ステージ3の乳がんを公表した梅宮アンナ。7月に主治医から病名を聞かされた時は「やっと私の番が来たか」と思ったという。計6度のがん手術をした父・辰夫ら家族への想い、闘病への決意を90分、赤裸々に明かした。
もしパパが生きていて、私ががんになったと聞いたら、どうなっていたでしょう。きっと悲しみながらも、あらゆる手段を使って私の治療のために動いてくれたんじゃないかな。私もパパに、「あの時なんの薬使ってたの?」とか、聞きたいことがいっぱいありましたね。
そう語るのは、ステージ3Aの乳がんと診断されたことを8月13日に公表した梅宮アンナ(51)。
この度小誌の独占取材に応じ、90分にわたり、現在の胸中を明かした。
私が罹患したのは、「浸潤性小葉がん」という希少がん。がんが散らばっていて、なおかつ塊が大きく、現状では手術のリスクが高いので、2週間に1回の抗がん剤で進行を止め、弱めています。
異変を感じたのは今年の5月。シャワーを浴びた後に左右の胸の大きさの違いに気づいて、おかしいな、と。その後、右胸に皮膚を引っ張られるような痛みを感じ、慌てて病院へ駆け込みました。マンモグラフィーやMRI乳房検査を受けましたが、「がんではない」との診断で、ママはとても喜んだのですが、私は「まだ油断できないぞ」と。今まで勘や直感が当たったことってあまりないんですが……特に異性関係とかね(笑)。でも年齢を重ね、勘が磨かれたのかな。
7月上旬に生体検査の結果が出て、医師から「がんです」と告げられた時は、「やっぱり」と思いました。同時に、「ああ、やっと私の番が来たか」と。パパも、計6度ものがん手術を受けていましたから。
父・辰夫は36歳の時に睾丸がんと肺がんに罹患。この日、インタビューにも同席した母のクラウディアさんは、「夫は当時、抗がん剤治療を受けていましたが、とても元気でした。幼い子と妻を置いてはいけないと、勧められた様々な治療を試し、常に前向きでした」と語る。しかし、その後も続いたがんとの闘いは辰夫の心を着実に蝕んでいった。
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source : 週刊文春 2024年8月29日号