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未解決事件を追う

「アリバイが曖昧だったのは神父だけ」水死体で発見された27歳女性を殺したのは…重要参考人だったベルギー人神父の“突然の帰国”

「アリバイが曖昧だったのは神父だけ」水死体で発見された27歳女性を殺したのは…重要参考人だったベルギー人神父の“突然の帰国”

『消えた神父、その後:再び、BOACスチュワーデス殺人事件の謎を解く』より#3

2024/04/30

genre : ライフ, 読書, 社会

note

委員:(略)神父は武川知子さんと肉体関係があったかどうか、それから5日間についてお調べになりましたから、その殺害の日と、この神父の重要参考人としてお調べになりましたアリバイはどうなっているのか。(略)

 

説明員:アリバイなどにつきましては精密な調査をいたしておるのであります。

 

(略)肉体関係については、あまりプライバシーの問題になりますので、本人の名誉その他もあり、被疑事実そのものずばりと直接関係もございませんので、お答えを差し控えたいと思うのであります。

 世界に冠たる巨大組織、ローマ教皇庁に属する神父を向こうに回すことなど難しく、気を配った答弁に終始している感がある。

 一方現場では、世間からの熱い期待があったせいだろうか、必死に捜査が進められていた。知子さんの行方が分からなくなった日時から遺体が発見されるまでの約16時間の空白を埋めるべく、神父のアリバイ崩しに警察は挑んでいく。

 事件を解明するうえで、知子さんの当日の足取りで決定的な場面が二つある。

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 まずは叔父宅への途上で何があったのかということだ。

 知子さんは叔父・高橋五郎に、「午後3時半から4時の間に着く」と言っている。これが果たされなかったのは、叔母宅を出てから何者かが知子さんに接触したから、としか考えられない。件の速達手紙で神父が送っていく約束をしていたとすれば、辻褄は合う。

 もうひとつは、知子さんの胃の内容物から判明した料理を誰と食べていたのか、ということだ。叔父の誕生日会をすっぽかしてまで高級な中華料理(うま煮と推定)を一人で食べに行くわけもなく、やはり近しい関係の人物と一緒に、というのがもっとも自然である。とすればやはり神父をおいて他にいない。

 警察はかねてより教会側に、「神父の行動リスト」を要請していた。これは、ドン・ボスコ社の日本人職員、野々山竜之助によって作成され、警察は野々山氏から受け取ったという。野々山氏はベルメルシュ神父の忠実な部下であり、行動リストは神父の指示を受けて作成されている。つまり客観的資料ではなく、いわばアリバイの証明であった。

 実際その内容はあまりに整然としており、都合よく書かれていた。捜査報告書から引用してみよう。

 8日午前8時より正午まで:スロイテル修道士の神父昇格叙品式が下井草教会であったので、その補助役として列席。

 正午より午後2時30分:下井草教会で長江司祭中心の昼飯会があったので、それに同席。午後2時30分より午後3時の間:デルコール、スロイテル、ラゴニヤ修道士の4人で荻窪電報局に行き、電報3通を発信して調布神学校に行く。

 午後3時より午後6時30分の間:調布神学校主催の祝賀会に出席。

 午後6時30分より午後10時の間:午後7時30分頃、デルコール、エミリオ修道士の3人で自動車に乗り、ドン・ボスコ社(杉並区)に帰る。当時コックの土肥がヘルニアで聖母病院に入院中のため、夕食の支度をして、午後8時頃夕食。その頃四谷のドン・ボスコ社に電話をしてデルコールと2人で自動車に乗り、四谷の店に行き、留守番の彦坂さんと話をして午後9時頃ドン・ボスコ社から戻り、3人で1時間位当日の叙品式の話をして、午後10時頃就寝した。ベルメルシュ神父の部屋の隣はエミリオ修道士の部屋であるが、同人は神経衰弱でよく眠れず、午前1時頃まで眠らないでいたので、よく知っている。

 なお、「彦坂さん」とは彦坂智江のことである。