乳がんで亡くなった小林麻央さんが、標準治療を拒否して民間療法に頼っていたと報道されたことで、ネットではさまざまな議論が起こりました。
早く標準治療を受けていれば、高い確率で命が助かったという「週刊新潮」の記事に対し、私は前回の記事で、こうした書き方は誤解を招く恐れがあると指摘しました。なぜなら、麻央さんの乳がんは非常に進行が早く、見つかった段階でどんなに早く標準治療を始めたとしても、あまり結果は変らなかったかもしれないからです。
もちろん、治療がうまく行って、延命できた可能性もあります。しかし、様々なシナリオが考えられるので、海老蔵さん側の話も聞かずに「たら」「れば」で批判するのはフェアではないというのが、私の主張でした。
ただし私は、標準治療を否定しているわけではありません。むしろ標準治療は、適切な治療選択をするために、患者側もある程度は知っておいたほうがいいと考えています。そこで今回は、がんなどの治療を選ぶにあたって、標準治療をどう位置づけて考えればいいのか、書いてみることにしました。
「標準治療」は「並」ではなく「特上」のこと
まず、誤解の多い「標準治療」という言葉が何を意味するのか、あらためて確認しておく必要があるでしょう。国立がん研究センターが運営する「がん情報サービス」の記載では、次のように定義されています。
「標準治療とは、科学的根拠に基づいた観点で、現在利用できる最良の治療であることが示され、ある状態の一般的な患者さんに行われることが推奨される治療をいいます」
日本語では「標準」と言われると、「松竹梅」の「梅」、つまり「並」の治療のように感じます。しかし、医学的には「松」、つまり「特上」の治療を指すのです。ですから、医師から標準治療を勧められたとしても、「なんだ、ふつうの治療しかしてくれないのか」とがっかりしたり、怒ったりする必要はありません。
では、標準治療を知るためには、どうすればいいでしょうか。主治医に聞くこともできますが、一番おすすめなのが、各医学会や研究会が作成した「診療ガイドライン」に目を通すことです。これは、特定の病気について、科学的根拠に基づいた診断や治療の仕方をまとめたもので、がんに限らず様々な分野のガイドラインが存在します。
診療ガイドラインの中には、診断基準や治療法の選択に関して、議論の分かれているものもあります。ですから、鵜呑みにできない場合もありますが、各学会の専門家が最新の研究成果に基づいて作り上げたものなので、現時点での日本の医療のスタンダードが示されていると考えていいでしょう。
その大まかな作成方法ですが、まず、診療ガイドラインの作成に携わる専門家たちで議論をして、その病気における臨床的な疑問(クリニカル・クエスチョン)を抽出します。たとえば、「AとBどちらの手術のほうが、合併症が少ないか」「たくさんある抗がん剤のうち、どの組み合わせが一番優れているか」と言った内容です。
次に、その課題の答えとなる医学論文を世界的なデータベースから検索して、どんな検査や治療が最も有効性が高いのかを検証します。さらに、それらの論文で示されたエビデンス(科学的証拠)に基づいて専門家が議論を積み重ね、どんな状態の患者に、どんな検査や治療を勧めるのか、課題ごとに「推奨グレード」を決めます。
診療ガイドラインで実施が勧められている検査や治療でも、「十分に科学的根拠がある」ものから、「科学的根拠が不十分」というものまで、推奨グレードは様々です。つまり、すべての検査や治療が十分な科学的根拠に基づいて、推奨されているわけではありません。しかし、現時点ではもっとも有効と考えられている検査や治療を示すのが、診療ガイドラインの役割なのです。
また、医学は日々進歩していますので、診療ガイドラインで推奨されている検査や治療が、世界の最先端の標準治療からは遅れているということもあります。しかし、多くの診療ガイドラインが数年ごとに改定を繰り返していますので、大幅に遅れているとは考えなくていいでしょう。
診療ガイドラインは専門書や論文として出版されるのが一般的ですが、多くの専門学会が全文をホームページで無料公開しています。また、公益財団法人日本医療機能評価機構が運営する「Mindsガイドラインライブラリ」でも診療ガイドラインを探すことができ、現在、最新版だけで177件が登録されています。そのうち、がんに関するものが38件となっています。
がんになったら治療を始める前に診療ガイドラインを探すべし
ですから、がんなど専門的な治療が必要な病気になったら、できれば治療を始める前にネットで検索して、本人でもご家族でもいいので、該当する診療ガイドラインを探してみてください。医療者向けに書かれているので難しいかもしれませんが、もし理解できないところがあれば、どう読めばいいのか主治医に聞いてみるといいでしょう。
それに、一般向けにわかりやすく解説した診療ガイドラインを作成している専門学会もあります。たとえば、日本乳癌学会は、「患者さんのための乳がん診療ガイドライン」2016年版をホームページで公開しています。
乳がんの場合、どんな治療が推奨されるかは、病気の進行度や大きさ、がん細胞の悪性度やホルモン受容体の状況、月経の有無や臓器の状況などによって、一人一人異なってきます。診療ガイドラインを読めば、自分がどの状態にあてはまるのか、どんな治療が推奨されているのか、ある程度わかると思います。それを頭に入れて主治医の話を聞けば、なぜ自分にその検査や治療を勧めているのかが理解しやすくなるでしょう。