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牧野 知弘
2017/02/07

都会人にはわからないシャッター通り商店街の「本当の問題」

実は当事者たちはちっとも困っていなかった!

 地方都市に行く機会が増えた。人口が減少するだけでなく年齢構成が途方もなく高齢化し、街に活気が失われ、さて地方創生しましょう、というのが命題だ。

 西日本のある都市を訪れたとき、その日は台風が直撃していた。雨、風が強まる中、市内中心部の商店街を視察。この商店街は80年代くらいまでは多くの買い物客で賑わっていたという。しかし、現在ではほとんどのお店がシャッターを下ろしたままで、日中だというのに商店街は暗く、天気のせいもあるのかもしれないがアーケード内には人っ子一人歩いてはいない。

 そのとき突然ばりばりという音がしたかと思うと、空き商店と思われる家屋のトタン屋根が一枚、折からの強風で剥がされて、アーケードを歩く我々を直撃しそうになった。難を逃れた我々はあわてて乗ってきた車の中に避難する羽目となった。地元の人からは、商店街の中の建物は老朽化が激しく、台風や豪雨のときは二次災害の恐れもあるから、あまり歩き回らないほうが良いと忠告されてしまった。

 かつて、この商店街には活気があふれていた。それは海辺の街にある大規模な化学工場のおかげだった。大量の原材料を船で輸入するのに、この街の港は格好の位置にあった。工場には多くの労働者が勤務し、彼らは工場近くの港町に居を構え、昼間はその日の晩のおかずを買い求める主婦で賑わい、夜は工場から帰ってきた男たちが、商店街の中の居酒屋やスナックで夜遅くまで羽を伸ばす、そんな姿が日常の光景だったのだ。

シャッター商店街再生の試みがほとんど失敗するわけ

 ところが、今も操業するこの工場は見てくれは一緒でも中身が異なる。今はバイオ関連の研究色の強い工場となってしまったため、人はほとんどいない。また新しい設備を導入するために新設された研究所は、海から原材料を仕入れる必要もないために、都市郊外に立地。研究職の社員は研究所近くの郊外に一戸建て住宅を構え、車で会社に通い、やはり郊外に立地する大型スーパーで買い物を済ませている。

 中心市街地に残されたのは工場を定年退職した高齢者ばかり。商店街で元気に商売をしていたお店やスナックの主人やママはお店を畳まざるを得なくなったというわけだ。

 地方創生ではこうしたシャッター商店街を何とか再生しようとやっきだ。「三丁目の夕日」の世界を取り戻そうという試みだが、あまりうまくいっている例がない。学生のシェアハウス、起業家に格安でオフィスを提供する、芸術家に住んでもらう、たいていが2、3年で元の木阿弥になる。あたりまえだ。学生は卒業する、起業家の99%は事業に失敗をする、芸術家のほとんどは「もの」になることはない。所詮はその場限りの「思いつき」の域を出ないものばかりだ。

実は元店主たちの多くは「ちっとも困ってない」

 さぞや元店主たちは中心市街地の荒廃ぶりを嘆き、商店街再生に向けて「良い知恵」がないか頭をひねり続けているに違いないと、考えるのは都会人にありがちな発想のようだ。

 商店街の元店主たちに話を聞くと、実は彼らの多くは「ちっとも困っていない」のだ。彼らの多くが今や年金暮らし、息子や娘は東京や大阪に出てサラリーマンになっている。故郷に戻ってくるつもりもあてもない。お店をそのままにしているのは更地にすると固定資産税が高くなってしまうからだという。節税対策のために昔のお店はわざと放置しているのだ。中には不動産投資をしてマンションオーナーになっているような元店主もいた。

 有効活用策を提言されても、勝手に学生や芸術家が使うくらいならよいが、自分のお金を出してリニューアルをしたり、ましてや街おこしをやろうなどという気力のある人は少ないのだ。

「三丁目の夕日」の賑わいを取り戻すのに本当に必要なのは・・・ ©iStock

「空き家」ならぬ「空き商店対策特措法」が必要だ

 空き家については2015年5月に「空き家対策特措法」が施行され、家屋の保存状態が悪い「特定空き家」に認定されると自治体が最終的には空き家を撤去できるようになった。商店街でも「空き商店対策特措法」が必要なのではないか。昔の賑わいを復活させようにも狭い道路と老朽化した家屋の連続では現代の多くの住民を引き戻すことはできない。

 都市計画のやり直しである。空き商店を取り払い、道路を広くして、交通網を再整備し、もう一度街を作り直すくらいの覚悟がなければ、いくら「コンパクトシティ」を叫んでも中心市街地には相変わらず閑古鳥が鳴き続けることであろう。

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