事。その最前線で交渉する職員のストレスは大きかった。

 小室さんは重責に耐えかねたのか、やがて病気になり、仕事も休みがちになってしまいました。そしてまもなく亡くなっています。当時、職場では敏勝さんの死は病気によるものと、自殺の事実は伏せられていました」(同前)

 プライベートでも問題を抱えていたと同じマンションに住んでいた住民が語る。

「亡くなる1、2年前の管理組合の会合の帰り道に、敏勝さんが『僕も色々と大変なんですよ。八王子に二世帯住宅を建てようと思っているんですが、上手くいかなくてね』と溜息混じりでした。その様子から、資金繰りに困っているようにも見えました。ただ、詳しいことはわかりません。結局、敏勝さんと会ったのはそれが最後になってしまいましたから」

 敏勝さんの死の直後、佳代さんは幼い圭さんを連れて毎日のように、前述の喫茶店を訪れていた。

 マスターが語る。

「佳代さんは閉店した後も店に残って、泣きじゃくっていた。敏勝さんを亡くして、今後どう生活していけばいいのか、途方に暮れているようでした。不憫で見ていられなかった。夜遅くまでいて、寝てしまった圭くんを家まで送ってあげたこともあります」

 佳代さんと小室家との間に決定的な亀裂が生じたのは、この頃だった。

「実は、敏勝さんは体調を崩してから、一時期、両親の住む藤沢の実家に帰って療養していたそうなんです。しかし、それを佳代さんが無理矢理、自宅に連れ戻した。

 敏勝さんが自殺したのはそれからすぐのことでした。それで、親戚から『あなたが殺したようなものだ』と責められたそうです。佳代さんは私にそう話すと、泣き崩れました」(同前)

 さらに悲劇は続いた。

「佳代さんが『今度は藤沢のお義父さん(善吉さん)も、亡くなった』と。もう呆然としていた。息子の敏勝さんの死を気に病んで、1週間後に後追い自殺してしまったそうなんです」(同前)

 以来、佳代さんと藤沢の小室家の親族との連絡は途絶えた。

 それからしばらくして佳代さんはマスターにこんな相談を持ちかけている。

「実は、亡くなった善吉さんの遺産があり、圭くんの相続分があるはずなのに、小室家とは連絡が取れないし、弁護士を雇うお金もない。ついては自分たちの代理人として話し合いに行ってくれないか、というものでした。

 私は佳代さんが可哀そうだったので引き受けました。委任状を持って実家を訪ねると、敏勝さんのお母さんと、弟さんと思しき人が出迎えてくれた。予想とは違ってお茶も出してくれ、終始穏やかなムードで話し合いは進みました」(同前)

 このマスターの尽力もあってか、その後、協議の末に話はまとまったようだ。

 前出の蔵造氏が振り返る。

「善吉の遺産については、土地は敏勝の弟が相続する代わり、圭が現金をもらうことになった」

 実際に登記簿を確認すると、圭さんの叔父が02年3月に藤沢市内の130坪相当の土地を相続している。

 だが、善吉さんから幾ばくかの遺産が入ったとはいえ、この頃の佳代さんは、依然として経済面で苦境に立たされていたようだ。

 後に、佳代さんはこの頃のことを振り返り、X氏に以下のようなメールを送っている。

〈ご存知の様に大黒柱の主人がお財布を握る生活の中で専業主婦をしていました。主人亡き後8年間は模索しながらそれなりに働いてまいりましたが、私の収入はたかがしれています〉

 X氏が佳代さんと交際したのは、シングルマザーの親子の苦境を知り同情した面もあるという。

 佳代さんはそんな生活の中で、圭さんの将来という夢に賭けていたようだ。

 喫茶店のマスターは「うちの息子はバイオリンの天才です」と佳代さんがよく自慢していたのを記憶している。

 夫の死の2年後には、圭さんを中・高とカナディアン・インターナショナルスクールに通わせた。高額な学費も捻出したようだ。

 だが、こうした佳代さんのお金の使い方に、X氏は交際中から疑問を感じずにはいられなかった。

「佳代さんは僕に、圭くんの大学(ICU)の学費の他に月々の生活費を10万円ほど、たびたび要求してきました。

 ところが暮らしぶりは贅沢志向だった。圭くんの誕生日を祝うために、ウェスティンホテルの『龍天門』という高級中華料理店の予約を頼まれたり、友人と50万円はかかるクルージングパーティーを計画したりと、華やかな生活に強い憧れを持ち続けていました」

転がり込んできた男性と同居

 佳代さんとX氏は07年に交際を開始し、その後、婚約。そして12年に婚約を解消している。X氏は佳代さんと過ごす間に、驚かされた点がいくつもあったという。

 一つはこの金銭感覚。もう一つは人間関係だ。

「ある時、会社でお客さんのカフスボタンを修理することになって、パリの会社に依頼したことがありました。ただ、戻ってきた品を見ると、きちんと修理されていなかった。それで、お客さんが激怒してしまい、困り果てていたんです。

 すると佳代さんが『知人に宝石を扱っている人がいるから直してくれるかも』と言って紹介されたのが、近所に住む彫金師のYさんでした」(X氏)

 その後、修理の打ち合わせも兼ね、X氏とY氏、そして佳代さんの3人で食事をした。その時、X氏は今も忘れられない光景を目の当たりにしたという。

「料理が出てくる前に、佳代さんがおもむろに、おしぼりを丸め出して、自分の鼻の辺りをコチョコチョと拭いていた。するとYさんが『やめろよ、お前!』、『汚ねえぞ!』と注意したんです。やけに馴れ馴れしい口調だったので一体どういう関係なのか、と違和感を覚えました」(同前)

 後に佳代さんに聞くと、Y氏とは数年間、同居していたと明かしたという。

「佳代さんの口から『Yさんが転がり込んできた』と聞きました。ただ、いつまでも居候を続けるので、普段はあまり感情を露にしない圭くんも怒って、『いつまでもここにいないでくれ! 出て行ってくれ!』と怒鳴ったそうです。それでYさんも出て行った」(同前)

 数年間、交際したX氏も理解しきれない面のあった佳代さんは、苛酷な少女時代を過ごしたようだ。

 藤沢駅から車で20分ほどの場所に、佳代さんの育った家が今も残されている。

 平屋の木造建築で、ところどころ白いペンキが剥がれ、壁が剥き出しだ。間取りは三畳と八畳の二間。今から40年ほど前、佳代さんはそこに、両親、祖母、弟の5人で暮らしていた。

 旧姓は角田という。佳代さんの母親と親交のあった知人が語る。

「藤沢に引っ越してくる前は、ある会社の横浜市にあった社員寮で、一家で住み込みの管理人のような仕事をしていたそうです。寮の掃除などをしていたみたいですね」

 佳代さんの母親である八十子さんは、若くしてリウマチを患っていたという。

「料理を思うように作れず、お風呂にも満足に入れなかったようです。リウマチの症状に苦しんでいた八十子さんは、新興宗教の『大山ねずの命神示教会』に入信していました。

 ある時、私が母の介護で体が弱っていたので彼女に相談すると、『あなたも入ってみない?』と誘われました。『私たち家族みんな入っていて、子供たちの名前も、(教団関係者から)付けてもらったのよ』と。

 それで私も入信したんです。寄付を求められることはありませんでしたが、八十子さんの勧めで、家の部屋の四隅に盛り塩をしたりしていました」(同前)

(角田一家について「大山ねずの命神示教会」に確認を求めたところ、「お答えできません。理由は、信教の自由と個人情報保護の必要性です」と回答した)

 だがこの知人は、87年に教団の元信者が起こした、ある事件をきっかけに脱会した。その事件とは、元信者2名が「悪魔祓い」と称して別の元信者の首を絞め殺害。遺体をバラバラに切り刻むという凄惨なものだった。

「その後、八十子さんとは疎遠になりました。佳代さんについて覚えているのは、とにかくしっかりした子だったということ。弟の面倒をみたり、八十子さんの代わりに祖母と一緒に家事も手伝っていた」(同前)

「小室家・角田家」家系図

右:1998年冬、菅平高原に一家でスキー旅行

 それから約40年がたった今、佳代さんには、一人息子の圭さんが誰より大切な存在となっている。

 ただ、身近に接したX氏の目には、佳代さんと圭さんが親密すぎるようにも映ったという。

「12年に、圭くんがアメリカに留学する時のことです。僕が成田空港まで車で送ってあげたのですが、空港に着くなり、佳代さんがドラッグストアに立ち寄って避妊具を買い、圭くんに手渡したんです。驚きました。圭くんもただ頷くだけでそれをトランクに入れていた」

 佳代さんは、圭さんの女性の友人関係をほとんど把握していたようだ。恋人とのデートコースも、佳代さんが決めることがあった。交際相手の中には、「圭くんは母親の操り人形」と口にする女性もいたという。

「大学入学前、圭くんが、有名料理店の社長令嬢と交際していたことがありました。それを知った佳代さんは、『圭ちゃん、良いじゃない!』と大喜びしていた。

 佳代さんは、圭くんの交際相手の家柄を非常に気にしている節はありました。それが今回は皇族の眞子さまと付き合い、しかも結婚することになった。佳代さんは、天にも昇る気持ちだったと思います」(同前)

 だが、2月の延期発表以降、事態はまったく進展する気配がない。X氏のもとにも連絡は一切ないという。

「借金の返済を求めた際に、圭くんは、私の前で『贈与だと思っています』と言い切りました。今にいたるまで返済に向けての動きがないとなると、相変わらず返す気がないのかもしれません」(同前)

 本人たちは、今、どんな心境なのだろうか。

眞子さまはどう決断するか

「眞子さまについて一部では、ご結婚延期を気に病まれて、公務の数を減らしていると報じられました。しかし、もともと今の時期は婚約期間中に当たるため、公務の予定は入っていなかったそうです。勤務先には、通常通り出勤されています」(前出・宮内庁関係者)

 4月19日、午前10時半。東京丸の内にある高層ビルに2台の車が入っていった。前方の車内には、勤務先の「インターメディアテク」にむかう眞子さまの姿が見える。だが、外には一切顔を向けず、ずっとうつむいたままだった。

眞子さまの思いは……

 一方の圭さんは、今も京橋の奥野総合法律事務所で働いている。この3月には一橋大学大学院国際企業戦略研究科修士課程を修了。米国人の指導教官のもとで修士論文を書き上げたという。

 4月20日、午前7時30分ころ。出勤のため自宅前に姿を現した圭さんは、本誌記者と目が合うと、何度も会釈しながら「おはようございます」と挨拶。

 前を向いて歩き続ける圭さんにいくつか質問を投げ掛けるも、わずかに瞬きをするだけで終始、無言のままだった。

 同日、午後4時半ごろ。都内某所のケーキ屋の厨房に佳代さんの姿があった。この日もいつも通り白衣をまとい、頭にはチェックの三角巾、眼鏡にマスク姿。以前に比べてすこし痩せたようにも見えた。

 佳代さんは作業場のある2階と、1階の接客カウンターを忙しなく行き来していた。スタッフから客の注文内容を聞き、厨房に伝えに行くのが仕事のようだ。客と接する機会はない。

 宮内庁関係者が語る。

「3月9日に小室さんは秋篠宮邸を訪れていますが、会ったのは眞子さまだけでした。秋篠宮ご夫妻は宮邸にいながら、娘の結婚相手とお会いにならなかった。そこにご両親の意思が感じられます。次々と出てくる小室家の報道に、当初は同情的だった秋篠宮さまも、危惧の念をお持ちのようです。ただ、あくまでも眞子さまご本人の意思を尊重するというスタンスは変えないおつもりだと聞いています」

 2年は長いようで短い。眞子さまと小室さんは、どのような決断をするのか。

「小室家・角田家」年表

※アミ部分は小室圭さん本人の項目

source : 週刊文春 2018年5月3日・10日号

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