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「離婚したときは、さすがに落ち込みましたが…」30代で覚醒、心斎橋のシンデレラ姫が“奇抜なスタイル”を続けるワケ

心斎橋のシンデレラ姫インタビュー #1

2024/04/28

genre : ライフ, 社会

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シンデレラ姫 好きでした。父は実業家だったこともあって、いろいろな場所に出張することが多かったんです。趣味人でもあった父は、写真を撮ったり、絵を描いたりすることが好きで、よく私たち姉妹にお土産を買ってきてくれました。朝起きると、枕元にかわいいドレスやバッグ、アクセサリーが置いてあって。お菓子などではないんです。お土産は、決まってお洋服や小物類でした。

 お休みの日になると、そのドレスを着て、お出かけするのが日常茶飯事。外出先で、「かわいい」「きれいね」って言ってもらえることがうれしくって、物心がついたときにはお洋服やアクセサリーが大好きになっていました。

若き日のシンデレラ姫(1985年撮影)

熊本生まれ、山口育ち

――キャリアのスタートは、アパレル系だとお聞きしました。必然だったのかもしれませんね。

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シンデレラ姫 そう思います。生まれは熊本県で、5歳くらいのときに山口県へ引っ越すと、就職するまで山口県で暮らしていました。21歳のときにアパレル系の会社に就職するため大阪へ。その頃、一般的に流行っていたのが、女性の場合はオーソドックスなワンピースでした。当時は、カラフルな色を使ったり、デザインに遊び心があったり、キラキラした装飾を使ったりするような洋服があまりなくて、全然面白く感じなかったんです。

 デザインの企画は、春夏秋冬と季節ごとに提案していくのですが、ありきたりなものだけでは面白くない。そこで姫は、「もっとバラエティ豊かなデザインがあってもいいと思うのですが」と社長に直談判して、自分でデザインを企画する部署を作り、ファッションコンサルなどをやらせてもらったんです。それが大きく当たりまして、いろいろなことをさせてもらえるようになりましたね。

――その後に、ブライダル業界へ転職されるわけですか?

シンデレラ姫 アパレルの会社には8年くらいいたと思います。その間に結婚をして、子どもが生まれて。子どもたちを育てていく中で、同じ仕事を続けることに迷いが生じたんです。もともと私はドレスが大好きですから、もっと自分の好きなことをした方がいいんじゃないのかなって。

©文藝春秋

 そんな迷いがある中で、たまたま広島へ行く機会があり新幹線に乗っていると、突然、男性がバッと姫の隣の席に座られて、「あの……ファッション関係の方ですか?」って聞いてきたんです。「あっ、そうですけど」と返すと、「うち、ドレスをやっているんだけど、全然売れなくて」って、そのまま相談されてしまって。

突然のヘッドハンティング

――まったく面識がない方から?