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「共産党は戦後に合法政党となったため、戦前と比べて格段に間口が広くなりました。当時の進歩的学生にとっての共産主義の魅力は、主に3点あったと思います。

 第1に共産主義が持っている体系的な世界観と理論です。経済から政治、軍事に至るまで世界を体系立ててトータルに把握する世界観を持ち、かつ実践的な課題を導き出す共産主義の魅力というのは非常に大きかったと思います。

 第2に当時の共産主義の国際的な勢いです。ソ連、後には中国など実際に革命を成就させ、理論を体現している国があったことは巨大なインパクトがありました。

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 第3に戦時下での闘争です。超国家主義が戦争を引き起こしたと認識され、右派的価値観が事実上知的世界から否定された戦後的状況の中で、侵略戦争を批判し続けていた共産党にシンパシーを覚える学生が数多く存在しました。こうした状況下で、終戦直後の時期から1960年安保くらいまでが、共産主義が日本で最も魅力を放っていた時期だったと思います」

共産党支部「東大細胞」のキャップの座に

 やがて渡辺は、大学内の共産党支部である「東大細胞」のキャップの座に就く。この時期の東大細胞には、高校時代からの親友で後に共に読売新聞に入社する氏家齊一郎、後に西武百貨店を中核とするセゾングループを築き上げる堤清二(※4)、西友会長や経団連副会長を務める高丘季昭らも在籍していた。

渡辺氏と氏家齊一郎氏(写真左) ©文藝春秋

 渡辺はこうした多士済々の東大細胞メンバー約200人を率い、活動に没頭していった。

 中北は当時の東大細胞キャップが持っていた権威について、次のように語る。

「東大細胞のキャップは、当時の進歩的学生からは仰ぎ見るような存在だったでしょう。そもそも大学生自体が、戦前から戦後のある時期までは数少ないエリートで、その中でも東大が持つ知的権威は今とは比べものにならない圧倒的なものがありました。

 共産主義の魅力は理論的な側面が大きくて、そうした理論面では東大出身者が持つ権威が必然的に高まったということもあったでしょう。戦後の歴代共産党トップにも東大出身の理論家が多い。

 党の初代書記長の徳田球一は苦学しながら日本大学夜間部で学び弁護士となった大衆運動家でしたが、宮本顕治以降、不破哲三氏、志位和夫氏と歴代の最高指導者がすべて東大出身なのも、こうした理論信仰と密接な関係があると思います」