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坂崎 仁紀
2017/01/31

半蔵門「そばうさ」は立ち食いそばのニューウェーブだ

「港屋」インスパイア系がアツい!

 インスパイアっていう言葉は使いやすい言葉である。「触発された」、「鼓舞された」という意味だそうで、麺の世界でも使われている。ラーメン業界なら二郎インスパイア系。そして、大衆そばの世界にもこのインスパイアという言葉が散見されるようになった。「港屋インスパイア系」だ。

虎ノ門「港屋」。壁沿いに行列が絶えない

 たしか2003年頃の虎ノ門である。虎ノ門には明治5年創業の虎ノ門大坂屋砂場があるし、峠そばという人気立ち食いそば屋もある。街そば屋もたくさんある。そんな街に窓のない黒い外観の異様な立ち食いそば屋ができたと情報が入った。とにかく面白いから行ってみようということになった。

 虎ノ門から愛宕山の方に向かう道を歩いていくと、交差点の角にそのそば屋「港屋」はあった。小さくminatoyaと表札がある。

 確かに異様な外観だ。店に入ると大きな黒い三角定規みたいなテーブルがあり、そこでオシャレな男女が黙々と蕎麦を食べている。ジャズも流れている。

ごわごわ、というか、ワシワシした麺

 動線が分からず躊躇していると、どんどんお客さんが入ってきて注文している。温かい鶏そばというメニューを発見したので早速注文した。

「そば屋なら鶏南蛮そばだなあ……」などと独り言をいいながら待つこと数分。想像と全く異なる温かい鶏そばが登場した。

 丼は2つ。1つには鶏肉がごろごろ入ったたっぷりのつけ汁にゴマや油が浮いている。もう1つには大量の刻み海苔が一面に載ったすごい量のそばが盛られている。卵、たぬきはサービスだ。早速食べてみる。

 まず、驚いたのは麺のかたさだ。ごわごわ、というか、ワシワシと音がしそうな麺なのだ。
つけ汁はいわゆるせいろそばの辛汁とは異なり、甘い返しの立った赤いたっぷりなつゆだ。このつゆにはラー油が入っている。このつけ汁にごわごわな麺をつけて食べる。なるほど。このそばはユニークな麺である。何かの粉をつなぎに使っているのかもしれない。

「港屋」の看板は控えめなたたずまい

 そばに小麦粉のつなぎを使うようになったのは江戸時代に入ってからである。江戸時代も今と同様に、生蕎麦などといって十割の蕎麦を極める道がある一方で、つなぎをつかった大衆そばが共存していた。小麦粉以外にもつなぎにはいろいろなものが使われている。玉子や山芋、海藻のふのり、山菜のオヤマボクチなどである。

 冷凍うどんなどではモチモチ感を出すためにでんぷん粉やタピオカ粉を小麦粉に入れることもある。そばのつなぎにでんぷん粉を入れるという発想はあまりなかったかもしれない。しかし、ピョンヤン冷麺は小麦粉やそば粉に緑豆でんぷん粉が入っていて、強いコシを出すことができる。港屋の麺はたしかに冷麺の食感に近い。

「バジル冷そば」の衝撃

 さて、港屋のビフォーアフターがまた面白い。都内の繁華街には、港屋にインスパイアされた店があちこちに出現した。当時は押出式製麺のブームとも重なって、従来にないそばが人気になっていた。

 2017年にも港屋インスパイア系がいくつか営業している。「なぜそばにラー油を入れるのか」というキャッチフレーズが有名な池袋の「壬生」、銀座の「俺のだし」などもそんな位置づけだ。そして2016年に新星のように現れたのが半蔵門駅近くにある人気立ち食いそば屋「SOBA STAND そばうさ」だ。

「港屋」インスパイア系 半蔵門「そばうさ」

「そばうさ」の店主、小島和樹さんはまだ若い。夫婦で切り盛りしている。港屋のインスパイア系と言われるのは嬉しいような恥ずかしいような気持ちだそうだ。二人でオリジナルな味を死ぬほど考えたそうで、イチオシは何といっても「バジル冷そば」だ。これを食べた時の衝撃は相当なものだった。

バジル冷そば

「よくこのメニューを完成させたなあ」というのが私の正直な実感だった。松の実などが入った自家製バジルペーストに、甘辛いつゆを合わせてバジル色のつけ汁を作る。それにベーコンとスクランブルエッグ、レタスが載り白ごまがかかりレモンが添えられたゴワゴワのそばをつけて食べるのだ。もはやそばとは言えない。「ヌーベルプラスなそば」である。

昼どきは女性客も多い

 私はこっそり店主に聞いてみた。予想通り麺にはでんぷん粉が少し入っていた。近未来、そばはそば粉単独ではなく、多くの穀物粉と併せた麺になっているかもしれない。つけ汁も魚介系スープや野菜系ポタージュあたりが主流になるかもしれない。そう考えると港屋インスパイア系そばの未来は明るいのかもしれない。

写真=中川聡(港屋)、佐藤亘(そばうさ)