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竹内 茂喜
2017/06/18

【中日】二代目“球界の寝業師”・森繁和監督はドラゴンズを変える

交流戦 指名対決 テーマ「森繁和」 文春野球コラム ペナントレース2017

心踊り潤う森繁和語録

 今年開幕直前にぴあ株式会社から出版された球団承認のファンムック「ドラゴンズぴあ2017」。デザインといい内容といい、長年公式ファンブックに物足りなさをを感じていたドラファンから万雷の拍手で迎えられた応援本である。ドラゴンズ愛で綴られた全80ページ。その中に心が躍り潤うページがある。

 森語録

 森繁和監督が新聞、本等で語った17の言葉。ドラゴンズの未来のために泥水を飲む覚悟が誌面から浮かんで見える。

『オレは責任を取る。そういうことができる地位になった』

『ほかの人が苦労するなら、オレが苦労しても一緒かというつもりで受けた』

『コーチを育てるのも仕事。自前のやつを育てる。あまりにもこの球団はおろそかにしている』

 取材で答えた返答の多くは献身的なコメントが連なる。綺麗な花を咲かせるならば、オレは雨にも、土にもなるといったところか。

多くの献身的なコメントを残してきた森繁和監督 ©時事通信社

心の師・根本陸夫の教え

 縁も所縁もなかった名古屋の地に来た2004年、中日新監督に就任した落合博満の要請によって投手コーチに招聘されてから、彼の心に竜の魂が宿り始めた。中日入団は偶然であり、今となっては必然であった。そこにはドラフトで西武入団以来、親父と慕っていた故・根本陸夫が大きく関わっていたのは今となっては有名な話。落合に将来監督になったら、森を投手コーチを薦めたのが根本であり、その教えを忠実に守った落合。点と点が線となり、森がCD帽をかぶる話となったわけだから、人生はどう転ぶか分からない。

 球界の寝業師と呼ばれ、西武、福岡ダイエー(現福岡ソフトバンク)の黄金期を作り上げ、名伯楽と名を知らしめた根本。その根本の教えを身体に染み込ませ、また手法の全てを骨の髄まで知り尽くした森だからこそ、根本イズムの注入こそが落ちるところまで落ちた中日ドラゴンズ再生には一番の処方箋と思えたに違いない。

 ことあるごとに『なんとか良い形にして次の人に渡したい』と公言するあたり、親父を意識した証。弱小チームだった西武そして福岡ダイエーを荒れた地を耕し、種蒔きしては戦力補強を進めた。そして広岡や王という名将へのバトンタッチが自らの使命とばかり常勝軍団の土台作りに力を注いだ根本の姿に薫陶を受けたのは間違いない。

 存命中、根本は森に対し『ユニホームを着るのは50歳まででいい。後は編成に入って、チーム作りをしろ』とアドバイスを送っていたという。今ではその年齢を過ぎたとはいえ、独自に開拓したドミニカルートは根本の教えをしっかりと履行しており、現場との二足のワラジを見事に履きこなしている。キューバやドミニカの選手たちにはサルサを奏でるが如く、バカを演じるぐらいの明るい振る舞いで気分を和ませ、若手投手らにはを厳しく叱咤するものの、最後は激励の言葉で締める親父心は忘れない。

 この男が中日に注力してくれる限り、チームの土壌は肥え、落合政権時代の勢いを取り戻すことも夢ではない。ただすぐに成果が上がらないと文句を言い始めるのが名古屋人の悪い癖。1年でダメなら2年、そして3年かかっても球団フロント並びにファンは信用して待つことが大切だ。今年だけで見ても崩壊状態だった投手陣に若い芽が育ち始めているし、あとは生え抜きの主力打者を育ててくれることを信じて待ちたいと思う。

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