「6月22日の夜、事務所の社長から電話があり、『麻央ちゃんが亡くなった』と知らされました。その瞬間に、頭の中が真っ白になりました」
先月22日、34歳で亡くなった小林麻央さんのマネジャー、菅大善氏(セント・フォース取締役)が「文藝春秋」8月号(7月10日発売)で彼女との思い出を語っている。菅氏は麻央さんが「めざましどようび」でお天気キャスターとしてデビューした2003年から、14年の長きにわたって担当。姉の小林麻耶がTBSを退社してフリーになってからは、小林姉妹2人を裏から支え続けてきた人物だ。
「翌日(6月23日)、自宅に伺って久しぶりに彼女の顔を見たとたん、胸にこみ上げてくるものを抑えきれず、涙が止まりませんでした。一緒に仕事をしてきた日々のことが、次から次へと思い出されてくるのです。
『お疲れさま』
月並みですが、そう言葉をかけるのが精一杯でした」
菅氏が麻央さんから、がんになったと報告を受けたのは、2016年の1月のことだった。麻央さん自身が告知を受けてから1年3カ月ほどしたころだ。
周囲への気遣いを絶やさない麻央さんは、菅氏の誕生日(12月31日)にも毎年必ずメッセージを送ってくれていたという。だが2015年の大晦日には、メッセージが届かなかった。
「少し前に連絡したときに『ちょっと体調が悪いんです』と話していたし、11月に長男の勸玄くんの初お目見えなどがあって、忙しいんだろうなと特に気にすることもありませんでした」
すると、年が明けて数日したころ、麻央さんから電話があった。
「ごめんなさい。体調が悪くてメッセージを送れませんでした」
まず謝罪の言葉を口にしたあと、麻央さんはこう切り出したという。
「実は私、がんなんです」
突然の告白に驚いた菅氏は、「え……、どういうこと?」と言ったきり、言葉が続かなかった。それでも麻央さんは菅氏を気遣って、終始いつも通りの明るい口調で続けた。
「実はちょっと前にがんになっていたんです。本当に言えなくてごめんなさい。すぐに治して、みなさんに『がんでした』と報告するつもりだったんです。自分ががんになるなんて人生わからないですよね。でも、大丈夫です。治しますから」
夫の市川海老蔵が、麻央さんが進行性の乳がんであることを会見で公表したのは、この年の6月。今から振り返れば、菅氏への報告の電話があった時点で、すでに深刻な病状だったようだ。
菅氏は、麻央さんが闘病する姿はもちろん、芸能界入りを決意する際に憧れの女性の存在が大きかったこと、『NEWS ZERO』のキャスターを引き受けるまでの逡巡、そして海老蔵との交際秘話など、彼女に寄り添った14年間を詳しく振り返っている。記事全文は「文藝春秋」8月号に掲載されている。