「前代未聞で面白い取り組みだと思いました」
2022年10月、独立リーグの茨城アストロプラネッツが監督を公募するとSNSで目にしたとき、NHKのディレクターだった伊藤悠一は取材者として興味を惹かれた。
それから3カ月後の1月12日、自身が新監督として会見に出席することになった。
マンガのような話だが、35歳の彼にとって夢の第一歩である。
「将来的に高校野球の指導者を目指しています。NHKの仕事はすごく好きで続けていきたかったけれど、監督というポジションを通して学べる部分がかなり大きいと思いました。調べていくうちに、球団に魅力を感じて応募しました」
妻と子どもが一人いるなか、給料はNHK時代の「3分の1か4分の1」に。それでも独立リーグという経済的に恵まれない環境に飛び込んだのは、小中学生からの夢をかなえるためだった。
NPBの選手たちが周囲に羨まれるような大金を稼ぐ反面、独立リーグは月給10~15万円という世界だ。高校や大学、社会人という既存の“レール”の上でうまくいかなかった後、「プロになりたい」という夢を追い続ける男たちが集まってくるケースが多い。
そうした世界を知るにつれ、伊藤は自身に通じるものを感じるようになった。もともと甲子園に憧れて静岡の強豪・日大三島高校に入学したが、1年夏の大会後にやめているからだ。
「将来野球の監督をやりたいと思うと同時に、しっかり勉強して大学に行ってテレビ局でディレクターをやりたいという夢を持っていました。でも、私立の強豪校では野球も勉強もしっかりやるような環境はなくて。二刀流で両方100%やりたい気持ちから、別の学校に再入学しました」
日大三島を1年で中退し、静岡県立御殿場南高校に入り直した。ところが受験勉強にはさほど熱心に取り組まず、1浪して慶應大学の環境情報学部に入学する。本当は早稲田大学に進んで斎藤佑樹、大石達也らと一緒に野球をやりたかったが、慶應に行くことになり、「別のスポーツをやりたい」と陸上の十種競技に転向した。
バックボーンとして、伊藤は既存のレールに乗って満足するようなタイプではないのだ。
「16歳で肩書き的には『無職』になっているので、本当にギリギリのところで生き残ってきました。そういうマインドは、独立リーグの選手と通じる部分もあるのかなと感じています」
NHKでは和歌山、東京、静岡を拠点に、ドキュメンタリー番組の制作を中心に11年弱勤務して昨年末退職した。
一般的な価値観で言えば、NHKを辞めて独立リーグに行くという決断は“無謀”だろう。
だが、クリエイティブ精神にあふれる仕事仲間たちは応援してくれた。「家族や両親には驚かれたけれど、『まあ、そうだよね』って感じで受け入れてくれました(笑)」。
野球監督とディレクターの共通点
かたや茨城アストロプラネッツでは、新監督に伊藤を据えることは必ずしも好意的に受け止められたわけではない。
「野球人ではない人を野球の監督にするのは無理だ。野球人は誰も、そんな監督に敬意を払わないよ」
GMの色川冬馬が下そうとする決定に、球団内でもそんな反対の声が上がった。
日本のプロ野球では独立リーグを含め、「プロ」で実績を残していない指導者はなかなか受け入れられないものだ。“元選手”がコーチになるのが当たり前で、固定観念に反した採用が行われることはまずあり得ない。
だが、“元選手”がいきなり指導者になっても、「ティーチングとコーチングの違い」がわからずに選手を成長させられないケースが珍しくない。色川はそうしたあり方を疑問に感じ、2020年オフに茨城球団のGMに就任以降、日本球界の常識に捉われないチームづくりを進めてきた。
「マネジメントとコーチングの違いについて、どうお考えですか?」
監督に応募した99人のうち15人にオンライン面談を行った際、色川の質問に答えられない者がほとんどだった。なかには社会人野球経験者もいたが、監督の資質は感じ取れなかった。
対して、伊藤には光るものがあった。色川が説明する。
「テレビ業界におけるディレクターというポジションは、決裁者など前提条件をつくる人が上にいながら、撮影現場ではカメラマンや音声など特殊技能の人たちを使いこなしていく。出演するタレントはみんな曲者ですよね。伊藤さんがやってきた経歴は野球とまったく違うけど、組織における立ち位置で言えば監督とディレクターは同じです」