「自分にとっては、金よりも正義やプライドの戦い。自分はずっと忘れようとしてきたのに、これだけニュースで見させられて、あの頃の悔しい気持ちをどれだけ思い出したか」
小誌にこう語るのは、1975年から1976年にかけてジュニアとして活動した杉浦城之氏(63)だ。ジュニア時代、杉浦氏は豊川誕やJOHNNY'S ジュニア・スペシャルなどのバックダンサーを務めていたという。
「週刊文春」5月25日号の取材に応じた杉浦氏は合宿所の様子を証言したが、その時は、自身の被害を否定していた。
「あのときは言えませんでしたが、現実には触られています」
「ジャニーさんが来るのが怖いから、自宅に帰っていました」
当時14、5歳だった杉浦氏は、毎朝事務所に電話を入れるのが日課だったという。
「その日、仕事があるかどうか確認するんです。『今日ここに行って』って事務所から言われるので、学校を休むこともあった。それは頑張って行きますよね、仕事増やしたいから。突然、『今日仕事がなくなったから』ってこともあったし、でもそれが当たり前の世界なんで。テレ朝で仕事がなくなったら、合宿所行ってって生活でした。合宿所に行ったら、お手伝いさんがオムライス食わせてくれて、それが本当に美味しかった。でも人が少ないとジャニーさんが来るのが怖いから、自宅に帰っていました」
杉浦氏は朝早い番組収録がある前日に、泊まりに行っていた。当時のジャニー喜多川氏の自宅兼合宿所は、麻布十番にあったマンションの「ドミ麻布」。150平米ほどの広さで、デビューしたタレントの部屋に加えて、大勢のジュニアが雑魚寝する部屋があった。
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source : 週刊文春 電子版オリジナル