「稲川会の石井さんに渡すカネだった」

 その後も1億円拾得事件は、昭和史の謎としてたびたび話題になったが、当初から落とし主として本命視されていたのが、投資家グループ「誠備」を率いていた加藤暠である。

 約4000人の誠備会員を擁し、隆盛を極めていた加藤は当時、黒川木徳証券に歩合外務員として勤めながら、1億円の拾得現場から約200メートル離れた場所にあるスポニチ銀座ビルに事務所を構えていた。

 事件の真相について加藤の妻、幸子に尋ねると、事もなげにこう明かした。

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「あれは石井さんに届けるお金だったんです」

 石井さんとは、稲川会横須賀一家総長で、のちに稲川会の二代目を襲名する石井隆匡こと石井進である。幸子が、今まで語られることのなかった当日の詳細を語る。

「3億円を預かって株の運用を任されていたのですが、先方の都合で、その株を売却して精算することになったんです。当日は運用利益1億円を付けて4億円を渡すことになっていました。私は自宅にいましたが、受け取りに来たのは、石井さんの東京の内妻、伊藤明子さんや浅草に拠点がある稲川会の関係の方などでした。日中にスポニチビルの前の歩道橋の辺りでクルマに積み込んで持ち帰ったはずが、夕方になって『1億円がない』と大騒ぎになったんです。主人は『誰かが誤魔化しているんじゃないか』と怒っていましたが、石井さんの関係者だけでなく、明子さんまでジーパン姿で必死に探していたという話を聞いて、置き引きだろう、と。そうしたら夜になって落とし物として届け出があったことが分かったのです」

 加藤が後に聞かされた事の顚末は、至って単純だった。元金の3億円と利益分の1億円を別々に分けて持ち帰る際、それを運んだ稲川会の関係者が3億円分だけをクルマのトランクに積み、1億円の束を置き忘れてしまった。まさにその1億円は、石井が手にすべき利益で、元金の3億円は石井が借り入れた先に返済するカネだった。荷物を二つに分けたことで、完全に見落としてしまったのだ。それに気付いた稲川会の関係者が5分後に現場に戻った時には、すでに1億円は消えていたという。

写真はイメージ ©︎c11yg/イメージマート

「きっとトラックの運転手はカネを運び込むところを見ていたのだろう」

 大貫が1億円を発見したとされる場所は、現金の受け渡し場所とは約200メートル離れていたことから、敢えて違う場所を申告したというのが、加藤側の見立てだった。1億円を包んでいた風呂敷は、黒川木徳証券の同僚が新築祝いに配ったものである。金の運搬に頻繁に使用しているうちに傷みが酷くなり、古い風呂敷だと認識されたようだ。

 事情を知った加藤の仲間の証券マンからは、「私が落としたことにして名乗り出ようか」という申し出もあったが、加藤はこれを断っている。名乗り出られない理由が他にもあったからだ。

 石井の株投資の原資は、実際には加藤の大口顧客でもあった京都の老舗石材会社、久保田家石材商店からの借入金で、その窓口だった久保田家石材の役員、木倉功は当時疑惑の渦中にいた。