文春オンライン

連載明治事件史

「彼女の“千里眼”の方が上だ!」日本中から求められた千鶴子(23)だったが、40歳女性に話題をさらわれて…女たちの“超能力対決”の壮絶な結末

「彼女の“千里眼”の方が上だ!」日本中から求められた千鶴子(23)だったが、40歳女性に話題をさらわれて…女たちの“超能力対決”の壮絶な結末

「千里眼」事件 #2

2023/08/25
note

 他紙も報道して話題になり、丸亀中学(現丸亀高校)教頭からの要請を受けて、再び福來、今村の2人が丸亀へ。11月12日から実験が行われた。地元紙・香川新報(四国新聞の前身の1つ)11月13日付「福來、今村両博士の長尾幾子透覚実験」の記事は――。

 この日、実験物を入れる箱は、特に福來博士が持参した小さな巻きタバコ入れで、福來博士は最初『水天吉』と書いて実験したが、例のごとく深呼吸の後、6分23秒で的中。続いて今村博士が執筆した『三吾木』、これまた6分50秒で的中した。次いで立会人の1人が書いた『赤十字』も5分11秒で見事的中。

 記者の興奮ぶりが分かる。11月14日付東朝は「百發(発)百中の透視」、15日付読売は「いく子は千鶴子以上」の見出しを付けた。12月31日付では、福井県の資産家が「息子が大金を持って家出した」と丸亀まで来て訴え、郁子が、福井の料理店で女と豪遊していると、息子や女の容貌、今後の逃亡先まで透視したと書いた。 

「新たなる千里眼婦人」と新聞に取り上げられた長尾郁子(東京朝日)

 そんな郁子の実験に力を入れるようになったのは京都帝大文科大学(現京大文学部)。12月23日付東朝は「京大諸博士の總(総)掛(そうがかり)」の記事を載せた。学長肝いりでチームがつくられ、実験を繰り返すようになる。

ADVERTISEMENT

郁子は千鶴子には無かった新たな“能力”まで持っていた!

 11月14日の丸亀での実験で、今村が未現像の写真乾板を透視させたところ、現像すると感光していたことが注目された。東朝は12月24日付で、京大チームの実験でも感光が確認され、「郁子の人体、おそらくは頭脳から放射線が発せられていると認めるほかない」という結論に達したと報道。26日付では、その光線が仮に「京大光線」と名付けられたと伝えた。12月31日付では、11月の実験で福來が郁子に写真乾板に「天照」の文字を入れるよう念じさせたところ、29秒で1寸5分(約4.5センチ)大の「天照」の2字が感光して現れたと伝えた。

 福來は「精神的写真界の発明」と称した。これが郁子を、千鶴子にはなかった「念写」という“超能力”の持ち主にさせることになる。

実験での郁子の「正」の念写(藤教篤・藤原咲平『千里眼實驗録』より)

 京大の動きに対抗するように、翌1911(明治44)年の年明け早々、山川健次郎が所属する東京帝大理科大学(現東大理学部)の藤原咲平助手(のちの中央気象台長)らとともに丸亀に入り、実験を開始する。1月6日には「正」の字の「精神写真」(当初は念写をこう呼んだ)に成功。実験はおおむね成功で、1月9日付報知には「山川博士の実験の際はほんまに必死の覚悟でした」との郁子の談話が載った。

 ところが――。1月8日の実験は途中で急遽中止。9日付報知は「千里眼幾子夫人怒る」の見出し。記事によれば、山川が念写の準備をし、郁子が精神統一に取りかかったが「夫人はにわかに不安の念を感じたとして実験の中止を要請したので、やむを得ず中止した」という。

関連記事