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「娘の結婚で、手足をもがれる思いです」と泣きながら語る母…日本で「アダルト・チルドレン」が広がった“独自の事情”とは

なぜ娘は苦しむのか? ACブームを振り返る

2024/01/11
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阪神淡路大震災をきっかけに広がった「AC」

 日本でACという言葉が広がるきっかけは、1995年の阪神淡路大震災だった。建物や交通機関といった物理的被害だけでなく、災害は人間の心にも大きな被害の爪痕を残すことが、PTSDやトラウマという言葉とともにメディアで報じられた。

「心の傷」というわかりやすい表現は、当時広がりつつあったインターネットで共有されるようになり、多くの人たちが自らの被害を自覚するようになった。災害の被害は、家族(なかでも親)からの被害の自覚へと連動した。このことがACという言葉が一種の流行語のように広がる背景となったのである。

 ACに関する著作『「アダルト・チルドレン」完全理解』(1996、三五館)の中で、私はACを次のように定義した。

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「現在の自分の生きづらさが親との関係に起因すると認めた人」

 アメリカでの定義と異なるのは、アルコール依存症だけでなく、ギャンブルや浮気、DVといった親の問題も含まれる点、そして、客観的な診断名ではなく「自己定義」「自認」がACの基本だとした点である。

 ACという言葉の現在までの広がりは、日本独自の定義によるものではないかと思う。

©AFLO

AC女性たちにとっての、言葉にならない「母」

 さて、私の母娘関係への関心の原点はACにある。ACのカウンセリングにおいて冒頭のようなエピソードは、決して珍しいものではない。

 私が設立した原宿カウンセリングセンターでは、95年から、ACと自認する女性たちのグループカウンセリングを開始した。来談する35歳以上の女性たちが、金曜の夜に実施されるグループに参加した。

 開始当時、父親がアルコール依存症だった女性たちが多かったので、グループで語られる内容は、父にまつわるもの、父の記憶が多いだろうと想像していた。

 しかし10年近く実施してはっきりしたのは、彼女たちが一番苦しんでいたのは母との関係だったということだ。酔った父からの虐待はもちろん彼女たちの苦しい記憶だったが、その傍らで父の暴力を受け、不幸な姿を娘に晒し続けた母こそ、彼女たちにとって言語化しづらい存在だった。

 泣きながら言葉にならない、母のことを語るそばから深い罪悪感を覚える、といった参加者の姿に接しながら、私の中で「母」という存在、母娘の関係について関心が深まっていったのである。

※2008年の「母娘ブーム」や団塊世代の母たちの葛藤、息の詰まる母娘関係から抜け出す方法などについて書かれた全文は、『週刊文春WOMAN創刊5周年記念号』でお読みください。

のぶたさよこ/1946年岐阜県生まれ。お茶の水女子大学文教育学部哲学科卒業、同大学院修士課程家政学研究科児童学専攻修了。駒木野病院勤務、CIAP原宿相談室勤務を経て1995年原宿カウンセリングセンター設立、現在は顧問。

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