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バツ2でコブ2、元ヤンの女性刑事が難事件に迫る

『月夜に溺れる』(長沢樹 著)――著者インタビュー

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『月夜に溺れる』(長沢樹 著)

『消失グラデーション』で横溝正史ミステリ大賞を受賞し鮮烈なデビューを果たしてから6年。青春ミステリを中心に精力的に作品を発表し、すでに6本の人気シリーズを持つ著者に、目が覚めるようなニューヒロインが誕生した! アラサーの、バツ2でコブ2のシングルマザー、しかも、神奈川県警生活安全部少年捜査課に所属する女性刑事という“大人”の主人公だ。これまで高校生や大学生をメインに描くことの多かった長沢さんに、どんな心境の変化があったのか。

「最初は、女子高生がある事件に巻き込まれて……という、比較的自分が得意とする青春ミステリを想定していたんですが、思うように進まなくて。試しにその女子高生のお母さんの若い頃の話でもと思って書き出してみたら思いがけず筆が進んだというのが真相です(笑)。猪突猛進型のヒロインが、元旦那や母親、時に幼い娘の助けを借りながら暴走気味に事件を解決していくという基本設定がよかったんでしょう。春に刊行した『ダークナンバー』が、テレビマンの視点で警察の捜査を描いた『警察×報道』だとしたら、こちらは『警察×家族』。もうひとつの現場は家庭にあり、といったところでしょうか」

 元旦那というのが同業者、それも2人とも将来を嘱望されたエリート刑事というのがミソで、その2人と離婚騒動を起こした挙句、離婚後も懲りずに浮名を流す主人公・霧生(きりお)に対して県警内部の目はひどく冷たい。しかし、頼もしい元旦那2人はそんなことなどどこ吹く風とばかりに、陰に日向に彼女の捜査を助け、霧生もまたその期待に応えるようにアウトサイダーとしての身軽さを味方につけた独自捜査で、男どもが手を焼く難事件解決の糸口を見つけ出してしまうのだ。

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長沢樹さん 写真提供/KADOKAWA

「恋多き女だけれど、捜査にはいつだって全力投球だし、とりわけ少女たちに対する慈しみの気持ちでは誰にも負けない。川崎育ちの元ヤンで、自分もヤンチャをしてきた分、彼女たちに対するまなざしが優しいのでしょう。おそらく霧生は、『取り締まられる側』から見た風景というものをよく知っていて、罪を犯さざるを得なかった人間が抱えるやるせない動機というものに寄り添うことができる。僕はやっぱり女性としての霧生はとても魅力的だと思うし、彼女の資質は、傷ついた、社会的に弱い立場の人間にとって、とりわけ大事なものだと思うんです。そもそも、川崎を中心とした歓楽街を舞台にしようと決めたときから、主人公はぜったい捜査一課じゃなくて、生活安全部の人間にしたいと思っていました。捜査一課が扱う殺人という『大事件』だけではこの街が抱える風紀全般の問題、若い子たちが貧困にあえぐ姿や、居場所を求める切実さに迫りきれないと思ったからです」

 長沢さんは現役のテレビマンだ。報道番組に携わるなかで受けた刺激が作品を書き出す原動力になることはよくあるというが、本作はとりわけその要素が強いという。

「実際に起きた事件や犯罪について警察や記者の方から話を聞く機会というのが度々あって、若い子たちを取り巻く現状の劣悪さというものにずっと心を痛めてきました。そうした、澱(おり)のように溜まっていた僕のモヤモヤを払拭してくれるかのように、霧生は走り回ってくれました」

 長沢さんはまた、実際の「彷徨(ほうこう)」から事件の現場を選び出すことも多いという。川崎や伊勢佐木町(いせざきちょう)といった歓楽街から多摩川に面した川崎臨港部まで、本作のなかにも神奈川の様々な場所が登場する。

「僕は自転車が趣味で、暇さえあれば街を走り回っています。今作に出てくる場所もすべて自分の目で見て回った場所で、埼玉の自宅から川崎市の臨港部まで走ったときには真夏に2時間半ペダルを漕ぎっぱなしで、着いたときにはもう汗だく(笑)。目に飛び込んでくるものを大事にしたいから地図は持たず、その風景を見たときにパッと目の前に立ち上るシーンというのを大切にしています。別の日に通った、海に面した国道134号線は犯人のアリバイ工作の要として生き、伊勢佐木町や黄金町で幻視した少女たちの姿は表題作に繋がりました。そうやって存分に走って帰る道々のコンビニで小さな地図を買って、どこのルートを走ったのかを確認する。これが僕にとって小説のスタート地点なのかもしれません」

ながさわ・いつき
1969年、新潟県生まれ。2011年、『消失グラデーション』で第31回横溝正史ミステリ大賞を受賞。著書に『夏服パースペクティヴ』『冬空トランス』『武蔵野アンダーワールド・セブン―意地悪な幽霊―』『上石神井さよならレボリューション』『ダークナンバー』など多数。

月夜に溺れる

長沢 樹(著)

光文社
2017年7月19日 発売

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