摂関政治の最盛期を現出させた藤原道長と、世界最高峰の文学作品を書いた紫式部。平安宮廷に交差するふたりの実像を解き明かす。
藤原道長とは何者か。温厚で争いごとを好まず、政治的野心のない良家の末っ子か。権謀術数に長け、政敵を排除して、天皇の外戚として専横を極めた独裁者か。彼の人生に起きた偶然の僥倖と周囲の人々によってもたらされた転機から、紐解いていこう。
康保3年(966)、藤原兼家の五男(嫡妻の時姫所生でも三男)として生まれた道長に、政権の座に就くことなどおよそ考えられないことだった。兼家からして、当時藤原北家の嫡流と認識されていた小野宮流の実頼や、兄伊尹や兼通に圧されていた。兼家そして道長の第一の転機となったのは、寛和2年(986)、花山天皇を出家、退位させた「寛和の変」である。懐仁親王を即位させ(一条天皇)、兼家は天皇の外祖父として摂政に就任した。
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source : 週刊文春 2024年5月2日・9日号