「花の35期」本来のエースは若くして病に……
「『花の35期』と呼ばれた司法修習35期の黒川、林の両氏について、当初から2人が検事総長の有力候補としてシノギを削っていたといった報道が一部でありますが、それは事実ではありません。確かに35期にはほかにも、東京地検特捜部長を務めた佐久間達哉弁護士、特捜部の副部長を務め、一時は代議士も務めた若狭勝弁護士、特捜部経験がありテレビのコメンテーターなどもしている郷原信郎弁護士らタレントぞろいです。ですが、当初同期のトップと目されていた人物はほかにいました。
ただ、若くして病になり、その後、35期は法務官僚畑の『赤レンガ派』は林氏、特捜部畑の『捜査現場派』は佐久間氏と言われるようになりました。黒川氏も若い頃は特捜部で四大証券利益供与事件などの捜査に関わりましたが、ぱっとはせず、法務官僚畑の道を進むことになりました。林氏が稲田氏の後任として法務省の人事を差配する人事課長に就任した2008年1月の異動で、黒川氏は秘書課長から官房審議官に就任しています。『すでに検事総長コースに乗っていた稲田氏の後継者は林氏』という規定路線はこの時点で鮮明となっており、黒川さんが後塵を拝している印象は拭えませんでした。
「黒川氏は陰で『猛獣使い』などと呼ばれていた」
ただ、この頃から黒川氏の“特異”な感性が発揮されるようになってゆきました。政治家の扱いがとてもうまいのです。法務大臣の秘書業務を担う秘書課長としては、第1次安倍内閣改造内閣で鳩山邦夫法相に、次の福田内閣でも鳩山法相に仕えました。鳩山氏は法務省が死刑執行を公表するようになって以降、当時最多となる13人の死刑執行を法相として命令してますが、その執行に先鞭をつけたのが黒川氏です。鳩山氏は法相時代に『友人の友人がアルカイダ』と問題発言をしていたため、黒川氏は陰で『猛獣使い』などと呼ばれていたのです。そのことは自民党政権内部でもよく知られていたはずです」(同前)
ただ、黒川氏の本領が発揮され始めたのは、民主党政権下だったと言われている。別の法務・検察関係者が解説する。
「政務を担う官房審議官として黒川氏は、言葉は悪いですが千葉景子法相を完全に“手なずける”ことに成功したのです。黒川氏は千葉法相の歓心を買うべく努め、厚い信頼を得ました。その証左が、アムネスティ議員連盟の事務局長を務めるなど人権派の弁護士として知られた千葉法相が、2人の死刑執行の命令書にサインをしたという事実です。また、黒川氏は2010年8月に松山地検検事正へ転出しましたが、なんと2カ月後の10月に法務省官房付として本省に戻されています。