「かわいい」と「かわいそう」の使い分けが巧みだった
まぁ、めちゃめちゃすごい研究をしてる人だからという下駄は多少履いていたでしょうが、女性たち、特に性差別への意識が高い女性たちは、あの会見を見て「小保方さんは男性社会で不当な扱いを受けている」「早くアメリカに帰った方がいい」「圧力に負けないで」と応援する機運が高かった。組織の犠牲になっていると、多くの女性たちは感じていた気がします。
一方で男性の視点はどうだったのでしょうか。少しやつれた姿で会見に登場し、涙をためながら、少々稚拙とも思われる反論や主張を繰り返す。「ありまぁす」はまさにその象徴ですよね。あの会見を見て庇護欲に駆られた方も多かったようです。弱々しい小動物のような、可愛らしさ。あの「守ってあげたくなる」感は、小保方さんが理系の世界を生き抜く最大の強みだったのではないでしょうか。つまり同性に対しては「能力があるがゆえに男から嫉妬されるかわいそうな女」を見せ、男性に対しては「一生懸命がんばってるけど自分より能力が低い、かわいい女」を見せる。自覚的なのか無自覚なのか、とにかくこの「かわいい」と「かわいそう」の使い分けが、めちゃめちゃ巧みだったのだと思うのです。
“平成の毒婦“を思い出してしまう
この話で思い出すのが、先日3度目の獄中結婚を発表した木嶋佳苗死刑囚。彼女もまた、女性に対しては「男性社会への復讐を果たした女」であり、男性に対しては「“違いがわかる俺”という自尊心を存分に満たしてあげられる女」でした。複数人の死に関係したとされ、死刑を言い渡されても尚自らの幸せを貪欲に追い求め、それが時に賞賛すら浴びる。「かわいい」と「かわいそう」の使い分け、そして「自分は絶対に悪くない」という強すぎる思い込み。自分大好きゆえに、そんな自分が望んだ、思い描いた理想の世界から逆算した行動を取ってしまったこの二人。それがたとえ科学のルールを曲げることでも、法を冒すことであっても、です。小保方さんの中では「STAP細胞は、ありまぁす」が結論であり、正しい世界。実験や研究は「ありまぁす」のアリバイづくりに過ぎないということになります。