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西澤 千央
2017/07/16

炎上にインスパイアされた本

 現在炎上ライターの名をほしいままにしている北条氏ですが、ここ最近で一番激しく燃え上がったのは最新作『インターネットで死ぬということ』ではないでしょうか。2016年に出版した『こじらせ女子の日常』のタイトルに端を発した「こじらせ女子」を巡る論争……論争というか、受けた批判に対して北条氏が一方的に「好きな書き手さんに誤解されている」「タイトルに関してはかなり反論しましたが通らなかった」「死んでお詫びしようとおもいましたが死ねませんでした」などの妄言を繰り広げ、挙句の果てにこの騒動にインスパイアされたとされる書籍を出版……そのタイトルが『インターネットで死ぬということ』。このあまりにもなタイトルに、関係者の怒りは一周まわって絶望に変わったような、そんな空気を憶えています。

 北条氏はこの中で「インターネットで死んだ」という自分の、生い立ちやその歪んだ思考スタイルなどを吐露していますが、私の個人的な考えでは「この人全然死んでねぇじゃん」と思いました、正直なところ。まだインターネットでの鮮度を保っていたというか。インターネットでの鮮度というのは、幸か不幸かその人が自分に向けられる批判に対して無自覚であり、無神経であり、無頓着であることに影響を受けるものだと思うんですよ。その点でこの本はただただ彼女自身の生命線である「人より変わった自分」を演出するための、過去の奇行やみじめな男性関係や歪んだ特権意識のアピールに余念がなく、「自分ではそんなこと思っていないのに人を怒らせてしまう私」のアリバイとしては完璧なものでした。

「吉田豪、やっぱスゲェ」

©平松市聖/文藝春秋

 むしろ私が「この人はもしかしてインターネットで死んでしまったのかもしれない」と思ったのはこの吉田豪氏によるインタビューのほうなんです。

 かなり長いインタビューではありますが、読んだ方の感想を見てみますと「吉田豪やっぱスゲェ」がざっと8割、意外にも後の2割が「北条かやのこと少し好きになったかも」「自分にも似たとこあるなと思った」など北条氏に対するポジティブなものでした。だったらいいじゃん? って思うでしょ。でもこの流れって、人間コンテンツの衰退でもあるんですよ。吉田氏は決して善悪のジャッジはせず、淡々と、しかし確実に北条氏の内面に切り込んでいく。それはこの人を人間コンテンツたらしめていた「違和感」を読者に分かりやすく翻訳することであり、読後のスッキリ感や共感と引き換えに、この「なんだかよくわからんもの」に抱えていた興味を失っていく。それこそネットでの「死」を意味するんじゃないでしょうか。

 後先考えずに流行りものに飛びつき、社会学という権威づけで割とやりたい放題やる。いざとなったら出自やメンタルの不調で逃げる。そんな北条氏をコンテンツたらしめるのは「共感」ではなく「野次馬的興味」ですもん。いいインタビューというのは、時におそろしい凶器にもなりうるんだなと、「変わってる私」をアピールしようと臨んだのでしょうに、何たる皮肉・・・・・・と思った次第です。でもそれが面白いものを書こうと腐心するのではなく、コンテンツとしての自分自身を売り物にしようとするライターの、成れの果てだとも思うのです。