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連載明治事件史

体中を切られて死んだ夫、不起訴になった「犯人」…事件に巻き込まれたカナダ人妻が語っていた“疑問”と“世間の空気”

「ラージ殺人事件」#2

2024/01/14

genre : 歴史, 社会

note

 1890(明治23)年に起きた「ラージ殺人事件」は、2人組の強盗が開校間もないミッションスクールに押し入って、カナダ人教員のトーマス・A・ラージ氏を殺害し、その妻であり校長のイライザ・S・ラージ氏も指を切り落とされる重傷を負った事件だ。

 いったん迷宮入りしたが、日本とイギリスの同盟締結をきっかけに再捜査が行われた結果、「犯人」(1人は獄中死)が判明。事件の真相が解明されたものの、当時の法制度によって時効・不起訴となった。この過程では警察の場当たり的な捜査とずさんな新聞報道が目立った。根本にあったものは――。

 今回も当時の新聞記事は、見出しはそのまま、本文は現代文に書き換え、適宜要約する。文中いまは使われない差別語、不快用語が登場するほか、敬称は省略する。(全2回の2回目/前編を読む)

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各紙は競って事件を連載読み物にした(都新聞)

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事件から約12年後――日英同盟が成立

 事件から12年近くたった1902(明治35)年2月12日。「日英同盟成る」の新聞号外が人々を驚かせた。東京日日(=現毎日新聞)の号外は書く。「現内閣が苦心惨憺、7カ月にして成功した『日英協約』は幸いに相互の一致を得て先月30日、上裁(天皇の裁可)を経てロンドンで調印済みとなった。桂(太郎)首相は本日(12日)午前9時前、枢密院(天皇の諮問に応じる合議組織)に上り、これに関する顛末を報告したという」。交渉は極秘で行われ、国民には寝耳に水だった。

日英同盟の成立は、国民には寝耳に水だった(東京日日号外)

 両国ともロシアの動きをにらんで中国(清)と韓国での権益を重視した結果だったが、「日本の国際社会における地位が一段と上昇したことを示している。これまで欧州の大国とも同盟を結ばなかった英国と、ともかくも対等の関係で同盟を結んだことによって、いまや日本は極東の小国ではなく、国際社会のれっきとした一員としての地位を確保したのである」と隅谷三喜男『日本の歴史22 大日本帝国の試煉』は指摘する。

玉の輿に乗ったように感じられた

 生方敏郎『明治大正見聞史』は「誰一人として喜ばなかった者はあるまい。あの時代の日本と英国とでは全く提灯に釣鐘という縁組だった。この同盟は誰にも、氏なくして玉の輿(こし)に乗ったように感じられたのだ」と記した。

 この日英同盟がラージ殺しの捜査にどう関係したのか。『警視庁史第1(明治編)』も事件を取り上げているが、日英同盟には全く触れていないし、ほかの資料にも見当たらない。加太こうじ『明治・大正犯罪史』と大林茂喜「英国人宣教師ラージ殺し」(「Valiant」1995年5月号所収「歴史を駆けた男たち(3)」)は、日英同盟を締結する手前、ラージ殺しを再捜査する必要に迫られたとしているが、捜査再開の時期が異なるなど、どちらも全面的には信頼できない。