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竹内 茂喜
2017/07/04

【中日】昇竜復活の立役者 岩瀬仁紀が抑えると元気になれる!

文春野球コラム ペナントレース2017

Welcome back 栄光の男

 栄光の男が戻ってきた!

 それも全盛期を彷彿させる安定感を携えて。

 ドラゴンズ、6月は14勝9敗という好成績を残し、一躍セ・リーグの台風の目と化した。柳裕也、鈴木翔太、小笠原慎之介のドラ1三兄弟の台頭、リーダーシップ溢れる荒木雅博の攻守にわたる活躍、ゲレーロ猛打爆発と快進撃ネタは数々あるが、やはり一番は我らが鉄腕・岩瀬仁紀の完全復活に尽きる。

見事に復活を遂げた岩瀬仁紀 ©文藝春秋

 15年連続50試合以上登板、2005年から9年連続30セーブ以上を記録するなど、まさに鉄人。ドラファンなら皆、『岩瀬が打たれたら仕方ない』を座右の銘にするくらい信頼感バツグンの守護神として崇めていた。しかし岩瀬とて人間だったのだ。何があっても岩瀬だけは故障しないという都市伝説は消え去り、ここ3年はヒジの故障から思い通りのピッチングができず、慣れ親しんだ抑えの仕事を追われた。身体の衰えからくる気持ちの衰えもあり、引退するか否か心の中の葛藤が続いたという。

 そして意を決し、昨オフから今キャンプにおいて、今まで築き上げてきた全てのモノを捨てる覚悟で投げ方からボールの握りひとつまで変えた。それは土俵際に追い込まれた男だからこそ可能にした、いわば思い切った開き直り。もうやれることやってダメなら引退という強い気持ちが岩瀬自身のやる気スイッチを今一度ONにさせた。あわせてここ数年苦しめられたヒジ痛の完治が揃い、鉄人復活劇の幕は上がったのである。

まさにブルースそのものの投手人生

 全盛期の岩瀬は攻略不可能な絶対的守護神であった。敵チームのファンからすれば彼の顔を見ることすら嫌な人は多く、いつしか背番号13をタロットに置き換え、死神と呼ばれるようになる。そんな異名を耳にする度、岩瀬を伝説のブルースマンと比較、想起してしまう。

 投手人生の始まりはまさにキング・オブ・ブルースと称されるロバート・ジョンソンが富と名声を得る代わりに悪魔へ命を差し出したことで有名な取引場所、クロスロードとイメージがダブる。大学までは投打の二刀流として名を馳せたものの、プロ野球を目指すならばと打ち出の小槌であったバットを捨て、社会人から投手に専念した結果、鉄人岩瀬は誕生した。それはまさに死神から命との交換で鉄腕を手に入れたかのように……。

 ファーザー・オン・アップ・ザ・ロード〜この道のずっと先にある栄光を目指し、心の奥に潜む想いを、言葉で表現するのではなく渾身の球で表現する。それも目立つことなくこつこつと淡々と。毎日ブルペンで準備をし、孤独のマウンドに登り続けた。チームの勝利を一番に、そして自身の記録にはなんら拘らず。派手さも見栄えも何もない。何一つ文句も言わず日々の仕事を丁寧にやり遂げる。そんなブルースマン岩瀬という男、一刻な職人気質に見られそうだが、彼ほどナイーブで人間性溢れる守護神はいない。

 愛知大学在学時、ナゴヤ球場での試合前に行われたスピードガンコンテストに出場し、140キロを越すストレートを投げ、スタンドをざわつかせたものの、肩慣らしもせずに思いっきり投げたため肩を痛めたとか、落合政権1年目の2004年開幕直前、風呂場で転倒し、左足中指を骨折した等、思わずプっと噴き出してしまうエピソードを持つ。絶対抑えとして活躍していた時でも必ず1イニングをピシャリ三者凡退で抑えられるはずもなく、ヒットや四球を出した時に見せる不安げな表情はルーキーから全く変わらない。

 復活を果たした今年、シーズン開幕から主に入団当初の職場であったセットアッパーとして起用され、見事期待に応える投球を見せた。特に6月の成績はまさに天下無双! 14試合に登板、防御率は驚異の0.00。被安打もたったの4本という文句のつけようがない結果を残した。キレが戻ったストレートとイチから作り直したスライダー“名もなき球”、そして長らく封印していたナックルカーブを駆使。6月23日東京ドームのジャイアンツ戦で3年ぶりとなる403セーブを挙げた。このセーブにはちょっとしたドラマがあり、彼自身の初セーブがルーキー年の1999年の同日同相手という野球の神様からの粋なプレゼントのように思えたものだ。