「もっと自分自身を認めてあげよう」「自分のことを好きになって」と最近とみに言われております。自己肯定能力の低さから、悪い男/女に引っかかったり悪い会社に引っかかったり、自分を傷つけることで精神の安定を得たりなんてこともある。しかし、自分を好き過ぎるというのも、また考えものなのだなということを、私はこの人に教わった気がします。「STAP細胞は、ありまぁす」でおなじみ、小保方晴子さん。STAP細胞があったのかなかったのか、それはもう神のみぞ知る、いやオボのみぞ知る。我々は「STAP細胞」というパンドラの箱を抱えたまま、新しい時代へと歩みを進めようとしています。

「巻き髪、ムーミン、割烹着」の人 ©時事通信社

 小保方さんといえば、「巻き髪、ムーミン、割烹着」の人。なんか『北国の春』っぽい、キャッチーです。だってそれまで理系のむんずかしい研究をしている人といったら、万年白衣で髪は爆発、フラスコでコーヒーを入れビーカーで熱燗つけ住民票は研究所……そんなイメージだったじゃないですか(※当社比)。これはもうマスコミは飛びつくし、世間は色めき立つ。そもそも世間は「理系」に弱いのです。世紀の大発見をした人が、学生時代はラクロスを謳歌し、お堅い研究所に「かわいい」を持ち込んだ。ただチャラいだけじゃない、祖母から受け継いだ「割烹着」を大切に身につけているというストーリーも匂わせる。

天才的に上手だった「味方づくり」

 こういうと、小保方さんがよくある「やりすぎセルフプロデュースの人」と思われるかもしれません。見せ方がうまいというのは確かにそうですが、小保方さんの場合、「見せ方」の角度までコントロールさせていた。この人は天才的に「味方づくり」が上手な女性だったのではないでしょうか。いつの間にか自分を取り囲む全てを味方にしていた。そしてその根源には小保方さんの尋常ならざる「自分大好き」があると思えてなりません。

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 そもそも「巻き髪、ムーミン、割烹着」のような、過度なセルフプロデュースに対し、往々にして同性は敏感に反応するものです。しかし当時は驚くほど批判の声は上がらなかったと記憶しています。ちなみに自分の当時のツイッターを見返したところ「小保方死すともSTAP死せず」「小保方さんほんとチェリーブロッサムあたりまでの第一次聖子ちゃんに似てる」「小保方さんの研究室の壁、どうしてムーミンだったんだろう。もしあれが幽遊白書だったら小保方さんの会見中、全力で微笑みの爆弾歌って応援したのに」「小保方ノートと中村紀の言い訳FB、平成のエアリー対決」と全く参考になりませんでした。反省します。いや反省しまぁす。