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「絶対レッドにならないキャラ」にハマっていた松坂桃李くん

特撮ドラマの大脚本家「テレビっ子」小林靖子インタビュー#2

てれびのスキマさんによる「テレビっ子インタビュー」7人目のゲストは脚本家・小林靖子さん。ファンにはつとに有名な“特撮ドリーム”と語られるその経歴、小林作品がデビューとなった松坂桃李・佐藤健のこと――たっぷりとお話しいただきました。

小林靖子さん

シナリオを「ご意見・ご感想」コーナーに送って人生が変わった

―― 一般企業に就職後、特撮熱がいったん冷めたというお話でしたが、一転たまたま見た『ウインスペクター』で特撮熱が再燃したそうですね。

小林 再燃というか、『ウインスペクター』は、ヒーローものというよりは刑事ものに近かったので、ちょっと面白いなと思って見始めた感じです。

―― その頃他のドラマとかは見ていたんですか?

小林 見てないです。私には『少年ジャンプ』熱が来ていて『北斗の拳』とかに夢中でした。

―― 特撮のシナリオを書き始めるというのは、いつぐらいのことなんですか?

小林 『特捜エクシードラフト』というシリーズが始まったころに、思いついたシナリオを書いて送ったら、プロデューサーさんから連絡が来たんですよ。そこから今度はシナリオスクールに通ったんです。

―― プロデューサーから連絡が来れば、シナリオスクールにわざわざ行き直すことはないと思うんですが……。

小林 プロデューサーさんからは毎回台本を送ってもらってたんですけど、そういうきっかけをもらっておきながら私、何もしなかったんです。そしたら、そのうちパタッと何も連絡が来なくなったので、これはこっちからアクションを起こさなきゃいけないんだと思って。それで、何か連絡するネタを作るために、シナリオ学校に通って、「通い始めました。勉強します。よろしくお願いします」ってこっちからアクションを起こしたら、また向こうから送ってくださるようになったんです。

 

―― シナリオを送ったというのは、特撮ものを放送していたテレビ朝日に送ったということなんですか?

小林 はい。ただ、普通はテレ朝ではなくて、東映さんに送るものなんです。放映してるのはテレ朝だけど、作っているのは東映さんだから。でも、私はそういう事情を全然知らなくて、テレ朝の「ご意見・ご感想」を募集している住所に送ったんです。昔はネットがないから調べようがなくて、宛先がわかるのはそこだけだったので。

「マニアックじゃないところがよかった」

―― でも、よくそこからうまくプロデューサーにつながりましたよね。

小林 そうなんですよ。そこから「こんなの送ってきたけど」といってプロデューサーさんが東映さんに回してくださって。で、東映のプロデューサーさんと当時のメインライターさんが読んでくださって、「結構使えるかも」っていうことで連絡くださったんです。

―― そのシナリオに対する感想みたいなことって言われたんですか? 

小林 後でお会いした時に言われましたね。「マニアックじゃないところがよかった」って。大抵、特撮好きの人が書くシナリオは「好き」が溢れてしまって、設定が凝りすぎな場合があるんですよ。でも、テレビ作品は、それを求めているわけではない。私はそういう方向は全然興味なかったので、お話1本、30分作品として尺ちょうどいいぐらいで、構成できていたんでしょうね。