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「余命半年の宣告から3年、“楽観的”が何より大事」――大林宣彦が語る「理想の死のかたち」

映画監督・大林宣彦が語る「大往生」#1

戦死したタカ兄さんが僕の家の廊下の隅に立っていた

――大林さんは、1977年、ファンタジー・ホラー『HOUSE/ハウス』で商業映画デビューを果たした。その後、『転校生』『時をかける少女』『漂流教室』など多くの作品を撮って来たが、幻想的な手法は、“映像の魔術師”と呼ばれた。

大林 僕にとって、生と死の間には「狭間」がないんです。

 戦時中は、名前や顔を知っている人が戦死したと毎日知らせがあり、ある時、満州へ出征した隣のタカ兄さんの戦死が伝わってきました。毎日、鶏屋のタカ兄さんのところへ行き、卵を貰ってくるのが僕の仕事でしたから、よく知っている人です。戦死を聞いた後、ふと見ると、タカ兄さんが鶏屋の格好のままで、僕の家の廊下の隅に立っていました。

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 タカ兄さんだけではありません。肺病になり、戦争に行けないから非国民だと恥じていたご近所のおじさんは、鉄道自殺しました。自殺した後、やはり家の廊下の隅に立っていました。死んだ人が、廊下に立っているのです。

©山元茂樹/文藝春秋

 僕は、僕が覚えている限り、彼らは生きている、僕が覚えてなければ死んじゃう、と学びました。そしてそれは、僕にとってすごく勇気になった。

 世の中には「本当」と「嘘」がある。タカ兄さんが死んだのは本当で、廊下に立っていたのは嘘ですが、僕の心の中では、タカ兄さんが生きているという真がある。僕が映画で描きたいのは、この「真」です。

 子供の頃の体験は、今も映画に影響していますね。

 敗戦直前の7歳の時、「母ちゃんと一緒にお風呂に入らん?」と母が言いました。当時は男尊女卑が当たり前で、風呂に入るのも男女別と決められ、母とお風呂に入ったことはありませんでした。お風呂で母の裸を初めて見た時、女の人の裸は、こんなに美しく、柔らかく、温かいものかと感じました。

©山元茂樹/文藝春秋

 僕の映画には、少女の裸が必ず出てきます。“脱がせ屋”と言われたりもしましたが、「着せてないだけ」と答えています。赤ん坊は服を着て生まれて来ません。命の象徴としての、裸を撮る。そこには、母親の裸を初めて見た時の影響がある。