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佐川清「私がカネを貸した歴代首相の実名」 10年の沈黙を破った衝撃の告白――「もう一度読みたい、あのスクープ」

「週刊文春」編集部
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「東京佐川急便事件」から約10年。佐川急便の創業者、佐川清氏がついに沈黙を破った。政界のタニマチとして広く知られる佐川氏の元には歴代総理も出向いていたという。「総理は500万円、大臣は300万円」(佐川氏)。そこにはもちろん、アノ人も姿を現していた。

※「週刊文春」創刊60周年企画「もう一度読みたい、あのスクープ記事60本」より、アンケート得票数の高かった記事を特別再録します。本記事は2000年7月13日号より転載。記事中の年齢や日付、肩書き等は掲載時のものです。

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 京都市内でも指折りの高級住宅地、左京区南禅寺。

 佐川急便の創業者。佐川清社主(78)は、昭和53年当時に住友銀行から約4億円で購入したという敷地面積約800坪、総檜造りの大豪邸に暮らしている。

 豪華な日本庭園が見渡せる一室で、佐川氏は2時間の取材に応じた。

 佐川氏が一般のメディアに登場するのは、空前の政界疑獄となった「東京佐川急便事件」以来、約10年ぶりのことである。

 本当は私、マスコミなんて、全然信用してないんですよ。有ること無いこと滅茶苦茶に書かれましたから。まぁ佐川急便が急成長したことも原因なんでしょうがね。

 でも、たまたま、『週刊文春』で佐川急便の記事が出ていたので、今回は取材を受けてみようと思ったんですね。

 小誌(6月22日号)は、佐川急便の栗和田榮一社長派vs湊川誠生副社長派の“解任騒動”の一部始終を報じた。湊川派は、栗和田社長を一旦は解任して、佐川清氏の次男・佐川光副社長をトップに立てようとしたが、結局社長派に押し切られた。その後、6月19日の株主総会で、湊川氏を含む4人の役員は事実上の“解任”で退社。光氏も代表権のない副社長に格下げされた。

 実は、湊川とは役員会の前日に会っとるんです。「役員は18人いますが、そのうち11人は私についてるから勝ちます」と、言ってた。ところが、翌日までに“買収”でもされたのか、9対9になったんだな。辞めさせられた奴は、ここに来てワァワァ泣いとったから、「バカ、泣くな」と、言ってやりました。

 もっとも、そういう奴らも結局は、別の支店長を任せられたらしいから、色々と条件を付けられて懐柔されたんでしょう。

 中には、280万円の月給が、一気に600万円に上がった奴もおると聞いた。その一方で、ドライバーの月給は40万円とか35万円に下げられてるんです。

 こんな状態じゃ、会社がもちません。それで、6月19日、(会長退任後)初めて株主総会に出たんです。

 当日は、家の裏の方から出て本社に行きました。以前、関西から会社の内情を訴える投書をここに持って来たドライバー達の名前を、会社の連中が知ってたんですよ。今は止めさせましたが、ビデオを撮ってたらしい。で、用心で裏から出たんです。

 本社の連中も驚いたでしょう。向こうは役員が18人。こっちは1人。といっても、顔も知らん奴も多かったですがね。私が喋り始めると、正面で、真ン中に座っていた栗和田は、下を向いて後ろに下がっていくんですから。

 話をしたのは20分位ですかね。お前は、こっちから金を取ってる、コイツは向こうから金を貰ってると、次々に指摘してやりました。誰も反論は出来なかったね。

 この「株主総会」について佐川急便は、「佐川清氏は、株主総会会場の弊社に来社、総会に先駆け、総会出席予定の弊社執行部に対し、株主として創業以来の経営方針に関する意見を述ベ、帰宅されました」(広報課)とだけ答える。

 佐川氏は、平成4年に東京佐川急便事件の責任をとり一線から退いていた。その後、全国の佐川急便グループが京都本社に吸収合併され、佐川氏の持ち株比率も減少。社内での発言力は削り取られてきた。

 今でもドライバー達は私を慕って来ますよ。佐川のドライバーは暴走族上がりが多いんですが、こいつらが良く働くんですよ。一緒に焼き肉でも食えば、目の前の社長にでも、「この人は働かない」と、堂々と言うような連中ばかりですからね。

 私はね、鹿児島で150人の人間を使って、土木仕事をやっていたことがあって、その時も、東京で給料500円ぐらいなのに、作業員に800円も払っていたんです。だから皆が仕事をする。高い給料を払わないとドライバーの質が悪くなるんです。佐川急便は、ドライバーが中心の会社ですからね。

 私の時代は、ドライバーの給料は全体経費の50パーセントと決まっていた。ところが、私が辞めた途端に、中間管理職ばかりが増えてしまった。事務系なんて、計算課と経理と総務を合わせても38人しかいなかったのが、今450人ぐらいいる。昭和57年当時の管理職も、686人だったのに、辞めた3カ月後には2400人。で、ビルを管理するインテリ坊や何十万円も払ってる。

 しかも、支社長の退職金は何億円って額ですよ。どこの世界に、運送屋のオヤジに5億だ6億だって退職金払う会社がありますか。幹部連中は、金ボケしてるんですよ。

 批判の矢面に立っている栗和田社長は、佐川氏が新潟県板倉村のとび職「栗和田組」の養女・ミヨさんと見合い結婚して生まれた、実の息子だ。しかし佐川氏は、結婚前から深い仲だった幸枝さんと再婚。栗和田社長は、佐川氏の息子とは伝えられずに女手ひとつで育てられ、30歳の時に佐川氏の勧めで佐川急便に入社している。

(栗和田氏を)社長にしたのは私ですよ。長男坊主の正明に問題があって、これでは教育上良くないと思って辞めさせた。栗和田は、まぁ私の子供だから社長になったんです。

 ところが、平成3年から(栗和田社長は)一回もウチに来ていない。私の話も何も聞きません。親子ですから、なぜ、私が家(新潟の栗和田家)を出て行ったのか、株主総会でも話したんですがね。

 栗和田は、今、台湾や中国の企業と組んで仕事が出来ているのも、全部自分の力だと思ってるんです。私が色々と繋いでいるのも忘れてね。もう、渡辺(広康・東京佐川急便元社長)と同じですよ。

 渡辺もね、気の小さい男だったんです。それが稲川会と知り合ってから、急に大きくなった気になって、稲川会にいくつかゴルフ場を造ったんですからね。

(事件になる前には)私のところに来て、何を言ったと思いますか。「日本の警察が、俺を逮捕できるのか。金丸と竹下に400億の金を投げたんだ」「マスコミは全部、俺の味方だ。50億やったから」と、こうですからね。私は何も返事しなかったですよ。

 平成3年に発覚した「東京佐川急便事件」では、政界や暴力団、芸能界への巨額融資や債務保証の実態が明るみに出た。そして、渡辺広康元社長が特別背任で逮捕、金子清新潟県知事が不正献金で起訴された。

 疑惑は政権中枢に及び、自民党の金丸信氏が5億円の受領を認めて議員を辞職。竹下登元首相の「皇民党事件」でも、「佐川マネー」が関与した、という疑惑が国会で追及される。

 しかし、「政界のタニマチ」と呼ばれ、1000億円もの金を政治家にバラ撒いたといわれる佐川氏が、訴追されることはなかった。

「タニマチ」と言われるのは好きじゃないですね。

 これは今まで言わなかったのですが、私は、竹下を(総理)大臣にすると聞いて、

「あんなバカ野郎を大臣にしたら承知せんぞ。自民党と手を切るぞ」

 と、言ってたんですよ。

 私と代議士との付き合いは石井光次郎先生(故人・元衆議院議長)からですね。昭和47年に知り合って、翌年の忘年会で「佐川君、お父さんは元気か」と、石井先生が聞くので、「親父は昭和38年に死にました」と、答えた。それで、「この商売はお前一人でやったのか」と感心して、私に惚れ込んでくれたんでしょうね。

「小渕さんは長靴履いて来た」

 石井先生には、進藤一馬さん(故人・元福岡市長・民族派団体「玄洋社」元代表)や九州の財界の方をたくさん紹介してもらいました。

 それで、昭和51年に検察庁から、「石井先生に24億6000万円贈っただろう」と、言われたんですが、そんなの知らない。私は絶対に喋らなかった。それで、「ロが固い」ということで、政治家が次々に頼ってくるようになったんです。

 総理大臣なんて、全部来ましたよ。一番多かったのは福田赳夫元首相で8回ですよ。総理は500万円、大臣は300万円って決まってましてね。もちろん借用書は取ります。そんなもん、5年待っても返って来ませんがね。

(立派な政治家は)目白(故・田中角栄元首相)ですかね。あれはイイ男でした。(故・竹下元首相は)ダメですね。金丸信だって、渡辺がバンバン金やりよってから、駄目になっちゃった。

田中角栄元首相 ©文藝春秋

(故・小渕恵三前首相は)昔、群馬に土地があるから見に来てくれ、と言うので行ったら、小渕さんは長靴履いて来たんですよ。「何やるんですか?」って聞いたら、ヌカルんで靴が埋まるような中で測量してた。あの人はうちに3回ほど来てます。

小渕元首相とは群馬で ©文藝春秋

 宮沢さん(喜一・蔵相)から後は一回も呼ばんかったです。政治家連中は、それこそ、今の森ちゃん(森喜朗首相)なんかと同じで、カネ、カネの話ばっかりだもん。(森首相は)ウチにも何回か来たことありますけどね。「エザンス」(佐川急便の接待用クラブ)にも来てます。

 渡辺美智雄はいい男だったな。ミッチャンは、「エザンス」で一緒になった有名な政治評論家が、ペチャクチャしゃべるから怒って、「もう喋るな、お前は向こうで氷でも積んでこい」ってね。

(細川護煕元首相一族が所有する京都の細川別邸は)ウチの次男坊が入ってますよ。月に180万円の家賃で、2000坪ほどありますね。

細川護煕元元首相 ©文藝春秋

 私はね、政治家に見返りを要求しないんですよ。頼むことといえば、代議士に地方の会社の社長を紹介してもらって、一緒に飲むんですよ。それで、仕事をとってくる。まあ、それが私の手なんですがね。

 今はもう、あれ(東京佐川急便事件)以来、政治家とはやってません。関連会社から給料をもらってますが、買い物はお客さんへのお土産で、月に300万円ぐらい。昔と違って金は減らないですよ。

 肺気腫を患っている佐川氏だが、長年の肉体労働で真っ黒になった顔に、笑みを浮かべてタバコを吸う。「医者は自殺行為って言うけど、肺気腫はもう治らんですから」。そして、「金銭哲学」についても、こう話した。

 O先生(古参の右翼)の子分が、「700万円融通してくれ」って言うから渡してやったら、O先生と奥さんには50万円渡しただけで、後はポッポ(ポケット)に入れちゃってたことがあった。

 今の佐川急便の幹部に、比叡山の末寺への礼金を持たせると、勝手に使っちゃう。あるマスコミの人間は、韓国に1600万円で取材に行くはずだったのが、あとで聞くと2800万円だという。女房運れで行ってるんだ。

 そんなのばっかりですよ。

 人間なんて、料亭あたりで飯食ってると、気が狂っちゃうんだね。私はラーメンやカレーライスの方が好き。まぁ料亭の仲居さんには、何万円かチップを渡しますがね、対応が変わりますから。

 でも、死んだら三途の川の渡り銭さえあればいい。地獄に落ちるか極楽に行くか、チップを払うわけにいかんでしょう。

 私はね、大阪(国税局)に脱税で入られ、女房にワンワン泣かれてから、人間が変わったんですよ。経営に復帰する気は毛頭ありません。金儲けはもう、たくさんしました。死んで子供に財産を残すつもりもありませんね。

 今の佐川急便の幹部連中も政治家も、みんな「カネ、カネ、カネ」で頭がボケとるんですからね。まったく、しょうがないですよ。

 佐川急便の前身は、佐川氏と幸枝夫人(6年前に腎不全で他界)が、大阪・京都間を60キロもの荷物を担いで運んだ“めおと飛脚”だった。夫婦で始めた運送業は、一代で年商7000億円をあげるまでに大きく成長した。

 稀代の創業者から離れ、「佐川急便」は、どこへ走り出そうとしているのか。

source : 週刊文春 2000年7月13日号

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