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【中日】東京生まれの忌野清志郎は、なぜドラゴンズを愛したのか

文春野球コラム ペナントレース2017

※文春野球コラムは“代打制度”を導入しました。今回、中日ドラゴンズの筆者は竹内茂喜に替わりまして代打・チャッピー加藤です。

【竹内茂喜からの推薦文】
8月に入り、3カード連続勝ち越し(8月16日現在)と好調ぶりを発揮する中日ドラゴンズ。文春野球もリーグ最下位脱出を期待し、二人目の刺客を起用! 構成作家として活躍中のチャッピー加藤さんが走者一掃のタイムリーを放ちます!

【プロフィール】
チャッピー加藤/ちゃっぴー・かとう
放送作家・ライター。1967年、愛知県名古屋市出身。球場での野球観戦がライフワーク。贔屓のドラゴンズ戦を中心に、毎年プロ野球12球場(+神戸)をすべて巡り、今年で12年目に突入。落合監督時代、5度出場した日本シリーズの最終戦をぜんぶ球場で見届けた。

◆ ◆ ◆

 はじめまして、放送作家のチャッピー加藤です。ナゴヤ球場の近くで生まれ、試合終盤になると一皿100円になる「美そ乃」の焼きそばを食べて育ちました。「球場がオレを呼んでいる!」……そんな幻聴が常に聞こえる野球バカです。どうかしてますが、よろしく。

「清志郎さん、番組に出てくれません?」

 今回、森シゲ監督ならぬ、竹内シゲ兄貴から代打に指名され、フト頭に浮かんだのは、ドラゴンズ歴代の「代打男」たちだ。江藤省三、大島康徳、彦野利勝……様々な代打の切り札がいたが、私の中で「ドラの代打男」というと一も二もなく、川又米利選手である。一時は右翼や一塁でレギュラーを務めたが、落合博満が一塁に回ってからは代打要員に。そこで腐らず、好機でのひと振りに徹したプロとしての姿勢が大好きだった。

 ナゴヤドーム元年の97年限りでユニフォームを脱いだ川又さんは、地元局・中京テレビの野球解説者に就任。当時、私が構成を担当していたドラゴンズ番組のレギュラーになった。しかし、バットをマイクに持ち換えるのは、なかなか容易いことではない。その朴訥とした喋りは、取材先でよく後輩選手から突っ込まれたりもしていたが、画面からにじみ出る人の良さは、どこか偉ぶっている他局のOB解説者と対照的で、番組スタッフはみんなすぐに川又ファンになった。

かつての「代打男」だった川又米利 ©文藝春秋

 その川又さんを「ヨネちゃん」と呼んで慕ったミュージシャンがいる。誰あろう、あの忌野清志郎さんである。生前、熱烈なドラゴンズファンだった清志郎さん。「2・3’s」(ニーサンズ)というバンドを結成したときは、23番のドラゴンズユニフォームを着てステージに立った。その話を伝え聞いたリアル23番・川又さんは清志郎さんにグッズを送り、交流がスタート。

 調布育ちの川又さんと、国分寺育ちの清志郎さん。ともに多摩地区出身、意気投合した二人は、たちまち親友に。川又さんの裏表のない実直な性格も、ウマが合った理由だと思う。

 川又さんが解説者になって2年目の1999年、星野仙一監督率いるドラゴンズは、開幕11連勝とスタートダッシュに成功。快調に首位を走り、リーグ優勝はほぼ確実な状況になった。われわれはV決定当日に、祝勝会の会場から緊急放送する「優勝特番」の準備に入ったが、東海地区の民放各局が横並びで放送する中、普通にやってもつまらない。ウチにしかできないことをやろうよ……このとき、番組プロデューサーがとんでもないことを考えた。「清志郎さん、呼べないかな?」。東海地区ローカル、しかも深夜の特番に、あのロックスターを生出演させようと言うのである。

 あくまで「東京で優勝が決まった場合」という限定付きで、ダメ元で出演依頼をしてみたら、すぐに返事が来た。「ヨネちゃんの番組なら、オレ出るよ」……うぉぉ!!

「清志郎さん、なんでドラゴンズが好きなんですか?」

 忘れもしない9月30日、マジック1で神宮球場のヤクルト戦に臨んだドラゴンズ。私も三塁側のスタンドにいた。4点を先制されたドラゴンズは終盤に逆転。勝って優勝を決め、星野監督が11年ぶりに宙に舞った。その数時間後……優勝特番の会場・赤坂プリンスホテルに、清志郎さんは約束通りやって来た。ひとり、ホラ貝を持って。

 他局の特設ブースには、アナウンサーとOB解説者・タレントたちが並ぶ中、ホラ貝片手に清志郎さんが待機する中京テレビのブースは、明らかに異質だった。「なんで清志郎がココにいるんだ?」というヒソヒソ声があちこちから聞こえてきたが、いやいや、なーんも不思議じゃない。清志郎さんは、“男の約束”を果たしに来たんだから。

 打ち合わせを終え、本番が始まるまでの間、たまたま清志郎さんと話をする機会に恵まれた私は、思い切って、長年の疑問をご本人にブツけてみた。 

「清志郎さん、なんでドラゴンズが好きなんですか?」

 反体制を通す清志郎さんが、巨人ファンじゃないのは分かる。だが、アンチ巨人というなら阪神でもいいし、東京生まれなんだからヤクルトだっていい。なぜドラゴンズなんだ? 名古屋に何か特別な思い入れでも? ……しかし、清志郎さんの答えは、実にシンプルだった。

「だって、頑張ってるじゃないですか」

 その言葉を聞いて、私は胸がカーッと熱くなった。そう、ドラゴンズはずっと頑張ってきたのだ。全国的な人気はなくても、ファンを唸らせる選手を揃え、王者・巨人に対抗してきたその歴史。74年、巨人のV10を阻止したのもドラゴンズだ。

 88年から99年までの間、94年は「10・8同率決戦」に敗れ、96年はナゴヤ球場ラストゲームで再び長嶋監督の胴上げを許すなど、さんざん辛酸をなめてきたドラゴンズ。その悔しさを噛みしめ、乗り越え、11年ぶりに掴んだ栄冠。

 くしくも、ドラゴンズが優勝した88年は『COVERS』、99年は『冬の十字架』がともに発売中止の憂き目に遭った年でもある。清志郎さんは、レーベルを変えて発売に踏み切ったが、その苦闘の跡は、ドラゴンズの苦難の歴史とぴったりシンクロする。この優勝特番、嬉しそうにホラ貝を吹く清志郎さんの笑顔を見られただけで、私はもう十分だった。

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