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連載文春図書館 著者は語る

93歳“荒らくれ女”の幸福論

『それでもこの世は悪くなかった』と語る佐藤愛子の波乱に満ちた人生

さとうあいこ/1923年大阪生まれ。1969年『戦いすんで日が暮れて』で第61回直木賞を受賞。父・佐藤紅緑、兄・サトウハチローを生んだ佐藤家を描いた『血脈』で2000年第48回菊池寛賞。『九十歳。何がめでたい』(小学館)が大ヒット中。

 著書が大ブーム?

 私の言うことなど誰もわかってくれないと思っていましたからね。「そうか、こんなにわかってくれる人がいたのか」と嬉しい気持はあります。でもね、私の本がこんなに読まれるなんて、世も末ですよ(笑)。

 と、こんな風に憎まれ口を叩くのが私の悪いところでしてね。正直に何でも言ってしまうという、これは一種の病気なんです(笑)。

 この本は、ここ何年かの間に講演で話した内容が、大きな柱になっています。読者から、「どうしたら佐藤さんのように強くなれますか」という手紙をよくもらうんですね。それで、佐藤愛子はなぜこういう人間になったのか、それを話してみようか、と思ったんです。

 私は父が50歳の時に生まれた末っ子で、甘やかされ放題に育ったんですよ。幼稚園はイヤだとゴネて行かず、次は小学校という時、「行かない」とまたゴネた。

 すると、私の乳母がこう言いました。

「お嬢ちゃん、なんぼお嬢ちゃんやかて、どうしてもせんならんということが、世の中にはおますのやで」

 それで、私は小学校に行くようになった。そうか、そういうことなら仕方ない、行くしかないか……というような気持でしたかしらね。

 子どもの頃は、賢い子どもだったんですね(笑)。

 母がよく言いましたよ。愛子はどうしようもないワガママ者だったけれど、1度「そんなことをしてはいけない」と言って聞かせれば、2度と同じことを言わせなかった、と。

 作家修業をしている頃、師事していた詩人の吉田一穂(いっすい)先生がこう仰ったんです。

「女に小説は書けないよ。女はいつも自分を正しいと思っている。そしてその正しさはいつも感情から出ている。だからダメなんだ」

 女は客観性がないからダメだ、という意味ですね。この一言は、私の作家としての基盤になりました。

 その後、夫が事業に失敗し、その倒産額は2億円という当時にしたら天文学的な額でした。さすがの私も気力体力共に萎えて、整体を受けに行きました。臼井栄子先生という、それは人格も技術も立派な方で、その先生が言われたんです。「佐藤さん、苦しい時にそこから逃げようとすると、もっと苦しくなる。正面から受けとめ、受け容れた方がらくなんですよ」と。

 その言葉はその後の私の人生を決めました。私は頑固だけれども、「なるほど」と思ったことには素直に従うんです。単純なんですね。

 我々は生きている間に膨大な言葉を見たり聞いたりして成長するんだけど、山のようにお説教を聞いても何も心に残らないことが多い。けれどもなぜか心にグッときて、いつか血肉化されて行く言葉があって、それが佐藤愛子という人間の柱になったと私は思います。

 人は自分1人の力で出来上るものじゃない、当たり前のことじゃないか、と言われるだろうけど、そのことが、人生の終り近くなって強く実感されましてね。

 そういえば女学生の頃、こんなこともありました。

 友達と遊びに行った旅先の旅館の廊下で、酔っ払った男がふざけて抱き付いてきたもので、私はとっさにその男の横っ面を張り倒したんです。今ならともかく、当時は女の子がそんな乱暴をすれば、ひどく叱られるのが当然でした。

 ところが私の父は大笑いして「よくやった!」と一言。つまり容認されたというか、激励されたというか。それで私はのびのびと荒らくれ女になったんですよ(笑)。

父母を始め、先輩や友の影響を受けて出来上がったのは、「他人から理解されないばかりでなく、自分でも何かわけのわからない、ヘンな佐藤愛子」。二度の結婚に失敗、夫の借金に巻き込まれ、苦しいことばかりでも、それを不幸と思わないのはなぜか。93歳、初の語り下ろしで人生の原点を説く。

それでもこの世は悪くなかった (文春新書)

佐藤 愛子(著)

文藝春秋
2017年1月20日 発売

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