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脳挫傷に記憶障害…自転車レースの大事故から驚異の回復をとげた杉浦佳子が金メダル候補になるまで

東京パラリンピック・自転車競技インタビュー #1

2021/08/25
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リハビリ中に知ったパラサイクリングが目標に

 退院すら難しいと言われていたが、驚異的な回復を見せ、自宅に戻れた。そうなると、「もう自転車には乗れない」という医師の意見も覆してみたくなった。

「『いけんじゃない?』と思って、家の近くの車が来ない道で試してみたら乗れました。うまく曲がれなくてぶつかったりもするんですけど。うれしかったですね。乗れたぁ、気持ちいいって」

 

 脳の左側にダメージを負ったせいで、右半身が不自由になった。洗濯物を干そうとして腕を伸ばすと、右だけが上がらない。機能は徐々に回復したが、いまも右半身は初動が鈍いという。

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「あと、物を持って歩くのもちょっと難しいです。(杖や手すりなど)持つところがないと、歩くのが怖い感じはあります。どう歩いていいかわからないというか……」

 リハビリに取り組んでいたころ、パラサイクリングの存在を知った。レースに出ることが目標になった。

 

40代後半にして東京パラリンピックの金メダル候補へ

 2016年4月の事故から1年足らずで自転車ロードレースの国内大会に参加。2017年9月には、パラサイクリングの日本代表選手として、南アフリカで開催されたロード世界選手権に出場した。

 杉浦はその大会のタイムトライアルで、金メダルを獲得する。パラサイクリングの世界のトップ戦線にいっきに躍り出た。

 トライアスロンを楽しんでいた薬剤師から、東京パラリンピックの金メダル候補へ。40代後半にして一変したステージの上を、杉浦は歩んできた。

「ちょっと信じられなくて」という言葉は本音だろう。

「私、すごい暗い性格なんです。あか抜けないし、ダサい。暗いところでひっそり薬をつくってるのが好きだったのに。だから……そう、さかなクンみたいな感じ。薬のことになると別人になるねってよく言われるんです」

 

設定された目標がギリギリであるほど意欲が湧いた

 いまは自転車一本の生活を送る。かつての薬のように、自転車が心のよりどころになっているのだろうか。

 そんな質問には、こう答えた。

「自転車に関しては、すべてコーチにお任せしています。毎日、言われたメニューをきちんとこなすことが大好きです」

 彼女の性分なのだろう。事故の前から、トライアスロンの練習では設定タイムを切ることに燃えていた。入院中の計算ドリルも、タイムを測って取り組んだ。設定された目標が、できるかできないかのギリギリであればあるほど、意欲が湧いた。与えられたタスクをクリアすること。縮んだタイムを指標にして成長を確かめること。それが何よりも強力な動力源なのだ。