他人から金を借りた人間が貸してくれた相手に居丈高に振る舞い、返済を求められると「返す必要はない」と開き直る……そんなあべこべな状況が韓国では常態化しているという。「確かに金は借りたけれども、すでに『情』で支払っているから、この上金まで支払うのは公正ではない」というのがその言い分だ。

「情」とは何か? それは著者の言葉を借りるなら、ウリ(=自分の親しい間柄の人間)に対してかける「ウザい」までの優しさ、親愛の情を表す。それは決して無償のものではなく、「情」をかけられたなら必ず対価が発生する。そのもっとも分かりやすい例が、「借金を返さない」ことだというのだ。

 韓国に生まれ育ちながら韓国文化へのアイロニカルな言説を隠さないシンシアリー氏の著書『なぜ韓国人は借りたお金を返さないのか 韓国人による日韓比較論』(扶桑社)より一部を引用し、韓国人の倫理観について知る。

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他人のお金を借りて返さない人が偉そうにしている韓国社会

©iStock.com

 韓国人は、ウリの範囲にいる人に対しては、何が何でも徹底的に関わろうとします。韓国人はこれを「情が溢れる」という意味で「ジョンギョプタ」(정겹다)と言います。ジョンギョプタは、「情」と「ギョプ」の組み合わせで、ギョプは重なる、多重になっているという意味です。韓国ではジョンギョプタを日本語にする際に「多情多感」「親しい」「優しい」などとしますが、私に訳せというなら「ウザい」あたりがいいでしょう。

 韓国人が日本人を「冷たい」と評する大きな要因です。同じグループ内に入った(たとえば同じ会社、同じ部署に入った)のに、なんで私をもっと構ってくれないのか、というのです。これもまた日本側のネット上のネタで、韓国を「かまってちゃん」と呼ぶ人が多いですが、それも大して間違ってないわけです。

 ただ、その多重の情は、決してゴンチャ(タダ)ではありません。いずれ、かならず何かの「対価」を要求されることになります。その対価の概念のもっとも一般的な表れ方が、「借りたお金を返さない」です。

 情をすでに払っておいたから、返さないのが公正だというのです。書いていて悲しくなることですが、私をはじめ、本当に大勢の韓国社会の人々が、この「公正」にやられました。

「経済分野の道徳性の回復を急ぐべきです。いつからか、私たちの社会には、他人のお金を借りて返さない人のほうが、ずっと偉そうにしています。借りたお金を自分の権利だと認識しているのです」

「借りたお金を返さない人のほうがもっと豊かに暮らせる社会では、そういう人たちを狙った犯罪が多発することになります」

「資本主義経済の根幹は、自由意志による契約です。契約はお互いの信頼を必要とします。どんな理由があろうと、契約を履行しない人が増えれば、資本主義経済は崩れるしかありません」

 1992年9月17日、ソウル地方検察庁の経済関連担当となった、部長検事の就任演説の一部です(『毎日経済』/同日)。

 当時、そう大きな話題になったわけではありませんが、一部のマスコミは、この演説に注目しました。「やはり、まだまだ借りたお金を返さない人が多い。だからあえてあのような演説をしたのだ」、と。演説文の「契約をちゃんと履行しない人」というのも、前後の内容からして、お金をちゃんと返さない人というニュアンスでした。

韓国の諺「お金は、座って(貸して)やり、立って(返して)もらう」

 最近は韓国のマスコミも「韓国人の~(何かの問題点)」というような記事を書かなくなりましたが、80年代、いや90年代までは、「韓国人は~だから、~を直すべきだ」とする社会批判記事が結構ありました。

『なぜ韓国人は借りたお金を返さないのか 韓国人による日韓比較論』

 いわば社会改革キャンペーン的な記事でしたが、その中に欠かさず出てくるものが、「親しい仲でも借りたお金はちゃんと返すべきだ」でした。「保証人になるな」という内容が、いつもセットで載っていました。この部長検事も、同じことを指摘していたのです。

 もともと韓国では、「ウリ」の「情」をお金で確認する方法が二つありました。

 一つは、お金を貸してくれること。

 もう一つは、銀行など金融機関からお金を借りる時に「保証人」(韓国では総称として連帯保証人といいます)になってくれること。