〈美容師もいない、自分の便器も持ち込めない拘置所で、朴槿恵はどう過ごすのか〉
3月31日に朴槿恵前大統領が逮捕されたことを受けて、韓国の新聞には、こんな内容の見出しが躍った。“便器を持ち込めない”とはどういうことか。『朴槿恵 心を操られた大統領』(文藝春秋)〈電子書籍でも発売中〉を上梓したライターの金香清氏がレポートする。
◆◆◆
「(朴大統領は)私の使った便座は使えないということなのでしょうね」
昨年12月、ネット放送でそう語ったのは野党「共に民主党」のソン・ヨンギル議員。ソン議員は、自身が仁川市長を務めていた当時(10年から14年)、視察に訪れた朴氏に市長室を休憩所として提供した。
すると、大統領府のスタッフは、事前に市長室に併設されたトイレの便器を丸ごと交換したという。
「消毒したり、カバーをかければ十分なのに」とソン議員は語ったが、この放送後、新たな内部告発により、トイレを丸ごと交換したケースは他にもあったことが明らかになった。
青瓦台において、朴氏が基本的に1人で食事する引きこもり生活を送っていたことは、周知のとおりだが、他人との接触を極端に嫌う性癖は、トイレへの異常な執着にも表れている。
その彼女が信用したほぼ唯一の存在が崔順実だったわけだが、大統領罷免後にはこんなエピソードがある。
「3月10日に大統領を罷免された朴氏が自宅に戻ったのは2日後でしたが、これは朴氏の自宅にあった家財道具や電化製品が崔によって無断で持ち出されていたから。新たに買い揃えるのに時間がかかったんです」(現地記者)
崔は、朴氏の家財道具などを、自身の姪で拘束中のチャン・シホに使わせていたという。チャン・シホは検察にこう語っている。
「私は韓国冬季スポーツ英才センターの仕事を任されることになり、急きょ、ソウルに移ってきた。必要な家具を買おうとしたら、叔母に『そんな時間はない。中古品があるからそれを使いなさい』と言われた」
それが朴氏のものだったというわけだ。
ようやく自宅に戻った朴氏を訪問する人物は顧問弁護士や国会議員など多くはなかったが、毎朝7時30分に必ず訪れる2人の女性がいた。ヘアメイクを担当している美容師姉妹だ。
「髪の毛をアップにした上でボリュームを持たせる彼女の髪型は、セットするのに手間も時間もかかります。セウォル号事件が起きた当日も、対策本部に姿を現す前に、ヘアメイクをしており、国民の怒りを買った」(前出・現地記者)
実は朴氏がこだわるこの髪型は、1974年に凶弾に斃れた朴氏の母、陸英修の髪型と瓜二つだ。
母の死後、父・朴正熙のファーストレディ役を務めることになった朴氏は、母と全く同じ髪型で公の場に登場し、以来ほぼ40年間、髪型を変えていない。正確には、変えたこともあるが、すぐに戻してしまった。その理由を本人は、1988年のインタビューでこう語っている。
「セマウム奉仕団の方々はもちろん、人に会う度に元の髪型がいいと言われたんです」
「セマウム奉仕団」とは崔順実の父・崔太敏(チェテミン)が設立した団体だ。40年間、変わらない髪型は、当初は亡き母への異常な愛情の象徴であったが、いつしか崔親子によるコントロールの象徴ともなっていったのである。
拘置所に入る前、朴氏は自らヘアピンをすべて外した。所内への金属類の持ち込みは禁じられているためだが、髪型とともに彼女を操っていた執着からも解き放たれたのか。その答えを知るのは彼女のみだ。