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「“出口”が見つからないがために、形にならない善意がある」『24時間テレビ』生みの親が語る、番組の原点

『24時間テレビ』生みの親・都築忠彦氏インタビュー #3

2019/11/24
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「都築の血は青い」と言われた大学時代

――幼少期から、演劇に親しんでいたと伺いました。

都築 小学校から大学まで、ずっとやっていました。小学校では、ルーズベルトやチャーチルを鬼に見立てて、桃太郎が鬼退治に行くという、そういうパターン。これは杉浦幸雄さんという漫画家が新聞に発表した1コマ漫画を真似して学芸会でやるのが、全国の小学校で流行っていたんですね。

 中学になると、三好十郎をやったり、大学では劇団駒場に所属して、アーサー・ミラーをやったりしましたね。マッカーシズムを風刺した、『サレムの魔女』とかね。

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――「劇団駒場」は、東京大学のいわゆるアングラ劇団ですね。そこでの経験が、思想形成に影響を与えた?

都築 いや、僕は思想とかそういうのはすごく嫌いだったんです。戦時中の反動で。同級生に、「都築の血は青い」って言われていたくらい。

 

学生運動全盛期、デモは「すごく嫌だった」

――当時は学生運動が全盛でしたよね。

都築 まさにそういう時代でした。樺美智子さんが亡くなった、1960年6月15日の安保闘争のデモってあるでしょう。僕、その場に居合わせていたんですよ。学生自治会の委員だったので、一番先頭の集団で行かされたんですけれども、3、4メートル先に樺さんもいて。で、学生たちが国会の中に突入したはいいけれども、後ろで門が閉ざされて、押されて息ができず、死ぬかと思った。

 裸足で下宿まで逃げて帰ってきて、ラジオを付けたら、女子学生が1人亡くなったってニュースになっていて……東大の女子学生って他にあんまり居なかったから、樺さんじゃないか、という話になったことを覚えていますね。

――そうした現場に立ち会っても、学生運動には乗り切れなかった?

都築 そのときみたいに、義理でデモに付いて行くことは何回かあったんだけれども、それでもこうやってやる(編集部注:拳を突き上げる仕草をする)のはすごい嫌いだったの。こんなことをやって「南門へ突撃!」っていったって、世の中変わらないんじゃないか、って。

背景にあるのは1980年の『24時間テレビ』のポスター。コピーは糸井重里氏によるもの

 それこそコンシャスニス・レイジングで、投票行動でひっくり返したほうが早いと思っていたんです。当時はこっち(編集部注:再度、拳を突き上げる仕草をする)のほうがカッコいいという風潮があったので、そんなことを言うと、白い目で見られましたけれども。

 でも、実際に安保闘争で岸内閣は倒れたので、結果的には私のほうが間違っていた。60年の時点ではね。だから、世の中分からないものですよ。