「最初は手伝いだと思ってました」。話が進むにつれて、自分も送られる側だと気付いた。

 大引啓次が引退してから3年が経っている。昨年12月18日に行われた「PERSOL THE LAST GAME」で、「背番号2」がショートに戻ってきた。現役時代に誇りを持って守ったポジションで、彼は変わらぬ姿をファンに披露した。

「PERSOL THE LAST GAME」は、引退試合が出来なかった選手やOBが集まって試合をし、ファンや家族とともに過ごすイベントで、2022年1月に続き第2回の開催になる。1番ショートで出場した大引は、慣れ親しんだ守備位置で軽快な動きを見せた。バッティングではレフト前へのクリーンヒットもあったが、「気持ちはレフトスタンドへ行ってたんですよ」と笑う。

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 最終回には小学生以来だというピッチングにも挑戦し、見事三者凡退。試合を心行くまで楽しんだ。

 現在は日体大で大学院に通いながら、硬式野球部の臨時コーチもこなしている。「恥ずかしくない程度に」動けるよう準備はしていた。現役時代ずっとそうだったように、今もやはり野球を第一に考える毎日だ。

元ヤクルトの大引啓次 ©HISATO

ヤクルトの引退セレモニーを断った理由

 大引啓次は、法政大学から2006年ドラフトでオリックスに入団した。2013年に日本ハムに移籍し、2015年にFA権を行使しヤクルトへ。2019年にヤクルトを戦力外になった際、球団からは引退セレモニーなど花道を用意すると言われたが、大引はそれを断り、現役続行の道を探った。

「あの年は畠山さんと館山さんが先に引退を決めていました。あのお二人はチームの功労者です。生え抜きでタイトルも獲られている。そこに自分が加わっていいのか、という思いもありましたし、自分がまだもう少しやりたいという気持ちもあったので、そこは丁重にお断りしました」

 身体について言えば、フルでショートは厳しいという思いはあった。だが引退すれば、次の年に野球はもう出来ない。家族のためにも続けたい。ただ、心のどこかで、「来年もこんな形で野球を続けるのか」という思いが湧いていた。一軍と二軍を行ったり来たりし、ベンチを温めながら「自分は何をしているんだろう」と考えるあの時間。

「自分はすごく恵まれていたと思うんです。高校1年の秋からはずっとレギュラーで、ほぼスタメンでした。それが当たり前になっていた。もし来年もベンチを温めることが増えるなら、辞めた方がいいのかもしれない、という思いも強かったですね。それは僕のエゴだったと思いますけど」

 オファーを待ってはいた。実際にアマチュアや独立リーグの誘いはあったが、現役続行するならNPBで、との思いがある。現役か、引退か。ただ、葛藤の向こうに、指導者への道は常に見えていた。

「いつまでも選手でいられるわけではないので、指導者にいつかはなると考えていました。辞めて『さあ今から』ではなく、現役時代から片足を突っ込むくらいの形でいたつもりです。『コーチはこういう選手にはこういう接し方をするんだ』『選手はどんな反応をするのか』など、技術もそうですけど、コーチングを見ていました」

 いずれ指導者になるのであれば、勉強は早い方がいい。そうして、引退を決断し、指導者としての道をスタートさせた。

「PERSOL THE LAST GAME」にて ©HISATO

「大学院とは何ぞや」から始まった勉強の日々

 引退を決めた年の末、まず勉強をし直したいと思った。では大学院へ、と思ったが、まず『大学院とは何ぞや』から始まった。大学院に通ったと思しき人を当たったり、紹介を受けて母校を訪ねたり。そこから全国各地の大学院を調べ始めた。

 2020年には渡米して研究テーマを探しながら学ぼうとしたが、コロナ禍となり1ヶ月半で帰国することになった。その年は大学院の準備に費やし、2021年に日体大大学院に入学。コーチング学を本格的に研究することとなった。さらに日体大野球部監督に引き合わせてもらい、臨時コーチとして指導をする機会も得た。

 実は大学専任のコーチになってしまうと、プロ野球OBクラブで活動したり、自分の仕事を受けたりすることが出来なくなる。そのため臨時コーチという役職が一番学びやすく、自分の活動がしやすい利点もあるのだ。

「本当に感謝しています。たくさんのことを学ぶことが出来ている。これから高くジャンプするためのステップだと思っています」

「自分みたいな選手がどうやったら試合に出られるか、ずっと考えてきました」

 自身は東京六大学である法政大学で主将も務めた。日体大の在籍するのは首都大学リーグ。指導者には、六大学の方がいい選手が集まると嘆く人もいる。ただ、いい選手たちがいるチームに絶対勝てないかというとそうではなく、やりようで勝てる。「それこそが自分のフィールド」だと大引は言う。

 大引はアマチュア時代、必ずしも強いチームでやってきたわけではない。例えば高校ならPL学園にどうやったら勝てるか。飛ばす力、速いボール、足の速さといった力が上の相手に、それ以外のところでどうやったら勝てるかをずっと考えてきた。

「プロに入ってからは特にそうです。すごい人たちをやっつけて追い越さないことには飯が食えない。自分みたいに非力で足もそんなに速くない選手が、どうやったら試合に出られるか、ずっと考えてきました。それが今の指導に生きてますね」